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第13話

結局、部屋に戻る事になった静は、何もすることがないので塵一つ落ちてない部屋の掃除をする事にした。 本当に人が住んでいるのか疑いたくなる部屋は、静が来る前に比べれば生活感が出ていた。 生活感といっても、ある一定の場所が散らかっているだけだ。 大学で使う蔵書や、参考書、静の服や靴。それが居心地が悪そうに、特注で作らせたのであろう華美な家具の横に固まっていた。 静が来る前はハウスキーパー等が掃除をしていたのだろうが、静がこうして一緒に住む様になってからは、その類いの人間を見た事が無い。きっと、大学に行っている間に部屋を掃除しに来ているのだろう。 相馬や、まして心が部屋の掃除をしていることなんて、想像もつかないし想像したくないイメージだ。 組員が掃除しているかと思ったが、ハウスクリーニングのバイトもしたことがある静の目から見ても、隅々まで掃除が行き届いているのが分かるのでプロの仕事だろう。 「掃除するって言っても、どこも掃除するとこないしなぁ。…あ」 静の瞳に写ったのは使用者が居なくなった、吸い殻で溢れ返った灰皿だ。 心が帰ってくるまでの間、間違いなく静は使わないし、完璧に手入れの行き届いた部屋にはあまりにも不似合いだ。 「この灰皿、捨ててやろうか。たっく、副流煙で絶対俺、身体おかしくなるぜ」 文句を言いながら静が灰皿を手に取ろうとしたとき、ガタガタと入り口で騒々しい音と複数の声聞こえた。 成田が仕事が終わって部屋に来たのかと扉に近付けば、勢い良く扉が乱暴に開けられ思わず身構えた。 傾れ込む様に部屋に入ってきた男は、静の顔を見ると口角をあげてニヤリと笑った。 「はぁー。あんた等がワシを入れたあらへんかった理由はこれか」 複数の組員がここに入るのを阻止しようとしたのだろう。どこにこれだけ隠れていたのかと思うほど、見たこともない面子が男の身体を押さえていた。 「誰だ…あんた」 「ほぅ、見た目にそぐわん男やのぉ。僕とか言わへんのか」 「眞澄さん!マジで困ります!組長も若頭もおらんのに!」 後ろから出て来た成田が慌てて“眞澄”と呼ばれた男を止めている。静は諦めに似た溜め息をついて、入り口でもみくちゃになっている男達に近付いた。 「成田さん、この人アイツの知り合い?」 静の声に、成田がハッと顔をあげる。 「…あ、はい」 「アイツって?なんなん?成田には“さん”つけといて、心のことアイツ呼ばわり?」 ゲラゲラ笑う眞澄に、静は眉間に皺を寄せて怪訝な顔を見せた。 「アイツに用?あんた」 睨み付けながら問う静に、眞澄はまたゲラゲラ笑った。 「あんたやって言われたん久しぶりやわ。心は居へんのか」 「…大阪」 「大阪?風間のオヤジか…。まあええわ、お茶くらい出してくらはるやろ?」 纏わりつく組員を払いのけ、眞澄はズカズカ部屋に入っていく。成田が慌てて止めようとしたが、静がそれを制した。 「大丈夫。アイツの知り合いだろ。何かあったら呼ぶから」 「いや、せやかて」 「大丈夫だって」 躊躇う成田達を仕事に戻らせ、静は部屋に入った。 この眞澄という男、仕立てのいいスーツを着ているがその容姿や髪型のせいか、極道というよりもホストに見える。 その髪型は茶髪で、無造作にセットされたスタイルはいかにも遊んでいるという感じだ。 だが長身で鍛えあげられた身体は、スーツの上からも明らかだ。そして切れ長の双眸の奥は堅気の人間ではない、漆黒の闇が怪しく光っていた。 どこか心に似た双眸。いや、その強い目だけではない。よく見ると、顔もそっくりだ。 そういう格好をしているので、ぱっと見た感じは分らないが、そうだ、背格好も顔もまるで双子のように似ている。 まさか、血縁者か? 「心が情婦を囲ってるって、ほんまやってんなぁ」 いきなりの発言に、静の身体がビクリと震えた。 「まさか男やとは思わんかったわ。まあ、あんたはべっぴんはんやさかい、心が囲うんも無理あらへん」 「オマエ、そんな事わざわざ言いに来たのか?」 怒りに握りしめた拳が震える。吐き気がする。 拉致された時の大多喜組の組員の言葉が、まざまざと思い出される。いつでも何処でも、この容姿のせいで女扱いだ。 客を取れ、脚を開け。罵声と共に浴びせられた言葉は、静の心に刃となって突き刺さった。 「おなごやったらどないな極上なっと思ってな、心は引く手あまたやのに固定のおなご作らんでなぁ。ヤりまくっても、甘い言葉一つ囁かんて有名や」 面白い話をするように眞澄はソファに腰掛け、長い足を組んでみせる。静は苛立ちを隠さないまま、眞澄を睨みつけた。 「俺は金を借りただけで、情婦じゃない」 「ウソウソ、知ってるし。ワシは今日はなぁ、味見してこい言われたんや」 「え……?」 静は一瞬、目の前がぐらりと揺れた気がした。話の意味が分からなくて、静が眞澄を凝視する。 そして眞澄のその顔を見て、静は失敗したと慌てて戸口に向かったが、その身体を眞澄が素早く捕まえ抱えあげた。 心の香りとは違う匂いが鼻を掠め、静の肌が粟立った。 「は、離せ…離せ!!」 バタバタ暴れる静の身体を勢いよくベッドに放り投げ、眞澄の身体が静の身体に重ねられる。 「散々、可愛がってもろてるくせに、何をかなんがってんねん。あんたになんぼほど心が大枚叩いとる思うてんねん。かなんがる資格あるんか。味見してこい言わはったさかい来たんやで、楽しませんかい」 上から見下ろされ、放たれた言葉に静が愕然とする。 やはり心は極道だったということか。暁の家に行かせずここに止まらせたのも、こういう“仕事”があるから。 刹那、静は自分の身体が冷たくなるのを感じた。 やはり極道は極道なのだ。信じる人種ではなかった。 自分はこうして否が応でも男に身体を拓いて、借りを返さないといけないのだ。 抵抗をやめた静に、眞澄が“初めっからそないしときぃな”と至極ご機嫌に、静の服に手をかけた。 「なんや、こないなとこまでマーキングかいな」 朝、出掛けにつけた心の刻印を眞澄が指でなぞる。“浮気するな”と心は言ったが、何のことだったのか。 テキパキ脱がされていく服を横目で見ながら、静は心に大きな闇が出来た気がした。 ここで抵抗して、入院してる清子になにかあってはいけない。妹の涼子に何かあってはいけない。 もう…疲れた…。 身体を差し出して済むなら、もうそれでいい。結局、何処へ行っても自分の役目はこういう事になるんだ。 眞澄の手がジーンズに手がかかり、静はゆっくり瞳を閉じた。 「そこまでですよ」 それを阻止したのは声だった。聞き慣れた相馬の声。 相馬はいつの間に入ったのか、眞澄の後頭部に銃を突きつけていた。 「相変わらず…気配消すんは流石の技やな、北斗」 静から瞳を離さずに、眞澄が口角をあげ静の頬を撫でる。 「お褒めいただき光栄です。眞澄さん、静さんから離れてください」 「静?静ゆーん?名前もええなぁ」 「引き金を引きますよ」 相馬がいつまでも静から退こうとしない眞澄の頭を、銃口でコツンと突く。 「阿呆。そへんな事どしたら、静の顔にワシの脳みそ飛び散るやんけ…大体、大戦争なんで?」 「静さんに手を出したら、鬼塚は喜んであなたの組を潰すでしょう。あなた、あれの性格をよくご存知でしょう?」 「なんや、本気かいな…」 眞澄は諦めたのか、微動だにしない静の上から身体を退けた。相馬はすかさず、眞澄に銃を向けたまま静の身体に布団をかけた。 「やれやれ、北斗がおるなんて予定外や。まさか、あいつがお前を置いて行くなんてなぁ。せやかてええんかいな、あいつ1人で大阪やって。(たま)取られても知らんで」 「易々取られるなら、それまでの男だという事でしょう」 ニッコリ微笑みながら相馬が目配せすると、入り口に構えてた成田達が部屋に傾れ込み眞澄の両脇を固めた。 「あんたみたいな薄情なんが若頭なんて、心が気の毒やわ」 眞澄が言うと、相馬は成田に銃を渡し、息を飲むほどの秀麗な笑みを浮かべた。 「薄情で結構。でも静さんに手を出すのは、私も面白くない。鬼塚がここに居なかっただけ、良かったと思ってください」 「心がおったら?」 「あなたは死んでます」 間髪入れずに放った相馬の言葉に、眞澄はニヤリと笑った。 「おっかないなぁ、鬼塚組は。まあ大人しゅう居ぬわ。ホテルまで送って」 ゾロゾロと組員が眞澄を連れて部屋を出て行き、相馬は深い息を吐いた。 「申し訳ありません、静さん」 かけた布団から見えた顔に話しかけたが、返答がない。 「静さん?」 「平気だから」 「は?」 静は布団を払い除けると、相馬の腕を掴んだ。 「あいつとヤレるから。呼んできて。母さんが…涼子の…」 「静さん!?」 「ヤレる!!大丈夫だから!呼んできて!!母さんと涼子にひどい事しないで!!」 縋り付く静に相馬は呆然とした。縋り付いて、大丈夫と震える静の身体は驚くほど冷たく、その目は恐怖に脅え、あの芯の強さは消え失せていた。 ずっと緊張を保ったまま生きて来た静の、糸が切れた瞬間だった。 静が壊れた…。嗚咽を漏らしながら泣き喚く静に、相馬は本当に眞澄を殺しておけば良かったと一人思った。 それからの静は、見たことがないほど狼狽していた。自我が保てずに、今の現状も把握出来ていない状態だった。 相馬には気を許していたと思ったのに、その相馬にさえ怯え、威勢の良かった静はどこへいったのか食事も取らずに部屋の隅でガタガタ震えているだけ。 本当に眞澄の相手をしなかった事で、家族に危害が加えられると思っているのか。 ずっと追い込まれ続けて来た静は、どこか少しは心や相馬に気を許していたのだろう。 それが眞澄の出現で裏切られたと感じたのかもしれない。やはり、極道なんだと絶望したのか…。 「静さん、何か食べて頂けませんか?ずっと召し上がってないでしょう?」 部屋の隅で小さく膝を抱える静に相馬がそっと語りかけるが、静の綺麗に澄んだ瞳には何も映ってなかった。 泣き疲れ、目は腫れ、時折しゃくり上げるが相馬の方に視線を寄越す事はなかった。 これは、本格的に拙いかもしれないと相馬は息を吐いた。 「では…ここに置いておきますから、食べてくださいね」 相馬はそう告げると、手に持っていた食事の乗ったトレーをテーブルに置き部屋を出た。 静に付いていたいのはやまやまだが、心が居ない今、組全体を相馬が仕切っている。 組以外に大きな資金源となっているフロント企業の取引すら待たせてる状態で、それを放置するわけにもいかなかった。 だからとて関西に居る心にこの事が知れようものなら、心は全てを投げ出して飛んで帰ってくるに決まっているし、未遂とはいえ眞澄が静に触れたことは事実。戦争も有り得ない話ではなかった。 どちらに転んでも、痛い話だ。 「久々に、イライラしますね」 誰に言うわけでもなく、相馬は呟いた。 1人部屋に残された静は、膝を抱えたまま微動だにしなかった。きっと空腹のはずなのに、食べ物を見たくなかった。 ただ絶え間なく、いつまでも眞澄の言葉が頭で繰り返し流れていた。 ”味見してこい”心が眞澄に本当にそう言ったのか。 大多喜組に金を払わすだけ払わせて何もさせなかったから、心は自分を売ったのか…。 極道の退屈しのぎにされたのか、見た目が女くさいから遂にそういう専門の店に売られるのか…。 優しさも執着も全て偽りだった? 結局、骨の髄まで吸い尽くされ、役に立たなくなれば身体を切り刻んで売り飛ばされるのか。 相馬や他の組員も、自分を監視しているのかもしれない。逃げ出さないように。 もう誰も、誰一人信じられない。 静は震える身体を自ら抱き締め、零れ落ちる涙を拭うことなく、ただ泣いた。 こんな事はなんともない。母さんや涼子が幸せに、不自由なく生活出来れば、なんてことない。 その夜は結局、仕事に追われる相馬は静に会いに行く事さえ出来なかった。ようやく仕事が片付いたのは、あと少しで夜が明けるだろうという時間だった。 兎にも角にも、あの状態の静が心配でたまらない相馬は、休む事無く静の元へ急いだ。 だが、もう寝ているであろうと思った静は何時間そこに居るのか、相馬が出て行った時のままの場所に居た。 「…静さん」 抜け殻のような静に、相馬は初めて自分が狼狽えている事に気がついた。 静を長年知ってるわけではない。知り合ったのは、つい最近の話だ。 もしかしたら、過去にも何度かこんなことがあったのかもしれない。 今までは普通の生活ではなかった。休むことなく常に追われ、息を殺して生きてきたんだ。 壊れても不思議でははないし、ここまで気丈にしてこれたことが反対に奇跡なのかもしれない。 だが何か変だ。 「…ないんだ」 「…え?」 蚊の鳴くような声が聞こえて、相馬は静を見た。 「眠たくて、寝たくて、なのに眠れないんだ」 「わかりました。睡眠薬をお持ちしましょう」 相馬は静が口を利いてくれたことに、どこか安堵して微笑んだ。 少しは落ち着いたのだろうか。とりあえず睡眠薬とビタミン剤を持ってこようかと考えながら、相馬は静に背を向けた。 「一緒に寝てくれない?」 その背中に掛けられた声に相馬は思わず立ち止まり、ゆっくり振り返った。 「……今、なんと?」 「一緒に寝てくれない?」 静の突然の申し入れに、相馬は耳を疑った。 「寝る…んですか?ベッドで?」 相馬が確かめるように聞くと、静は小さく頷いた。だが、相馬はそれに呆然とした。 そんなこと出来るわけがない。静は心が生まれて初めて執着した人間で、誰よりも何よりも大切にしている事を相馬は知っている。 その静と一つのベッドで寝るなどと、それは心に対する裏切りで心に殺されても文句は言えないことだ。 「睡眠薬では…?」 動揺を隠すようにポーカーフェイスを装い、相馬は穏やかに微笑んだ。 「わかった」 静はそれ以上要求こそしなかったものの、あの静が一緒に寝てくれなどと言うとは…。 静の弱り方は、火をみるより明らかだった。まさか自ら命を絶つようなことはしないだろうが、監視は付けておかなければいけないかもしれない。 相馬は大人しく膝を抱えて座る静を見届けて、部屋を出た。

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