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10-8 導き出した答え
『トキ! 今何処だ!?』
耳に飛び込んできたタカの声は、酷く焦った調子だった。きっと、オレが居なくなってから必死に探してくれていたんだろう。電源をオンにした途端着信が来たのだって、何度もずっと電話を掛けてくれていたからに違いない。そう思うと、改めて罪悪感が胸を刺した。
「ごめん、タカ……勝手に居なくなって」
『四ノ宮の所か!? 無事なのか!?』
「うん。ちゃんと話せた。大丈夫。四ノ宮はもう、オレに何もしないよ」
予想外の返答だったのか、タカは困惑したようだった。
『どういうことだ……?』
ゆっくりと深呼吸する。それから、そっと呼び掛けた。
「タカ」
本当は、電話越しでなんてズルいと思う。だけど、一刻も早く伝えたかった。
「あのな、タカ。オレ、お前に誰も傷付けてなんか欲しくない」
返ってきたのは、沈黙だった。
「オレの為を想ってくれるのは、すげえ嬉しい。……でも、オレはそれを望まない。オレを守る為に、誰かを傷付けるようなことは、もうしないで欲しい」
四ノ宮は結果的に酷い怪我ではなかったけど、一歩間違えれば、もっと大変なことになっていたかもしれない。
「オレのせいだよな。オレがタカに心配を掛け過ぎたせいで、タカがそうやって気を張るようになったんだ。……ごめんな」
『トキ……それは違う。お前のせいじゃ』
「でももう、守ってくれなくて、いいから」
静まり返る空気。タカは今、どんな表情 をしているだろう。きっと、ショックを受けたみたいに目を見開いているか……傷付いた顔をしているかもしれない。
「オレ、これまでずっとタカに甘えっ放しだったよな。タカはいつも、オレの為にって一生懸命で……。だから、その想いに応えたかった。お前がオレを好きだと言ってくれたように、オレもいつか、お前のことを恋愛対象として好きになれたなら、いいなって。それがきっと、オレにとってもお前にとっても一番なんじゃないかって、思ってた」
――でも、違った。
「気付いたんだ。それはただ、お前を縛り付けるだけの行為だと」
四ノ宮の言葉で、気付かされた。これまで自分がどれだけ無神経に相手の想いを踏みにじってきたのか。
「オレ、本当は分かってたんだ。タカのことは好きだけど、それは恋愛感情じゃない。オレがお前の想いに真に応えることは……出来ない」
分かってたのに――。
「ごめん」
何度も繰り返した言葉。いくら重ねても、足りないけれど。
「ごめんな、タカ……ずっと、苦しい想い、させてきたよな。もっと早く……解放してやるべきだったのに」
『トキ……俺は』
動揺に揺れる声が、端末の向こうから流れてきた。タカは言う。
『俺は、構わない。例え、お前が俺を……愛さなくても。それでも、許されるのなら傍に』
「駄目だ」
突き付けた拒絶は、自分でも心が痛む程決然と響いた。
「それは駄目だよ、タカ……。オレが、オレを許せなくなる」
何某か口にしようと、タカが息を吸う気配がした。それに先んじて、オレが告げる。
「それにな、オレ……今、傍に居てやりたい奴が居るんだ」
再び訪れる沈黙。やがて、重々しい口調でタカが問うた。
『……九重か』
「……うん」
『九重のことが、好きなのか?』
また少し、間が空いた。オレは今し方のタカの質問を、胸中で自分自身に繰り返してみた。そうして、出した結論は――。
「分かんねえ」
回線の先で、タカが面食らったのが分かった。
「愛だの恋だの、やっぱりオレまだよく分からなくってさ。でも、夏祭りのポスター見たら、アイツが独りで花火見てんの想像しちゃって……堪らなくなった」
この感情が、同情か防衛機制かなんて、知らない。ただ、一つだけ――ずっと変わらない、確かなことがある。
「オレ、やっぱりアイツを独りにさせたくないんだ」
軽い溜息の音。呆れられたかな。そう思ったけど、次にタカは苦笑交じりにこう零した。
『……トキらしいな』
それは、いつもみたいに穏やかで優しい――オレのよく知る幼馴染の声だった。
途端、脳裏に浮かんだ映像がある。幼い頃のオレとタカ。二人、手を繋いで歩く姿。……ずっと、そうやってこの先も行くんだと思っていた。
「タカ」
今一度、名を呼ぶ。すぐ傍で、栗色の瞳に見守られているような不思議な感覚がした。
「ありがとう。オレのこと……好きになってくれて。今までずっと、守ってくれて」
――ありがとう。
タカがどんな表情 でそれを受けたのかは分からない。
少しの痛みと、沢山の感謝を胸に――今、その手を離した。
◆◇◆
終話ボタンを押した後、オレは束の間スマホを見下ろした。それから、壊れ物を扱うように、そっと鞄にしまい込む。瞼を閉じ、すぅっと、深く短く息を吸った。――目を開く。改めて前を見た。自分が今居る場所。その先に広がる道。オレが進むべき方向は……。
見定めて、再び歩き始めた。人気の無い小さな公園に背を向ける。頭上では、緋色の夕陽が徐々に傾き始めていた。間もなく夜が来る。急き立てられるように、駆け出した。
次第に息が上がってくる。行き交う人達が「何をそんなに急いでいるんだ?」と問うように、一瞬だけ振り返っては、すぐに通り過ぎていく。
やがて、雑踏が密度を増していく。同じ方角へ向かう人々の群れ。不揃いな行進。流れに乗って、一緒くたに駅へと呑み込まれていく。残高は気にせず、改札台にICカードを叩きつけた。
階段を上がる。ごった返したホーム。空気を読んだみたいに、電車はすぐにやってきた。
帰宅ラッシュのぎゅうぎゅう詰めの車内。鞄を両腕で抱き締めて、ひたすらに耐える。時に潰されながら、時に流されながら、塊になって、揺すられる。前には進んでいる筈なのに、立ち止まっている状況が酷くもどかしい。
到着を告げるアナウンス。開扉と同時に吐き出される乗客達。階段を下りる。再び叩き付けるICカード。残高は足りたらしい。ゲートに阻まれることもなく街に解き放たれ、そのまま、再度走り出す。
ここからは、そう遠くない距離。一目散に、目的地へと向かった。――学校。
薄闇に包まれ始めた校舎の威容。それでも校庭にはまだ部活動で残っている生徒達の姿があった。下駄箱にアイツの靴は無い。でも、もしかしたらという気持ちから、念の為生徒会室まで足を運んだ。外から見た時、そこには灯りが灯っていたから。
ノックもせずに、扉を開く。驚いたような萌絵ちゃんの顔。……他には誰も居ない。
万年筆を片手に、萌絵ちゃんが問い掛けてくる。
「どうしたんですか? お忘れ物ですか?」
オレはというと、息切れしてまともに声も出せなかった。
「九重は……」
何とかそれだけ絞り出すと、萌絵ちゃんはキョトンとして、
「会長なら、もうお帰りになりましたけど」
やっぱり、そうか。落胆する時間すら惜しい。萌絵ちゃんにお礼を告げて、踵を返した。背中から何故かしら興奮した萌絵ちゃんの声が飛んでくる。
「頑張ってください!」
応えるように、オレは再び駆け出した。運悪く鬼松に見つかって「廊下を走るな!」と説教を食らったが、それどころではないので激無視した。後々またグチグチ言われるだろうな。知ったことか。
学校の敷地外へ飛び出すと、なりふり構わずタクシーを呼んだ。最初からそうすれば良かったのかもしれない。だけど、後の祭りだ。
車内で息を整えて、次いで心の整理もした。
次に目指す先は、遠くからでも見えるあのタワー。六十階建てのバカでかい金持ちの見栄の塊。高い塔に囚われたお姫様ならず、王子様が独り。――今、迎えに行く。
陽はいつの間にか沈んでいた。夜空に輝く星々は、地上の灯りで霞み、ここからでは薄汚れた靄にしか見えない。
財布から万札を数枚適当に摘まみ上げると、「釣りは要らない」とベタな台詞を吐いて運転手に渡し、先を急いだ。
オレの顔を覚えていたコンシュルジュは、何の疑問も持たずにオレを最上階専用のエレベーターへと誘った。……アイツ、もうオレを入れるなとか、そういう通達は下していなかったのか。喜ぶべきか呆れるべきか、思わず苦笑が漏れる。
長い長い昇降時間。それすらもじれったい。鞄のポケットに手を差し入れると、硬い小さな感触が指先に伝わってくる。返しそびれていた合い鍵が、まだそこにあった。
だけど、それを使うまでもなかった。最上階に到着すると、エレベーターの扉が開いてすぐ、仁王立ちで待ち構えていた九重の姿が視界に飛び込んできた。
……ああ、そうだよな。最上階はワンフロア一住戸。訪ねてくる者があるとしたら、それはオレくらいのものだろう。
お前はいつも、オレの帰宅をエレベーターの作動音で察してくれてたもんな。そうして、「遅い」って、偉そうに言うんだ。
だけど、九重が口にしたのは、いつもとは違う言葉だった。
「――何しに来た」
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