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第17話
「み、そのさん?相馬さんと知り合いなのに、こんな事して悪いと思わないのか?そもそも、同じ会派の人間でこんな揉めごと」
「あら、こっちゃん世界にちびっとは詳しいんやね。やて、眞澄がやる事に俺らは何も言えんのよねぇ。忠誠誓ったことやし…頭に物申すんは命懸けやねんよ。気安うそないなことが出来はるんも、相馬くらいやろうねぇ」
御園はそう言うと、にっこりと微笑んだ。
「こへんな所に居てもなんやし、中に入りよし」
手招きする御園に静は躊躇ったが、この敷地から出るには成田を倒したあの屈強な男達を相手にしなければいけない。
無論、それは不可能な事で、そんな事をすれば間違いなく自分は殺される。
何をされてもいいが、自分が死ねば清子達が困る。
何をされても受け入れて…死ぬのだけは免れないと…。
静はそう思いながらも、締め付けられる胸の痛みに涙が出そうになったが、それを隠すように唇をキュッと噛み締めた。
外から見ても立派さが目に見えたが、中は驚くほどの日本家屋独特の気品が溢れていた。
古い家屋の懐かしい様な香りが鼻を掠める。
入ってすぐに、天井まで聳える太い柱が目に飛び込む。その色合いから、この家がどれほどの歴史が刻まれているのか手に取る様に分かった。
そのまま長い廊下を歩いていると、開かれた様に光りが廊下を照らしていた。
「…うわ」
縁側から見えた中庭に、静は声を上げた。
中庭だけでも一軒大きな家の建ちそうな、そんな広大な庭。中央にある瓢箪型の大きな池には、立派な橋まで架かっていた。そしてその隣に聳え立つ桜の木は、樹齢を相当迎えているであろう立派なものだ。
「ええやろ。眞澄の一番のお気に入りスポット。俺も好きやけど、冬にならはったら見物やで。雪で一面真っ白や」
「へぇ…」
「また散歩でも、しやはったらええわ」
御園の言葉に静はただ頷いた。
そこから更に奥へ進み連れてこられたのは、ただの客間だった。いや、ただの客間ではない。
一人で使うにはあまりにも広く開放的な部屋で、大きな窓からは枯山水と呼ばれる日本古来の庭園様式の施された庭園が見えた。
水を一切使わずに、石や砂などにより山水の風景を表現するそれは、まさに芸術だ。
あまりの見事さに、ここを何所だか忘れ詠嘆してしまう。静はそのまま床に腰を下ろし、暫し窓からの芸術に見入ってた。
心の部屋にはない畳の青臭さが心を落ち着かすのは、日本人の性か。
「堪忍な、急な客人やさかいに、そへんおもてなし出来んで」
極道におもてなしなどあまりされたくはないし、この窓からの芸術だけで十分だ。そう思いながら、静は頭を下げた。
「…俺、」
「帰りたい?」
「え…」
自分が何と言葉を発しようとしていたのか、忘れる程に間髪入れずに御園は言った。
「無理な相談やわぁ。そへん勝手したら、眞澄に殺されるし」
「俺なんか捕まえても、アイツは動かないよ」
「アイツ?…心はんかいな」
「俺はアイツに金を借りてるから、それで俺を捕まえて……」
「情人になってはるん?」
御園の言葉に、静がハッと顔を上げた。御園は相変わらず気怠そうに欠伸をして、畳の上に寝転がった。
「金借りたて、なんもあないなトコから借りんでも。そもそも、学生が借りてまでなんに使うん?学費か?」
「………」
正確には、静自身が借りた訳でも、静の父親が借りたものでもない。人の良い父親が、友人の保証人になった末の事だ。
だが、それを言い訳の様に言うのも癪で、静は黙った。
「だんまりかいな…。ああ、大多喜組関係あるはる?」
「えっ!?」
「あー、あるんやぁ。急にあへんな事なるさかい、変や思ったら。へぇ…」
意味深な御園の言葉に静は”何が”と問い詰めたいが、それも怖かった。
知ってはいけないと、どこかで警告する自分が居たからだ。
「御園さん、よろしいですか」
襖の向こうから声がして、御園が閉じていた片目を開ける。
「あんはんと話しときたいんやけど、俺も忙しいんよねぇ…。邪魔くさいわぁ…まあ、ごゆるりとしとき」
御園はそう言うと起き上がり、今だに呆然とする静の肩をポンと叩いた。
「屋敷ん中なら好きに歩き。庭に出てもかまへん」
御園はそう言葉を残すと、部屋をあとにした。残された静は急に変わった環境について行けず、そのまま畳に身を倒した。畳の香りが鼻孔を擽り、懐かしさが込み上げる。
取られた家の父親のお気に入りは客間だった。日曜日ともなると、そこで昼寝をしていて妹と三人で川の字なんか作ったりしていた。
あの時、父親はどんな顔で自分を見つめていただろう。思い出そうと必死になっても、思い出すのは水に濡れ、窶れ、変色した最後の姿…。
「…父さん」
呟いてみても、返事はない。静は喉の奥に詰まったものが出そうで、息を飲んだ。
何時間そうしていたか、気がつくと部屋の中は真っ暗になっていた。陽が落ち、少し肌寒い。
眠ることもなくただ横になっていた静は、固まった身体を解すように身体をゆっくりと動かす。
ポキポキと関節が鳴り、その音だけが静寂な部屋に響いた。起き上がり壁に凭れて座ると、音もなく襖が開いた。
「なんしてや、明かりもつけんと」
廊下の電気が逆光となりシルエットだけしか分からないが、この声は眞澄だと静は身体を強ばらせた。
出掛けていた眞澄が、帰ってきたのだ。
「睨みなや、愛想ないなぁ。暗いのがええならつけへんわ」
そう言うと襖を閉め、ゆっくり静に歩み寄った。
「おっかない顔しよんな、わしが憎くてしゃーない顔やな」
眞澄はそう言いながら、膝を抱える静の身体を押し倒した。軽い静の身体はゆっくりと畳の上に転がり、そこに眞澄が覆い被さる。
心とは違う香りに、静の胸に黒い物が渦巻いた。
「前もそへんやったやけど、急に大人しなるな、静って」
クスクス笑いながら、静の服の下から手を入れた。
ピアノでも奏でるように静の身体を弄り、時折、指の腹で撫でる。感覚はあるものの、何の抵抗も見せない静に眞澄はため息をついた。
「威勢のええ静姫が好きやのになぁ…。まぁ、そへん大人しく出来んくらい、今から善がらしたるさかい」
眞澄は乱暴に静の上着を脱がすと、白い首に舌を這わした。
「マーキング。静は色白いさかい、なかなか消えへんのぉ」
心がつけたキスマークの痕に眞澄が噛みつくと、さすがに痛みに身体が震えた。
心と逢わなくなって、そんなに日が経った訳でもないのに、もう何ヶ月も逢ってない気がする。その事が、静の胸にポッカリ穴を開けた。
だが静はそれが何故だか分からなかった、分からないフリをした。
「お楽しみんとこ悪いけど」
襖の向こうから、聞き覚えのある気怠そうな声がした。声の主は御園だ。
だが眞澄は静の身体を貪るのを止めずに、臍の辺りに軽く噛みつく。
「聞いとる?風間のオヤジが、呼びよるで」
流石に”風間”の名前が出ると眞澄は片目を開けて、閉じられた襖の方に目をやる。
「…なんやて」
「あんはん、何で今、心はんが関東から来たはる思うてるん。如月組との戦争あるさかい呼ばれはったんやで」
「仁流会に喧嘩売って勝てる訳あらへん。心もおるさかい、わしがおらんやてええやろ」
「行かへんと怪しまれんで。心はんの耳に静はん攫ったん入っとったら」
「…チッ」
御園の引かない様子に、眞澄が苛立つように頭を掻いた。
「まあええわ、楽しみはこれからや」
眞澄は静の上から退くと、部屋から出て行った。
静かになった部屋に、自分だけの鼓動が聞こえる。真っ暗な部屋の真っ暗な天井の木目は、今にも迫り来る勢いで静を見つめる。
上半身裸のまま、静はその木目をただぼんやり眺めていた。
心は静に酷い事も乱暴にしたこともなかったし、こうして上半身裸で放り出す事はしなかった。いつも離れる時は布団ごと自分を包んで、キスを落としていた。
今、こうなってみて、いかに自分が大事にされていたか分かる。
掌に痛みが走り見ると、握り締めていたのか爪の痕がくっきりつき血が滲んでいた。静はその手を抱きしめるようにして横向きになると、身体を丸めて震えた。
関西の中心地に、偉容を誇る高層ビルが建つ。このビルを見ても、誰も極道の所管するビルだとは思うまい。
だが石碑に彫り込まれた風間建設という文字が、重々しい会社だというのを醸し出していた。
建設会社というのは表向き。中は様々な課に分かれていて、建設業界が下降線の今、稼ぎ頭は今も昔もファンドだ。
極道と言えども従業員は堅気が多く、一般企業となんら変わりはない。そのビルの最上階、一般社員の立ち入ることが出来ない階に心達は集められていた。
最近、風間組の島で好き放題やっている如月組の事だ。若い組というのは、怖い者知らずだ。
後ろ盾に止める者が居なければ、天下を取ろうと戦争をしかけてくる。ご時世はご時世でも、極道の世界はいつまでも下剋上を夢見る戦国時代だ。
フロア半分を使った部屋にはバーカウンターやゆったり座れるソファが置かれ、壁一面の窓からは街並みが見下ろせる。
フロアにはボーイの姿も見られ、ちょっとしたパーティーのようだ。その中で、心がウイスキーを片手に寛いでいた。
「…心」
部屋に入るやいなや、眞澄は心に近付いた。眞澄の顔を見ると、心は口元を微かに歪め笑った。
「よぉ、眞澄」
「今日はお目付役はどこなん」
「北斗か?置いてきた。俺一人で充分やし」
「ふーん」
眞澄はほくそ笑むと、心の隣に腰掛けた。
もしかすると静が攫われてる事が耳に入っているかと思われたが、心の表情を見る限りは優秀な若頭の相馬はまだその事実を伝えていなかった様で、眞澄は鷹揚に構えた。
「えらい機嫌ええな。お前、あの腹黒は」
「ん?ああ、御園かいな。わしも家置いてきた。今日、戦争なるわけやあらへんし」
眞澄に気が付いたボーイが、ウイスキーグラスを運んできた。眞澄はそれを受け取ると、嗜む程度に口に付けた。
周りの組長連中は長老組。孫が居る年の者も多いだろう。その孫とあまり変わらない歳の心を、遠巻きに見ている。
若い若輩者がと言いたいのか、それとも心に恐れを成しているのか。
「お前、オヤジは今日は来んのか」
心はそんな事を対して気にも留めず、ウイスキーグラスの氷を指で掻き回した。
カランと、氷とグラスの当たる音が二人の間に響いた。
「今日は家や」
「ふん」
眞澄の父親、三代目鬼頭組組長鬼頭信次は、心の父親、清一郎の妹の旦那だ。なので心と眞澄は、正真正銘の従兄弟同士になる。
だが心はずっと存在が知られずに来たため、眞澄と心が顔を合わしたのも心が鬼塚組組長を継承してからだった。
「ああ、どやされる前に言うとくわ。今日、実はあんはんとこ行ってん」
眞澄の言葉に、心が表情一つ変えず煙草を銜えた。見事なまでのポーカーフェースだ。
「なんでや」
「遊びにな。まさか風間のオヤジんとこ来たはるなんて、思わんやん」
「どやされるって何や」
心の吐き出した紫煙が、眞澄の視界を霞める。細められた心のその双眸は、鋭さを増していた。
「んー、猫飼うてるて知らんかったさかい、脅えさせてしもた」
「眞澄…」
「北斗にやいと据えられて偉い目遭うたわ。ほんまかなんなぁ、北斗は」
「それだけか」
「そやよ。わしも忙しよって、すぐこっちゃ帰らなあかん羽目なって参ったわぁ」
白々しく言う眞澄に、心は厳めしい雰囲気を醸し出した。
「今後、許可なく猫に勝手に会うたら殺すぞ、眞澄」
眼力で人を殺せるのは、この男くらいではないだろうか。眞澄は、自分に向けられた心の瞳に、武者震いを覚えた。
「ほんま鬼塚組はおっかないなぁ」
ケタケタ笑いながらウイスキーを飲み干すと、静が攫われた事を知った時の心の顔を想像し、眞澄は楽しくて、また笑った。
攫われ陵辱さたと知れば、どうするだろう?また、次を見つけるか?
いや、心がプライベートルームに情人を囲った事は、未だかつて皆無だ。余程、静に入れ込んでるように見える。
静を失し、探しても探しても見つからない事に苛立ち、均衡がとれなくなった時がチャンスだ…。
「心…お前、わしより年下やったなぁ」
「今更なんや」
「いや、老けとるなぁ思うて」
所詮は成人式を終えたばかりの青二才。叩き潰すのも、容易い。
どこにも隙も弱味も何もないと思っていた心が入れあげたのが、よりによって男。
ああいう静の様な見た目に反して中身の男らしいタイプの人間は、同性に陵辱されると廃人になる。
見た目にコンプレックスがある分、衝撃が大きいのもあるのだろう。
しかしこんな楽しい事があるだろうか。初めて逢った時から気に食わない男の、落胆する姿。それを想像しただけで、眞澄の身体は震えた。
そもそも、ハイリスクな同性の"堅気の男"に入れ込んだ心の負けだと、眞澄は腹の中で声を上げて笑った。
「心…」
声に目を向けると、心はウイスキーの入ったグラスを軽く掲げた。
「龍大」
風間 龍大。仁流会風間組、風間龍一の息子だ。
心よりもまた年下だが、肝の据わり具合は流石と言うべきか自分の立場を知ってか知らずかの威風堂々たる様は、いずれ風間組を継ぐ者として申し分なかった。
「龍大、またデカならはったんちゃう?」
眞澄がからかうように言うと、片眉をあげ“成長期やから”と言った。
いつ見てもぶっきらぼうで鉄仮面みたいな表情のなさには、もう少し愛想ようならんかと突っ込みたくなる。
眞澄は面白くないとばかりに、ソファーから腰を上げた。
「俺、あの人、信用ならん」
眞澄の後ろ姿を横目に、龍大が呟きながら心の隣に座る。
すると直ぐさま、ボーイがウイスキーやビールの注がれたグラスをトレイに載せてやって来た。龍大は、徐にビールを取る。
「ビールばっかり飲んどったら、腹出るぞ」
「まだ子供やねん。多目に見て」
カランと、心の指が氷を弾いた。
「信用出来る極道なんか、この世におらんぞ」
「あぁ?」
「あいつもこいつも俺らの首を狙うとる。傘下におっても、皆てっぺん目指しよんねん。お前のオヤジが佐渡を食うたみたいにな」
ニヤリと笑う心の顔が、龍大には夜叉に見えた。
来るならいつでも来いという事か。狙われていると分かっていながら、とてつもなく楽しそうだった。
「……」
「極道は外道や」
至極、正論を言う様に心が言い、煙草を銜える。
「……」
「うちの猫がそう言って噛みつきよる」
「猫なんかいつ飼うたん」
「雨の日に拾ってん…ガタガタ震えた子猫」
どこか嬉しそうな表情の心に、龍大は呆気にとられた。
先程の夜叉の様な顔つきは何所へやら。人間くさい顔も出来たのかと、妙な親近感すら持ったくらいだった。
結局、その日は大した話もなく、ただ心が関西に居る間に傘下に入った組長連中との面通しとなった。
眞澄が屋敷に帰る頃は、もう暫くのちに夜も明けんばかりの時刻で、静もとうに眠っていると思われた。
「お帰りぃ。そん顔は、なんもあらへんかった顔やね」
出迎えた御園の嫌味を鼻で笑い、眞澄は屋敷の奥に進む。
「静やったら寝てへんよ。寝たらええんに、寝れんみたいやわ」
後ろを付く御園の言葉に眞澄は構いもせず、静の居る部屋の襖を開けた。
「待っててくれたん」
膝を抱え、部屋の隅っこに居る静に近づき顔を覗き込むと、瞳も合わせない静の顔を眞澄は軽く打った。
「眞澄!乱暴はやめぇ」
「さっきなぁ、心に会うたわ」
眞澄の言葉に、静が眞澄に視線を向ける。それを満足げに、眞澄は静に満面の笑みを見せた。
「あんたのこといらんて。可哀想になぁ」
眞澄の言葉に、静は一瞬呼吸が止まったように思えた。それくらい傷付いている自分自身に、静は戸惑った。
「仲ようしょうなぁ。静」
眞澄は静の頬に、軽く口づけた。
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