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青い糸を買いに

「クウト。誰か来たみたいだ」 繭を育てている小屋の中で、ムユマがふと顔を上げた。  外をくる微かな足音を聞きつけて、クウトも頷いた。  まだ蟲人の子供達は孵っていないので、引き取り業者のトーラとトットはこないはずだ。  となると空になった繭を買いに来る客になるが、繭を売っているのを知るのはごく一部の顔見知りだ。  その顔見知りも……。 「クウト。俺がでるから」 気を使ってムユマが手入れ中の繭を置く。  それに首を振って、クウトは繭の世話をムユマに続けるよう頼んだ。  クウトが店に戻ると、丁度ドアがノックされる。  客は二人の予想通り、人間の青年サジだった。 「やあ。お使いか」 クウトがでると、サジは頷いた。 「空の繭の…青いのはありますか?…青い糸がほしいんです」 その口から出たのは掠れていない、サジの本来の声だった。  片目は戻っていないが、声は返してもらっているらしい。 「青か。小さいのならあったかな。ちょっと待っててくれ」 サジを椅子に促して、クウトは保管庫を覗いた。  二人がこの地で顔を合わせたのは、半年前だった。  どちらも変わり果てた立場で再会したが、その時交わしたのは言葉ではなく、困ったような笑い顔だった。  お互いにどんな目にあったのか、だいたいの予想がついたからだ。  どうしてこんな所に、などとは聞けなかった。  遠出でなければ屋敷から好きに出ても良いとヒオウに言われたのが半年前だ。  そう言われて、何となく向かってみたのが自分の衣につかう繭や糸を卸してくれているという工房だった。 『蟲人と人間の夫婦者が営んでいる。人間の方は、元はお前と同じ獣魔狩りだったと聞くぞ』 そう言われて、気になっていたのだ。  まさかクウトだとは予想もしていなかった。  自分が天境館の研修生だった時に稽古を付けてくれた人が。  そして旅の途中で行方不明になり、死んでしまったと噂されていた人が、目の前に現れたのだ。  さらに当時よくクウトの好敵手と噂された男も隣に立っていて。  サジはとっさに、衝撃を顔から隠した。  何故ここに、どうして、特に敵対していた蟲人と……それらの疑問を顔に出せば、クウトは傷つくと思ったからだ。  かわりに笑った。  悲しく強ばったクウトの顔が、救われたようにつられて微笑んだのを見て、サジは自分の判断が間違ってなかったと悟る。  クウトは、きっと辛い出来事の後に今の形を選んだのだと解った。 「あの、見つからないなら別に。絶対いるわけじゃないから」 保管庫からなかなか出てこないクウトに、サジはあわてて声をかけた。 「いや違うんだ。青いのは二つあって、どちらも微妙に青の系統が違うから。サジに似合う青はどちらか決めかねてな?」 そう答えながら出てきたクウトが持ってきた青い繭は、確かにどちらも色味が違っていた。 「右のが似合うんじゃないか」 丁度戻ってきたムユマが、会話に加わる。  サジはその蟲人をみた。  蚕をルーツに持つのか、後頭部の髪はふわふわとした蚕の翅のような形に似ている。  触れればちょっと手触りが良さそうだ、とサジは思った。 「俺は左も良いと思うけど」 クウトが笑いながらパートナーを見た。  見交わす二人の目は優しく信頼しきっている。  かつては一番敵対していた二人が、一体どうやってこんな風になれたんだろう。  そうぼんやり思いながら、サジは目のやりどころを探した。 「ええと、じゃあ二つもらって良い……?ヒオウに選んでもらう」 サジがそういうと、二人は一瞬言葉を止めた。  そして「わかった」とぎこちなく微笑んで二つの繭を丁寧に風呂敷に包んだ。  何にするんだ、と聞くと、サジは目を伏せて曖昧に笑った。  とれる糸の量から考えると、まあ何かを繕う程度だろうが……。  愛剣を持つことを許され屋敷の外にでる自由をもらっても、逃げ出さずに戻ってゆくのは、精神的にヒオウに屈したからだろう。  自分の体質から、こんな場所では頼れるのはヒオウしかないと悟ってもいるのだ。 「嫌な言い方だったら謝る。けど今は、あの子にとってはこれが一番安全だと思う。この土地では……。もとの場所に戻ろうにも遠すぎるし、あの子の体では。……だから」 戻ってゆくサジの背中を見送るクウトに、ムユマは言った。 「解っている」  クウトはムユマの言葉を遮り頷いた。 「俺の力で助けようなんてことは考えてない。俺の力ではヒオウさんに及ばないのは解っているし、無茶をしたってどうにもできないのも解っている。自分の身の程は知っている」 言いながら、クウトはムユマの手を握った。 「それに……どうか軽蔑しないでくれ。俺は、あの蟲人と戦って死ぬより、できるだけ長くあんたと生きてゆきたいんだ」 「軽蔑などするもんか」 ムユマは微笑んだ。 「俺と同じ思いで安心した」  帰り道で、サジは溜息をついた。  ヒオウに選んでもらうからと言ってから、しまったと思った。  たぶん二人は……なんというか、サジがヒオウに心許し始めていると感じたんだろう。  いや、状況は似ているけれど。似ているようで違って、ややこしいけど……と一人心の中で言い訳をはじめた。  最近のサジは、夜はヒオウの寝所で過ごしている。  全力で反抗していた頃はヒオウがサジの部屋に顔を出していたが、色々を諦めてしばらくしてから、気がつけば眠るときはヒオウの寝所になっていた。  一体いつからだったか……とにかくそうやっていて、昨夜。  夕べは殊更感じやすくなっていて、指先で寝台の敷き布を破いてしまったのだ。  破くほど悦いものだったかとヒオウはしばらく笑って、気にするべからずとも言ったのだが、笑われたのが恥ずかしかったしその言葉に甘えるのも癪で、どうにか直せはしないかと敷き布と同じ色の糸を探しにきたのだった。  買ったは良いが、もしかしたらどちらの繭も敷き布とは違う青かもしれない。  そうだとすると、どうしたものか。  そんなことを考えていたから、サジは後を付けてくる気配にすぐ気がつかなかった。  何者かがいると感づいたのは殺気を背に強く感じた時だった。  心臓を貫かれる直前で身をひねり、同時に抜いた剣でサジは襲ってきた者を横に凪いだ。  手応えはあったが浅く、襲ってきた何者かは飛び離れてサジを睨んだ。  腕から先が鎌のようになっている、低級レベルの蟲人だ。  サジの剣はその蟲人の脇腹を切っていた。  その蟲人はそのまま逃げていったが、この周辺は殆ど誰も住んでいない。  浅い傷とはいえ治療がかなわないなら長くは持たないだろう。  ムユマとクウトのすみかに押し入っても、二人なら簡単に撃退できるはずだ。  深追いの必要無しと見て、サジはそのまま館への道をまた歩き出す。  戻ってみると、例の敷き布は無くなっていた。  サジが屋敷を出る前は未だ汚れ物の置き場にあったから、彼が出かけてから処分したのだろう。  糸の材料を買いに出たことなどあの上級の蟲人はお見通しの筈だ。 「わざと……?」 なんだか少し悔しくて、繭を寝台の上に放る。  寝台には昨日までの青い布の代わりに、艶々でもっと上等の布が敷かれてあった。  そしてヒオウ本人は外出中である。 (俺が出かける前はいたのに。わざとらしい。たしかに気にするなとは言っていたけれど)  寝台脇に座り込んで、サジは声にも出さず苛々とした蟠りを腹の中にため込んだ。  ヒオウが寝所に顔を出したのは、数十分の後だった。  余裕をたたえた、いつもの腹が立つ顔だ。 「不機嫌すぎる顔をしている。ちょっとは隠すものだ」 呆れ笑いでヒオウは言った。  サジはその蟲人が視界に入らぬように横を向く。  そっぽを向かれた蟲人は構わずに、サジの向かいに座った。 「敷き布のことだろう。珍しいお前の思いやりを受け取りたかったが、別に使う予定があったのだ。悪かったな。束の間の不在は、急に重要な用事ができたからだ」 ヒオウはニイイッと口の端をつり上げた。  その笑みが不穏で、サジは己の不機嫌を少し忘れた。 「いつまで忘れるつもりだ?お前の片目は俺が預かっている。お前が見た物は俺にも解る。……先ほどお前を襲った雑魚がいたろう」 ヒオウは、サジの目を通して先ほどの襲撃者を知ったのだ。 「今そいつを始末してきたのだ。逃がすなど甘いぞサジ。そんな迂闊だから俺にとらえられるのだ」 ヒオウの言葉に、サジは驚いて聞き返した。 「始末、って……蟲人なのに、なんで?俺が逃がしたのは……えっと、それはともかく。あんたは仲間じゃないか」 するとヒオウはふむとうなって、珍しく真面目くさった表情を見せた。 「種という大まかなところでは同じだが、仲間ではない。では問うが、お前は同じ人間だからと……そうだな、心安い者を殺そうとした奴を仲間と呼び逃がすか。違うだろう?奴は俺の屋敷の敷地内に無断で入り、人間を憎むという個人的な理由でお前を殺そうとした。お前で言うならば……蟲人が気に食わぬと言ってフウレイを殺そうとした人間を、人間だからと言う理由で許すか」 言われて、サジは驚きながらおずおずと首を横に振った。 「それは、許さない……というか、まさかあんたの口からこんな腑に落ちる説明をされるとは思いもしなかった」 サジが思わずこぼした本音に、ヒオウは声を出して笑った。 「尤もらしいことを言ったが、自分への過信と油断が招いたことを片付けてきただけだ。それ故にあの侵入者は断じて許せんのさ。あまつさえ俺のお気に入りお前をねらったのだからな」 ヒオウはそういいながらサジを抱き上げた。 「なにを」 「不快な思いをしたろう。少なくとも俺は不快だ。よりによってあの貧弱な腕の鎌で、お前の体がどこか傷ついていないか。低級な穢らしい血がお前の肌に付きはしなかったか。そんな事態を招いた自分と、あの憎たらしい雑魚を考えるとな」 ヒオウはサジを寝台の上に放った。  寝台の布団は綿を増やしたのか、絹の敷き布と共にサジの体を夕べより柔らかく受け止める。  サジが急いで身を起こそうとすると、それをヒオウは腕をとって押さえつけた。 「入念に調べないと、気が済まんな」 冗談めかした口調だが、ヒオウの目は笑っていなかった。  それを見たサジの腕から、ふりほどこうとしていた力が抜けてゆく。 「怪我はしてない……怒っているのか?」 「さて。そう見えるのか」 サジの静かな問いに、ヒオウは楽しげに答えた。  その言葉を聞きながら、サジは恐ろしい事に気がついていた。  そうだ。ヒオウはサジの思考を読めるのだ。  自分からヒオウには言っていないのに、この蟲人はまるでお互いの共通の知人のようにフウレイの名前を出したではないか。 「隅から隅まで読めるわけじゃない。お前にわかりやすく説明しようとして、以前お前の目を使って遊んだときにお前が見ていた者の名前をかりただけだ」 こわばったサジの胸元に唇を落としながら、ヒオウは言った。 「安心しろ。お前の友人達を知っているからと言って、そいつ等をどうこうするつもりはない。お前が手元にあるうちはな」 ヒオウは、浮かんだばかりのサジの恐れを読んで答えている。  安心しろというその言葉に含まれる脅しに、サジの体の芯がじんと疼いた。 「いや……」 最近サジの体は、ヒオウの体だけでなく言葉や態度、仕草にも敏感に反応する時がある。  今、ヒオウに全てを掴まれていると感じた途端、ぞくりと泡がはじけた気分になった。  こんなのは嫌いなはずだった。好きじゃない。  首を振ってそうつぶやきながらも、サジはヒオウの手に促されるまま体を解いていった。  複数のルーツを持つらしいヒオウの肌は、蛇のようにするりとしている。  後頭部には大蜘蛛の足が髪のように無数に伸びている。  抱かれながらサジはムユマの蚕のような後頭部をふっと思い出した。  触れば心地良さそうな、でも。 (俺は、見慣れたヒオウのこっちの方がなんだか好きだ) ヒオウの指が腰に触れたのをこそばゆく感じながら、サジはぼんやりとそう考えた。  そっと手を伸ばしてヒオウの後頭部に触れると、思ったよりも柔らかい手触りだった。  ムユマほどではないものの、聴毛らしきものにふかふかと覆われた蜘蛛の足は微かに反応し、サジの指先に軽く絡む。  ヒオウの指がサジの腰の奥、小さな窪みに触れる……それがいつもより優しい気がした。 「あ」 無意識の声がでて、サジは自分で驚いた。  いつもは最初のここで声を出したことはなかった。 「ここも心地よくなってきたか」 ヒオウはそのまま指を奥に進めた。  そんな、とつぶやきながらサジは目を閉じた。  その窪みをゆっくり解し始める指先は、そういえば最近はこんな風に優しい。  今まで獣魔狩りで済ませていた頃は勿論、ヒオウにさらわれてからも、こんな感じ方は無かった。 「ん、ヒオ……」 ヒオウの指が中にもう一本入り込んできて、サジはひくんと震え、無意識にそっと足を開いた。  ――多分今までは俺も抵抗していて、強姦みたいになることが多かったから。  ――だから今のヒオウが優しいとか錯覚してしまって。  ――いや、少しづつ俺は……。  そこまで考えて、サジは自分への言い訳を放棄した。  腰を浮かされ、ヒオウの熱の先端が潤みを帯びたところにあてがわれたからだ。  このすぐ後に、壊れてしまいそうな程の快感に呑まれる事を知っている。  考え事をする余裕など失ってしまうだろう。  やがて、人とは少し形の違うそれがゆっくりと内壁を圧迫してくるのを感じ、サジは目を閉じた。

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