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10-5 並ばない名前

 月曜は海の日、祝日。バイトは入れてないけど、親父に生け花の稽古を付けてもらう約束をしていた。  それにもタカは付いてきた。外出にかこつけて四ノ宮の様子を見に行こうなんて思ってたけど、タカはそんな隙を与えてはくれないようだった。  久々にタカが家に来たものだから、母さんと飯倉さんは張り切ってタカの分の夕飯まで用意してくれて、その日は結局タカも一緒に実家の方に泊まる流れになった。  そうして、本日火曜。登校すると、廊下に期末テストの結果が貼り出されていた。上位十名の名前に、オレは今回載っていなかった。いつも数学以外なら良い点を取れていたのに、今回は色々と考える事が多すぎて、正直テスト勉強どころじゃなかったからな……。  九重の名前は相変わらず総合第一位に鎮座している。中間で負けて、期末こそオレが勝つ! なんて宣戦布告していた頃が、いやに懐かしい。  ――アイツはもう、完全にオレには手の届かない存在になっちまったな。  感傷を振り切るように、貼り紙から目を逸らした。教室に入ると、既に九重が来ていた。不意打ちで視界にその姿が飛び込んで来て、心臓が跳ねる。  タカに殴られた部位が腫れたか痣になったか、九重は頬にガーゼを当てていた。クラスの九重派の女子達に、「それ、どうしたの?」と訊ねられて、仮面の笑顔で「ボールが当たったんだ」と返している。  ――九重。九重だ。九重が居る。  いや、そりゃ学校なんだから、居るだろう。でも、これまでずっと一緒に居たのに、三日離れていただけで何だか凄く久しぶりな気がしてしまう。  学校に来るまで九重と顔を合わすのが怖かったけど、そんなことも忘れて思わず見入ってしまった。視線を感じたのか、不意に九重がこっちを見た。 「!」  目が合って、どくんと鼓動が一際強く打った。教室の入口と奥、距離を隔てて視線が交錯する。眼鏡越しの琥珀色の瞳に、何某かの感情の揺れが映るのを待つ間もなく、直後すぐに逸らされてしまった。そうして、九重はそのまま女の子達と会話を続けた。  ――まるで、オレのことなんて、もう眼中に無いみたいに。  胸を針で刺されたような痛みが走った。  ……そうだよな。分かってた。分かってたけどさ。  やっぱり、終わったんだな。一緒に過ごした日々も、何もかも――。  萎れるオレを慰めるように、タカがオレの頭をくしゃりと撫ぜた。あるいは、オレの視界を遮ろうとしてくれたのかもしれない。  タカは優しい。……だけど、その優しさが何処か変容してしまったように思う。歪めたのは、オレだ。オレがタカに心配を掛け続けたから……タカは、壊れてしまったんだ。  どうすれば、元に戻せるんだ? オレが、ずっとタカの傍に居れば……タカの望むようにしていれば……タカももう、誰も傷付けずに済むのか?  悶々と時間は過ぎて、すぐに放課後が訪れた。明日は終業式だけなので、水曜の生徒会定例会議は、本日に前倒しして行われる予定だった。  九重と一緒の会議なんて何とも気まずいけど、これはチャンスだ。四ノ宮の怪我の具合が確認出来る。タカの言う通り〝大したことはない〟のなら、いいけど……。 「あれ~? タカっちじゃん。どしたの~?」  宣言通り生徒会室まで付いて来たタカに、のほほんと訊ねたのは五十鈴センパイだった。センパイは今回もちゃんと会議に出席するようだ。変わらないセンパイの緩さを見ると、何だか少し安心する。  タカは挨拶と共に首肯して、「トキの付き添いです。俺のことはお気になさらず」と告げた。 「いや、役員やない奴が居ったらアカンやろ」とツッコミを入れたのは八雲だった。 「会議の邪魔をしないのなら、別に構わない。好きにさせておけ」  奥から素っ気ない声が掛かった。――九重だ。こちらを見もせずに、座ったまま書類に目を落としている。前までだったら、真っ先にタカのことを追い出そうとしただろうに……本当にもう、オレには興味が無いんだな。 「レンレンも何かあったの~? 今日暗いじゃ~ん」  などと、センパイが九重を茶化す。そういえば、センパイにはあの後こちらから何の報告も出来ていなかった。タカがオレの携帯の履歴を見るから、軽々に連絡も出来ない状態が続いていた。センパイとしては事の顛末が気になっていただろうし、探りの一環か。  果たして九重は、これ見よがしにわざとらしい笑みを顔に貼り付けて、「僕はいつも通りですが?」と絶対零度の口調で(もっ)て跳ね返した。  八雲が溜息を吐く。 「先週の水泳大会の最後の茶番、あれが原因やろな」 「えっ、なになに? それ~?」 「三年は居らんかったから、知らんよな。会長とそこの風見が――」 「遅れましたぁああ!!」  突如、大音量の掛け声と開扉音を立てて、萌絵ちゃんが入室してきた。お陰で八雲の話が途切れて、助かった。あの話題を九重と同じ空間で聞くのは、肝が冷える。  と、ここで萌絵ちゃんは部外者のタカの存在に気が付いたようで、目を丸くした。 「あっ! あなたは、花鏡先輩を取り合うレースで会長に勝利した、噂の幼馴染さん!」  おっと、萌絵ちゃん!? 「え? 何それ? そんな愉快なことになってたの~?」  センパイ!! ちっとも愉快じゃない!! 「風見先輩の熱烈な愛の告白!! 痺れましたよ!! あんなほぼ全校生徒の前で、堂々とライバル宣言しちゃうだなんて!! 敗れた会長はドンマイでしたけど、男同士の真剣勝負!! 最高に悶えましたよ!! 水泳のレースで負けても、花鏡先輩の心を奪うレースの勝敗はまだ着いていませんよね!! 諦めないでください!! 私、二人共応援してますから!!」  うわぁああ!! やめてくれ、萌絵ちゃんんん!!  戦々恐々とするオレに構わず、九重は割れた硝子( ガラス)の破片みたいに鋭利で冷たい笑顔のまま、言った。 「あれはレクリエーションだ。風見はともかく、僕は本気じゃないよ」  破片が胸に突き刺さる。――分かった。もう、分かったから。  不満そうな萌絵ちゃんを宥めるように、九重は話題を変えた。 「ところで、一年生の授業は長引いているようだね。書記がまだ来ないな」  ハッとした。そうだ、まだ四ノ宮が来ていない。心臓が嫌なリズムで騒ぎ出す。どうして、来ないんだ? まさか、それ程までに怪我が――。  萌絵ちゃんが、決定打を放った。 「四ノ宮くんなら、お休みみたいですよ」  ――! 「ほーぉ? 風邪でも引いたんかいな」 「さぁ、そこまでは分かりませんけど。教室にも来ていなかったみたいですし」  その後の八雲と萌絵ちゃんの会話は、もう(ほとん)どオレの耳には入っていなかった。タカがオレの様子を気にしていることも、それどころじゃなくて……。  疑問と不安でいっぱいのまま、会議は上の空に始まって、終わった。

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