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ムユマとクウト

 異種族の者と戦う人間たちもいれば、異種族の者と共に生きる人間もいる。  人外の者達が多くすむ地域のある谷に、蟲属の獣人の男と人間の男が暮らしていた。  同性の夫婦者で、委託の幼虫飼育を生業としていた。  蟲人は種によって大量に子孫を残す。手が回らぬ親蟲に代わってそれを孵す仕事だった。  仲介業者の女二人組、トーラと後輩のトットがその谷の飼育所を訪ねてきたのは、夕暮れのことだった。  浅黒い肌で背に透明な翅をもつ二人は、蜂の系列の蟲人だった。  トーラが夫婦者の夫側の名を呼ぶと、住まいの小屋の裏から蟲人が顔を出す。  逞しい体躯の蟲人は、後頭部から、肩甲骨までより長い大きなチョウ目の翅を伸ばしていた。  薄灰のその翅と同じ色の前髪は目の上にかぶさり、表情はよく読めなかった。 「どうも、ムユマさん。繭が孵ったって連絡虫をいただいて」 彼女が言うと、ムユマとよばれたその蟲人は頷いた。 「いまクウトが抜け殻の繭を色分けしてる」 そう言って、二人についてこいと合図した。  小屋の裏はそのまま洞窟につながっており、その奥に二人の仕事場がある。  洞窟の道を少し行くと、大きく開けた場所にでる。  昔地下水がたまっていた場所らしく、岩肌が大きくえぐれて上方の部分に穴が開き空が見えていた。  岩の間から硬い木の根が幾つも張り出して、地面と上穴との間に蜘蛛の巣のような模様を描いていた。  その蜘蛛の巣のような木の根に、両手で抱えるくらいの大きさの繭が無数についていた。  その繭は薄黄色であったり薄橙であったり、薄緑であったりした。  繭は空で、中で眠っていたらしき子供達は脇に置かれた大きな寝具でまだ寝惚けたような顔をしている。  まだ親蟲からの遺伝の色が浮かんでこない、ぼんやりと白い体だった。  クウトと呼ばれた人間の男は、抜け殻になった繭を木の根から丁寧に刈り取っていた。  抜け殻の繭からは糸が取れる。  使い古しの繭なので三級品の糸しか取れないが、庶民向けの作業着にはなった。 「今回は緑が多いな。こっくりとした良い色だ」 クウトが繭を箱に詰めながら言う。  東洋系の肌と、穏やかな黒い瞳と同じ色の髪。  人間と蟲人との違いを除けば、二人の体躯はよく似ていた。  さらによくよく見ると、厚い前髪に隠れたムユマの目とクウトの目は雰囲気の似た、優しい形だ。 「今回も、預かった子全員が無事に孵ったよ。安心した」 ムユマがトーラに言った。 「私達もちょっと心配してたんです。聞きました?エルエインさんの所の飼育場は冬蟲夏草にやられて幼蟲の三分の一が死んでしまったって」 「聞いた。最近は多いよな。だから昨日みんな孵った時、本当に安心したよ」 クウトが頷く。  安心した、といって微笑む二人の笑顔の雰囲気もまた似たものだった。  子供達と刈り取った繭を運搬用の寝具にのせて、仲介業者の二人はムユマたちの家を後にした。  トットが振り向き、先輩のトーラに聞いた。 「ねえ先輩。あの二人は何ていうか、雰囲気がよく似てましたねえ」 「性格だけでなく、顔の似たもの同士も惹かれあうって話を聞いたわよ。いわれてみれば、身の回りにいる円満なカップルとか夫婦って、どことなく雰囲気や顔が似ている気がしない?」 トーラが何かで読んだ話を思い出しながら言うと、トットはそうかぁ、と呟いた。 「そういえばそうかも。異種同士であってアレだけ似てて、そしてめぐり逢っちゃったんなら、そりゃもう運命なんですかねえ」 と納得していいのかどうか、よくわからない理屈に落ち着き、うんうんと頷く。 「それにしてもどうやって出会ったんだろ。ねえ先輩。ムユマさんって元は人間狩りだったんでしょう」 詮索好きの後輩は二人のことがどうにも気になってきたようだった。  トーラは自分の持つ情報を出すことにした。  届け先まではまだ道が長く、その間トットの好奇心は簡単には止まらないだろうと知っている。  それならば追及される前に言ってしまったほうが良い。次々質問攻めにされるのは面倒だ。  詳しく知ってるわけじゃないよ、と前置きする。 「クウトさんのほうは元獣魔狩りだったらしいよ。二人は時々戦っては引き分けてたというか、好敵手というかライバルって言うか」 トットがへえっ?と口をあけたのは予想通りだ。 「で、何年か前に……私も詳しいことは知らないけど、クウトさんが運悪く蟲たちの住処に迷い込んだんだって。ほら、峠の貧民街」 峠の奥の貧民街は普通の蟲人たちなら近付かないような場所だった。  『蟲人』ではない『蟲』――その辺の虫けらと同じく高い知能を持たないモノたちで、話が通じず、本能だけには忠実でとにかく凶暴だった。 「そこで殺されそうになったクウトさんを、ムユマさんが助けたんだって。それから二人して狩り師をやめて一緒に暮らし始めたって話だよ」 「敵対してたのに、そこで運命感じちゃったんですか?!」 「今ああやって二人しているんだから、そうなんじゃない?」 詳しい話は、本当に彼女も知らないのだ。 「ああ、そういえば」 トットの妄想がこれ以上暴走する前に――というより、妄想が次々に口から出てくる前に――彼女は話題を変えた。 「ヒオウさん、最近自分の根城に人間をさらってきたみたいね」 ヒオウは先ほどの話題の峠の蟲たちでさえ恐れるような、この辺では一番強い蟲人の獣魔だった。 「その人間って、あの声の持ち主ですか」 トットがその話題に乗る。  最近ヒオウは人間の声を奪って自分のものにしていた。  まだ若い青年の声だったはずだ。 「どうなんだろう。ええと」 トーラは腰に引っ掛けている注文票を見た。  飼育する蛹や繭の顧客と、抜け殻繭の取引先が記してある。  今回ムユマとクウトから受け取った抜け殻繭は、半分をヒオウのところに売ることになっていた。 「多分、その人間にこの繭糸で服を作ってあげるんだと思うけど。半分とは随分つかうなぁ」 半分といえば、体格の良い人間の男性三人分の衣服を上から下まで拵えてもまだ余る量だった。 「どんな人間だろう!」 トットは好奇心を一切隠さない笑顔になった。 「ヒオウのところに人間がいるらしいぞ。さっきトーラが言ってた」 夕食を片付けながら、ムユマは言った。  床に敷いた毛皮に腰を下ろして白湯を飲みながら、クウトは一瞬ムユマを見たが、すぐに椀へ目を戻した。 「ふうん」 クウトはそれっきり何も言わなかった。  この谷にやってくるのは、トーラとトットのような業者がほとんどだった。  たまにムユマの知り合いのヒオウが顔を出すくらいだ。  ムユマはクウトをじっと見つめていたが、クウトに返事を返す気が無いと知ると、彼の隣に座ってその頬に鼻先をつけた。  それはムユマがクウトに対してする『こっちに気を向けろ』というサインだった。  クウトが苦笑してムユマに顔を向けると、ムユマはそのまま口付けをした。  重い気分が少し麻痺したような気になって、クウトは手に持った椀を置きそれに答えた。 「もしもさびしかったら、ヒオウのところへ会いに行ってみるか。人間同士だから、何か懐かしい話とかできるんじゃないか」 口を離して言ったムユマに、クウトは首を振った。 「会ってもきっと話なんか無いな。ヒオウさんの所の人間はきっと無理矢理つれてこられたんだろう。お前と好きあってここにいる俺とは状況が違う。そいつが俺に会ったとして、きっと嬉しいはずが無いとおもうよ」 そう言ってクウトはムユマの胸元に額をつけた。  会いたくない理由はまだあった。  時々顔を出すヒオウが、戯れに奪った声と使って話すことがあった。  その声にクウトは聞き覚えがあった。  自分と同じ獣魔狩りの声だとすぐわかった。  その子がまだ研修生だった頃に、天境館で何度か戦い方の稽古をつけたことがあった。  淫の性を身に宿してしまった青年のはずだ。ヒオウを『食おう』として逆に『食われた』のだと直感した。  ヒオウの元にいる人間は、おそらくサジだ。  会えるはずが無い。 「ヒオウさんはその子を抱いているんだろう。以前来たヒオウさんの話し振りでは、その子は抱かれることを嫌がっているんだろう。……じゃあなおさら会いづらい」 クウトがその人間を『その子』と呼んだことから、ムユマは伴侶がその人間のことを知っているのだとなんとなく察した。 「そうか――そうだな」 ムユマはそう答えて、クウトを抱きしめた。  峠の貧民街に人間が迷い込んだと聞いて、ムユマはその時、それが最初ただの旅人だと思った。  人間は必要とあらば殺すものの、貧民街で死ぬのは無残なことだと考え、助けに向かった。  腐臭と死臭が立ち込めるその街で突き止めた、朽ちかけた小屋の中で繰り広げられていたのは、よく知った顔の人間がグロテスクな--虫の姿にも人の姿にもなりきれていない、歪で低級な奴らに弄ばれている光景だった。  すでに襤褸切れのような姿になっているその人を見た瞬間に、ムユマの中に激しい怒りが満ちて視界が真っ赤に燃えた。  同時に、自分がずっと気が付かないふりをしていたその人間への感情を思い知ったのだ。  クウトを犯していた者達を殺し彼を峠から連れ去った後、ムユマは数年身を隠した。  クウトの身と心の傷を介抱をしながら、同胞たちの間でもほとぼりが冷める時期を待った。  今はクウトは笑うようになり、ムユマと同じ想いを持っていたことから心を交わす間柄にもなったけれど、あの時の出来事だけは今も二人の間では決して口にしない。  もしヒオウと囚われの人間との間に愛情が無いのなら、それはクウトの忌々しい記憶をただ呼び起こしてしまうだけだろう。  脇の大きなクッションを引き寄せながらクウトをふかふかの毛皮の上に押し倒し、 「今日の仕事も無事に終わって、本当に安心した」 と、ムユマはクウトの耳元に口をつけてにささやいた。 「繭を孵す仕事をしている俺達はこんなに愛し合っているのに、孵すだけで生み出すことができないからな。せめて預かった子は一人残らず孵してあげられたら、俺達も命に貢献したと思えて心おきなくお前とヤれる」 くすぐったいのかクウトは笑いながら 「でも、孵しきれなくても結局やるじゃないか」 と言い、ムユマの首に腕を回した。 「そうさ。悲しい時は慰めあうだろ」 ムユマは頷いて、クウトに口づけをした。  いったい自分は幾度こうしてムユマに慰められただろう、とクウトは思った。  あれ以来自分が正気でいられたのは、ムユマが付いていてくれたからだ。  唇を落とされるたびにその場所がこそばゆく痺れてゆくような感覚に囚われながら、彼もまた愛しい人に口づけを返した。

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