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天境館

 身体を這う、いくつものぬるりとしたとした感覚に、思わず声が出る。  身をよじりながら「そこ」と呟くと、『それ』は彼の望みどおりにその悦い部分を攻めた。  粗末な寝台に横たわった彼を無数の目が取り囲み、淡々と彼の反応を観察し記録を取っていた。  周りの目を気にしていたのは最初の頃だけで、彼は自分を愛撫する『モノ』にしかもう意識を向けていなかった。  人ではない『それ』は、彼の身体が求める順序をまるで知っているかのように、順々に下へと降りてゆく。  足の間に柔らかく割って入り、その奥へ。 「ふ、あ、あ――」 ゆっくりと中を侵される感覚に、彼の身体が震えしなやかに反った。  人と獣人とが共存する街の中心部には大きな市場があり、昼夜を問わず人で賑わっている。  街並みは特に整備が入っておらず各店が好き勝手な形で軒を連ね、さらに好き勝手に庇なんかを張るものだから、通りひとつがまるまるアーケードのようになっていた。  繁華街全体がそのようになっており、建物と建物の間にもそのでこぼこした庇のアーケードが食い込んでいる。  まるで何かに寄生されているようだ。  一つの建物の中から眼下に広がる通りを眺め、宿屋の主フウレイはなんとなくそんなことを思った。  街の中心に建つ大きなこの建物は、獣魔狩の本部というべき所だ。  名を天境館という。いったい誰がこんな仰々しい名前を考えたのか、所属する獣化狩り達の間でも知る者はほとんどいない。  『寄生した』とフウレイがそんな言葉をすぐに浮かべたのは、彼が部屋を貸していた獣魔狩りの一人が寄生型の獣魔と戦って命を落としたからだった。  蟲形の獣魔と戦い寄生されてしまった場合の、その治療法はいまだに見つかっていない。  そうなった場合ほとんどの狩り師たちは自ら命を絶つか、この施設で安楽死を願い出るか、検体として身体を差し出すか。いずこかへ失踪する者も稀にいた。  フウレイが看取ったその狩り師は、ある朝部屋で命を絶ってた。  今更だがどうにか助ける手立ては無かったかと、彼は最近よくここの資料館に通っていた。  獣人と人との混血であるフウレイは、直接戦うことは無いがこの天境館の一員であった。  フウレイの得意分野は対獣魔用の薬や小物を作ることだ。  ノラやサジに渡す護符にも、彼特性の獣魔にとって毒となる薬を染み込ませている。  宿でも、狩り師たちに出す食事には獣魔への免疫が高くなる香辛料や薬草などが使われ、味も評判が良かった。  また寄生された狩り師が出た時に、自分の得意分野でどうにか助けることはできないか。  そうやってここしばらく頭を悩ませているのだが、やはりどれだけの資料を読み漁っても、いまだに解決策はつかめないでいた。  疲れた目を擦って建物の外をみると、もう薄暗くなっている。  資料をひらいたのは昼前であったのに……と思ったと同時に、腹が鳴った。  今は宿に客が居ないし、もし急に誰か来たとしても狩り師なら勝手知ったるという感じで適当にやるだろう。  一休みしてからもう少し調べようと、フウレイは一階の食堂に足を運んだ。  建物のなかはフウレイ同様、直接戦いに出ない者たち……術者や研究者たちでいつも賑やかだ。  握り飯をとって席に着いた彼の向かいに、 「いいかね」 と断り、その返事も待たずに一人の研究者が腰掛けた。  長い黒髪をきっちり纏めて紫の瞳に眼鏡をかけた細身の女だ。 「やあアリ。久しぶりですねえ」 フウレイは彼女を見て、おどろいて言った。  彼女がいる研究室は地下の階にあり、また慢性的な人員不足の為、中々顔をあわせることも無かったのだ。 「ん?そうだっけ……?そうだな、久しぶり」 人と会うことにさして関心が無い性格らしく、彼女は言われて少々考え込んで、それからようやくフウレイの言葉を肯定した。  それからフウレイをじっと見て、首をかしげた。 「君もここにくるのは珍しいじゃないか。たいていの薬やまじないならモノにしているだろう。君の力で効かない獣魔がでたのかね?」 言いながら、アリは伸び気味の麺類をかっ込んだ。 「ええ、まあ」 答えながらフウレイは苦笑した。  もう少しきちっとしたら研究所の男性陣が放っておかない美人であるのに、この口調と性格、仕草のガサツさがそれを邪魔をしている。  あと、担当している研究内容も人が寄らない要因になっているが。 「あなたはもう少し柔らかくなればいいのに」 溜息をついてフウレイが呟くと、アリはヘッと舌を出した。 「おしとやかではこの仕事はこなせないよ、君。自分はこれでも精一杯なのさ。こうすることで平均を保っている、いわばこれは、か弱いこの自分のなけなしの鎧だとでも思ってくれたまえ」 アリの本名はアンベルリリオという。  どこかの国の言葉で『琥珀の百合』という意味らしいが、本人に優雅な名前の影響は一切なにひとつ出ていない。 「どんな事案だね。自分の研究が役立つことかい?自分の今の研究は長期観察に入っているから、内容によっては手を貸すこともできるが」 フウレイの手に余るものと効いて、アリにも興味がわいてきたようだ。  フウレイは白湯をすすりながら唸った。 「さてどの分野が手がかりになるのか、皆目見当がつかないのです。あなたの分野……使い魔の生成や交配に関係あるかどうか」 アリは、フウレイの話し方からここでは口にしづらい内容だと察したようだ。 「まだ時間があるなら自分の研究室を見に来ないか。話ならそこのほうがいいだろう。ああ……人によっては『見るに耐えないもの』があるけどね」 アリはどんぶりの汁を飲み干してから手の甲で口をぬぐい、言った。  フウレイはアリの所属している研究室があまり好きではない。  だが、今の時点では本当にどこに手がかりが落ちているかもわからない。アリの仕事の分野にもあるかもしれないのだ。  地下への階段を下りると、独特の臭いが鼻をついた。  様々な薬の臭いと、様々な生き物の臭いだ。  アリの研究室は両脇にいくつもの本棚と、奥に机という小さな部屋だった。  机の先は壁ではなく、胸の高さまでの柵があり、下の階からの吹き抜けになっていた。  下の階には、研究対象となっている実験体たちを入れている檻があった。 「長期観察と言ったのはね。獣魔の子が生まれるのを待っているからなのだよ。ほら、すぐ手前の『に-六』の札がついた檻だ」  アリが指した檻を見て、フウレイは顔をしかめた。  檻の中には獣と人の中間の姿をした青年が横になっていた。腹部が少し不自然に膨れている。 「あれは雄だが、あれに種をつけた獣魔のほうがね、相手が雄雌関係なくてもいいんだ。内臓に入ったら適当に着床して栄養分をとり始める。種の元は普段はおとなしいが攻撃力が強い獣魔で、ある村で人間と諍いを起こして数人殺してね。それで狩られた。だが検体としてここに運ばれた時なんとまだ精嚢が生きててさ。戦闘力をそのまま生かして人型に近づけろと上から命令がきた。量産できたら街周辺の警備に使う方向で話が進んでいるよ」 半獣人の目は、すでに諦めているのか空ろになっていた。 「この子達は『寄付』ですか」 「そうさ。向こうの檻は犯罪者だけどね。なるべく致死率が低いほうに『寄付』たちが当たるようにしている」 ここで実験台にされる者たちを、天境館では『寄付』と呼ぶ。  産む予定になかった子や獣魔に犯されてできた子など、育てられない事情でなおかつ里親も見つからない子の半分ほど……男の子は、親がここにつれてくる。  残りの半分、女の子は色宿に売られる。どちらにしても報われないものだった。 「さて。君の話だが……」 アリはフウレイから聞いた話を思い出しながら言った。 「寄生した蟲を、宿主を死なせずに除去する方法ねえ」 「ええ、次の犠牲者が出る前に、何とかしたいのです」 「ノラとサジの話じゃあないが、獣魔を沈めるには獣魔の精が今のところ一番効くだろう。その狩師は?」 「――パートナーはおらず、独りで動いている人でした。獣人の相棒がいればもう少し生き延びれたのでしょうが」 アリは机の上にある綴りをぱらぱらとめくった。 「卵に限るなら……産み付けられた卵を取り除くのなら、君の護符と同じように自分らの作品の中にも居るがね……卵を食う改良獣魔、使い魔だ」 そして眼下に広がる色欲地獄のような光景をしばらく眺め、小さく呟いた。 「研究してはいるのだよ。狩り師たちの寄生被害は年々多くなっている。……ただ、まだその使い魔での完全な成功例が無いものだから、館内の広報にも記載できないがね。あと一歩のところさ……たぶんね」 フウレイはアリの横に立ち、通り過ぎてい行く者たちに聞こえないように、同じく声をひそめて聞き返した。 「完全ではないとは、どの程度まで?」 「内部に産み付けられた卵は食う。食うが、そのまま宿主の腹も荒らす。でも随分改良は進んで十回に一回は成功してる。つまり残りの九は腹を破って出てくるね。天境館のほかの部署にもちょっと言えないような回数の実験を重ねて、やっとこの確立までこぎつけたのさ」 いったい何十、何百の『寄付』が犠牲になったことか、それを想像するとフウレイの肌はゾッと粟立った。 それでも身近な狩り師たちの命を思うと堪らない気分になる。 「はやく……早く、成功させてください」 「そのつもりさ。君も頑張ってくれたまえよ。そっちがいい薬を作ってくれれば『寄付』を無駄にすることはなくなる」  アリの言葉にぼんやりと頷き、フウレイは下の階を眺めた。  いくつか向こうの檻では何の実験が始まったのか、助けを求める悲痛な泣き声が聞こえ、やがてそれは違う声になった。 「最初は泣き叫んでも最後には壊れてあんなふうに悦ぶ。そして自分もあんな酷いものを今は見慣れてしまって、もう何も感じなくなるのさ。こんな自分とこの世の中は何か間違ってると今はかろうじて思えるんだが、この先もここで仕事をしてくと、やがてそれすら考えなくなるんだろうなァ」 アリはそう言って「大丈夫かね?」と聞いた。  フウレイが頷くと、アリは言った。 「大丈夫なら見てもらいたい物があるのだが。下の階にあるんだ。ああ、階段のすぐ脇にある檻だから、あれらを近くで見ることは無いよ」 あれらとは階下にみえる『寄付』たちのことだ。  アリはフウレイの返事を待たずに廊下へと歩き出した。  ノラとサジのことだ、とアリは切り出した。 「今も狩りをしながら、淫の獣魔を捕まえては抱かれているんだろう」 「ええ、そろそろ護符を取りに来る頃です」 ふむと頷き、アリは一つの檻の前に立った。  檻と呼んでいるが、それはガラスの小部屋だった。  その中に居るものを見て、フウレイはウッと唸った。 「見栄えは今の所こんな有様だが」 ガラスの部屋の中には両手で抱えるくらいの大きさの、ぬめぬめとした軟体のものが何匹も這っていた。  海鼠や蛞蝓に近い、けれどそれよりグロテスクな形と色の生き物だった。 「これは、何です」 「改良型の淫の使い魔だ。飼い主に従順でおとなしいから気性のほうは問題ない。君の売り上げを奪うことにはなってしまうが、あの二人ならこれを連れていたほうが便利じゃないかと思ったのだ。好みの姿を教えてくれれば、その形に改良しよう。なに簡単だ。こいつのタネを他の種類に仕込めば、気性はそのままで姿は宿主の姿になるのでね……」 めまいを覚えて、フウレイは壁ぎわの椅子に座り込んだ。  アリはそれに気づかず説明を続けていた。 「実はねえ、こいつもう一部の風俗店には出回っているのだよ。綺麗な色や模様つきになったり、受けの良い姿かたちに改良されてねえ。だが旅に連れてゆくならこれよりも小動物の形のほうがいいかな」 言いながら振り返り、そしてようやくアリはフウレイの顔色に気がついた。 「大丈夫かね?」 何をこの程度で、という驚き顔で聞いてきたアリに、フウレイは首を振った。 「――ちょっと、ムリです……」 胃からせり上がってくるものを感じて、なんとか一言答え口を押さえる。  そのまま貧血を起こして倒れかけ、慌てたアリに支えられた。 「情けないなあ、君。これの淫気がない種類のは、たまに食堂で具に使われているのだよ?」 白くなってゆく視界の中で、フウレイはなんだか信じられない言葉を聞いた気がした。

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