10 / 13

青い糸を買いに 後日

 お前、上客をつかんだなあ。  色宿の主人に言われて、鈴蘭は首を傾げた。  主人は彼を大部屋からちょうど一つ空いていた個室へと移した。  個室は宿で上位の者しか持てない。  鈴蘭は新顔の中では確かに稼ぎがあるほうだったが、この宿の部屋もち組と比べるとまだまだ常連が少ない。 「おとっさま。何かの間違いじゃないの?俺がの旦那さん達はみんなそんなお金持ちじゃないと思う」 素直な彼の問いに、主人はあきれて、 「馬鹿だなあ、そこは喜ぶんだよ」 と苦笑いする。  聞くところによると、遠目に鈴蘭を気に入ったどこぞの旦那がおり、彼が部屋を持てるよう手配してきたという。 「まだお前を抱いていないのに、部屋もちになれるくらいの金を出してきたのさ。気が向いたら顔を出すとのお言葉だ。口止めされているから誰とは聞かんでくれよ。破ったら頂いた金は返さねばならんのだ――まあ今後も今まで通り客は取ってもらうが、部屋持ちになったからにはしっかりやってくれ。まあ夜までは休むといいさ」 鈴蘭にとっては余計謎が深まるようなことを言って、主人は部屋を出て行った。  部屋には小さな箪笥や衝立。  布団が今までと比べて上質だった。  つくろった部分がある所を見ると新品ではないようだが、肌触りのよい青い絹の敷き布。 「つやつやだ」 その上に横になると、甘い香がふんわりと香った。  いったい誰がこんなことを……と考えてみるが、皆目見当がつかない。  そのうち顔を出すようなことを言っていたようだし、その時になったらわかるか……と鈴蘭はそこまで考えて、ふと異変に気がついた。  目の前に、ぼんやりと陽炎のようなものが見えている。  すぐ目の前に、誰かが自分と同じく横たわっている…同じくらいの年格好の……。  そうしているうちに、かすかに声も頭の中に響いてくる。   聞こえてきたのは、甘い甘い喘ぎ声だった。  その声には覚えがある。  かつて思い焦れた人の声だ。 「サジ?」 思わず呼ぶと、目の前の白い肢体はくっきりと浮かび上がった。  青い敷布の上で何者かに抱かれて乱れているサジの姿だった。  抱いているのが誰なのかはボンヤリと陰って解らなかった。  鈴蘭は熱にわななくそのサジの姿に見入った。  切なげに首を振り、潤む目を何者かに向けながら、やがて力を抜いてそっと足を開いてゆく。  吐息や瞼、唇、指先、一つ一つがどこに触れられ何をされているか解るほど、感情豊かに匂い立っていた。 「サジ、可愛い」 鈴蘭は微笑んだ。 「もし俺だったら、きっとサジをこんなに可愛くできない」 鈴蘭は切なく喘ぐ彼の片手に自分の手をそえた。  触れた感触はない。  この現象に、鈴蘭の中で一つ思い当たることがあった。  天鏡館時代に学んだものだ。 「幻夢香……」 幻夢香とは、香を使った記録術だ。  匂いで様々なものに記憶や事柄を記録する。その媒体は術者の力量によって様々だ。  高度な技術を要するので、人間、亜人を問わず使える者は多くない。   横たわったまま鈴蘭は、ふふ、と笑った。 「この部屋をくれたひと、わかった、かも」 敷布にまだ残る甘い香をかぎ、大きく伸びをする。 「サジの旦那さん……かな?噂は早く回るし。俺への忠告?警告、かな。お前にはサジをここまでにはできないだろうって、伝えてきたのかな」 そんなの、わかってるよう。  敷布に顔をうずめて、すこし寂しげにつぶやく。 「あんなのを見せてきて意地悪なのか、こんな部屋をくれて優しいのか、どんな人なんだろ。もし会える日が来たら聞こうかな」  香りの範囲は浅く、敷布に直接横たわった者にだけサジが見えた。  また、敷布に染み込まされたサジの様々な記憶は、香の匂いが消えるまでの数日間続いた。 。  その間、客を取った時は、鈴蘭は幻のサジと一緒に抱かれていた。  サジはヒオウに、鈴蘭はその時の客に。  サジがうつ伏せで抱かれるときは客に同じようにねだり、別の体位で抱かれているときもまた同じものを望んだ。  大好きなサジと一緒の場所で同じように抱かれていると思うとかえって気が高まって感じやすくなり、客から妙に受けた。  サジの夢を見なくなってからは、その寂しげな風情がまた客に受けた。  ヒオウの仕業は鈴蘭がおおかた予想した通りだった。  サジへの強い独占欲と、鈴蘭への少しの憐憫だ。  その結果見事に部屋持ちの男娼にふさわしい色気を身につけていったことは、彼の計算の内であったのか、それは定かではない。

ともだちにシェアしよう!