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鍛冶屋の午後

 半人半獣の青年フウレイが、紙袋を抱えて獣魔狩りの客を相手にしている鍛冶屋へと足を運んだのは、天境館を訪ねた数日後のことだった。  その小さな店は大通りからはずれた街の端の方にある。ジーマという男が一人でやっている店だった。  逞しい体躯の男で、黙々と剣を打っている。大きな黒い目は赤く光る鉄を凝視し、フウレイが店に来た事に気がついても一度ちらりと顔を向けただけでまた手元の鉄に視線を戻した。  フウレイもそれを気にせずのんびりと椅子に座る。  この男が何も言わないのはただ無愛想すぎるだけという事を、長い付き合いで知っている。  ジーマが言葉を発したのはそれから二十分もたった頃だった。 「二人の剣はそこにある」 ジーマは無愛想に言うと、会計台の横にある長い箱を見た。  彼の言う「二人」とは、ノラとサジのことだった。  二人は二日前から街に戻ってきており、剣をこの店に手入れに出していた。  点検と手入れが終わった二本の剣は、その箱の中にしまわれているらしい。  フウレイは笑って首を振った。 「代理で剣を取りに来たのでは無いよ。ただ――ほら。ちゃんと食べてるか気になって。今日はご飯を食べたのかい?」 言いながら、フウレイは紙袋を会計台の上に置いた。  中から取り出したのは、中くらいのビンに入ったジャムと、両手より少し大きいくらいのパンだった。焼き上がってそんなに経っていないのか、まだふんわりと温かい。  ジーマは、フウレイとジャムとパンを順々に見てから、首を振った。 「今日はまだ食ってない」 「お茶を入れてくるよ」 フウレイは微笑んで店の奥である住居スペースに入っていった。  ジーマは表情を変えずにその姿を見送り、手に持っている剣の仕上げの為にまた座りなおした。  フウレイが敬語を使わない相手は少ない。本当に気の置けない相手にしか親しい口調にはならない。  彼はその数少ない相手の一人だった。  フウレイとジーマの付き合いは長かった。フウレイが獣魔狩りの武器を優先的に手入れしてくれる店を探していて、まだ駆け出しだったジーマに声をかけてきたのが最初だった。  それがお互い十代の頃の話で、そこから数えると二十年近い付き合いになる。  仕事をひと段落させたジーマが店の奥に戻ると、テーブルの上には食べやすい大きさに切られてジャムを塗られたパンと紅茶が用意されてあった。 「どうぞ」 と、フウレイがパンを載せた小皿を差し出す。  塗られたジャムはジーマの好きな果物のもので、甘さと酸味の加減もいつも彼好みに作ってあった。  それを無言のまま受けとり食べると、同じように差し出された茶を飲む。  そうしてからやっとジーマはフウレイの顔を見た。  表情を動かすのが不得手らしいこの男は、微笑んでいるフウレイの表情をじっと見てから残りのパンが乗っている大皿に目を落とした。 「嫌なことでも、あったか」 「――そうだね……嫌というか……悲しいものを見たかな」 フウレイは頷いて、静かに答えた。 「――そうか」 ジーマは少し間をおいて呟いた。  その後は二人で皿の上のパンを片付け終わるまで無言だった。  皿が空になったあと、ジーマは店の戸を閉め臨時休業の札を下げた。  二人は親友であり、たまに親友以上になる。恋人ではない。時折どちらかが何事かの事情で心細くなったときなどに、そのときだけ『親友以上』のことをして時間をすごす。  数日前に天境館の地下、アンベルリリオ達の研究を見てから、フウレイは気が沈むことが多くなっていた。  憂いても仕方が無いのだと思うけれど、あの犠牲の恩恵を自分達だって受けているけれど。  薬や護符の知識に秀でなかったら自分もあの中の一人になっていたかもしれないと考え、今の自分の現状をありがたいと感じ、またそう思ってしまう事に嫌悪して……という繰り返しだった。  ジーマに抱き上げられて口を吸われると、フウレイはその数日間の鬱々とした思いが少し和らいだような気分になった。  一時的な気晴らしでしかないとわかっていても、フウレイはジーマを求めた。  フウレイは、鉄と向き合う意外は不器用で無愛想で口下手なこの男を、本当は好きだった。  けれど一つ踏み込むと今の関係すら無くしてしまいそうで、人間のジーマに半人半蟲の自分がどこまで本気になっていいのか、もし口にした結果が恐ろしくて、気持ちを告げることは無かった。  お互いに口を吸いあいながら服を脱ぎ抱きしめあうと、蝶のルーツの名残でふわりと薄い毛が生えたフウレイの肩甲骨部分にジーマのゴツゴツとした掌がふれた。  その背にふれる掌や、胸や腹に感じるジーマの体温に安心して、フウレイは溜息を漏らした。それからジーマに頬をぬぐわれて泣いていたと知った。 「あれ。臨時休業だ」 ノラが鍛冶屋の戸口にかかった札を見て言った。 「今日出来上がるって言ったのに」 溜息をつきサジを見ると、相棒の青年も困ったように首をかしげた。 「臨時って何だろう――病気になった、とか?」 呟いて、サジは戸の隙間を覗いた。  わずかな隙間からでも作業場のあかりが見えた。 「あかりはついてるのに。どうしたんだろう」 ううむ、と唸ってノラは店の裏、住居部分になっている方へ回った。  そして森側に面している裏の窓を覗いて、固まった。  窓の向こうの寝室には、馴染みの宿屋の主とこの店の主との時間があったからだ。  ジーマがフウレイを後ろから抱きかかえて膝の上に座らせ愛し合っていた。  フウレイは目を薄く閉じていたのだが、ジーマはすぐに窓の外のノラに気がついた。  ジーマは片手でそっとフウレイに目隠しをし、それからもう片方の手の人差し指を自分の口の前に立て、『静かに、内緒に』と、ノラにゼスチャーをした。  ノラも慌てて自分の口の前に人差し指を立て、頷いて窓枠の外に顔を引っ込めた。 「ジーマ……?」 急に支えていた手を離されて目隠しをされたフウレイが、不安げに呟いた。  ジーマは目隠しをしたまま片手をフウレイの身体へと戻し、首の後ろにいくつも口付けをした。  フウレイは笑って、繋がっていることを忘れて身を捩り、腰に深く打ち込まれたものの感覚に声を漏らした。 「疲れたか?」 ジーマが耳元で聞く。  二人のこの体位は受役が自ら腰を動かすものだった。  フウレイは首を振りまた体を動かし始めたが、ジーマは彼を抱きしめたまま体を前に倒してうつ伏せにし腰を上げさせた。  ぎりぎりまで引き抜きまた深く突くと、華奢なフウレイの身体は折れそうなほどにのけぞった。 「フウレイ」 ジーマは彼の名を呼びながら腰を揺すりだした。 「ん、ん、んぅ、やッ……」  突き上げられるたびにフウレイは声を漏らし、時折ジーマの名も呼んだ。  フウレイ。フウレイ……名前の主はもう快感に呑まれてこの言葉は聞こえていないだろうと思い、ジーマも何度もフウレイの名を呼んだ。  ――好きだ、フウレイ。フウレイ。    ずっと前、知り合ったときから好きになっていた。  髪の毛に美しい蝶人の名残、白く華奢な肢体。穏やかな声や優しすぎる気性や、それでいてミステリアスな雰囲気を纏っていて、フウレイの全てに昔から今も魅せられている。  だがフウレイが作る壁をなんとなく察知して、自分の気持を伝えることなく今の関係になっていた。  フウレイの体が大きく撓り、彼の足の間を愛撫していたジーマの手に、溶けた証がぽたぽたとこぼれた。  その雫と溶けながら自分の名を呼んだフウレイをみて、ジーマは自分の想いがさらに深くなってゆくのを感じた。 「どうだった?」 サジの問いに、急いで戻ったノラが口の前に人差し指を立てた。 「うん?ナニ?」 「静かに静かに。明日来よう。デートしてた」 ノラの言葉に、サジはああという顔をして、 「そっか。怪我や病気じゃなかったんだ」 と頷いた。  誰と、とは聞かない。人にはそれぞれ知られたくない事があるというのは、自分達が身に染みているからだ。  うっかり知ったとしても、その時はよっぽどの事情が無い限り口外しないと決めている。 「病気じゃなくて安心した。この鍛冶屋さんが一番腕がいいから」 サジが店を離れながら言った。 「ああ、デートの相手がいるなんていいなぁ」 溜息をついてそう呟いたのは、ノラだった。  少し眠ったようだ。フウレイは寝台の上で目を覚ました。  薄暗く、もう日は傾いているようだった。身体にはジーマとの余韻がまだ薄い痺れのように残っていて、このままではまた眠りに引き込まれてしまいそうだった。  寝台にジーマがいないと思ってからすぐに、フウレイはカチャカチャという音に気がついた。  音がするテーブルのほうに目をむけると、ジーマが無心にジャムの残りを食べていた。  そんな時でさえもムッとした感じであるジーマが、やはりどうしようもなく愛しく思えて、フウレイは自然に微笑を浮かべ、その『親友』をいつまでも見つめていた。

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