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第38話

埠頭ねぇ…。Vシネかよ。 暗闇に浮かぶ船は大きな鉛の塊の様だ。ゆらゆら揺れている姿は、どこか不気味ささえ窺える。 それを見ながら心は海に煙草を投げ捨てた。 『吉良静を預かっている』 そんなよくあるフレーズと共に添付された画像を、心はスコッチを嗜みながら見ていた。 パソコンに送られてきたメール。画像は静が後ろ手に縛られ、昏倒しているものだった。 どこで心のプライベート用のメールアドレスを入手したのか、そもそも、静のことをどう調べたのか。 『一人で来い』 指定された時間と場所。それ以外に要求がなかった。ということは引換券は命か? 心はニヤリと笑った。 書斎机に足を置き、椅子の背凭れに思いっきり体重を掛ける。だが最高級と謳われた椅子は何の音も出さなかった。 相馬に連絡するつもりは端からなかった。こんな楽しい事を、あのこ五月蝿い男に話せば最後、オープニングからエンディングまで、演出、出演が全て相馬になってしまう。 「ふーん」 だが相手は誰だ?どこの組か考えても、思い当たる節が多すぎて検討すらつかない。 鉄砲玉の線もあるし、身内というのもあり得る。 組内部なら笑うなと思いながら、何よりも、どう、このビルから抜け出そうか思案する。 あちこちに設置された防犯カメラ。 フロントロビーなんかにうっかり降りてしまえば、どうしたのかどこへ行くのか、セキュリティ室から組員が飛び出してくるだろう。 常日頃から心は外出をしない。なのでもし、外出するとなれば大騒ぎになるのだ。 幸か不幸か相馬も崎山達幹部連中は不在だ。 心はデスクに置いてあるモニターのスイッチを入れた。 『はい、セキュリティ室』 直ぐさまに、セキュリティ室に控えている組員から応答が返ってきた。 「今日の警備は誰や?」 『岡村達です』 「わかった」 心はスコッチを一気に飲み干すと、立ち上がった。 こういう時、フロントの監視カメラは厄介だな。 セキュリティに関しては、二階から上は何処かの要塞並みだ。きっと心の今の行動も、監視カメラで見られているのだろう。 だが二階には心の酒蔵があるのだ。何もアクションがないということは、そこへ行くのだろうと思っているはずだ。 そう考えながらエレベーターを降りる。エレベーターを降りて左側の奥に酒蔵はある。 そこへ向かいドアを開け、わざと足下に鍵を落とす。そして、それを拾う振りをしてカメラの死角に身体を隠しドアを閉めた。 上体を低くして、熟知している監視カメラの死角を縫う様に歩いて、非常口に出てカメラを確認しながら階段で駐車場に降りた。 灯りが落としてある駐車場は真っ暗だった。電気を点けた途端にセキュリティ室にバレるな。 心はジーンズのポケットから、ポケットライトを取り出した。辺りをチラチラ照らす。 そこには心の数多くの車のフォルムが、闇に浮かんでいた。 その端のスペースに作られた整備場にある、フルベアリング・チェストに近づく。 引き出しを開けると沢山の工具があり、その中から目的の物を見付けた。銀色に怪しく光るスパナ。それを三つほど手に取ると、また来た道を戻る。 まるでコソ泥だなと思いつつ二階に戻った心は、その奥にある部屋の前で立ち止まった。 セキュリティと書かれたプレートを見て、ニヤリと笑う。そして観音開きのドアノブの取っ手に手に持っていたスパナを固定して、ワイヤーで縛った。 「ふんっ」 セキュリティ室はこれで完了だな。 心はエレベーターで上に上がり、部屋に戻ると用意していた荷物を持って部屋を出た。 フロントロビーに降りると、入り口に人影が見えた。 心は咄嗟に手に持っていた荷物を床に置き、足で蹴飛ばしロビーにあるパキラの鉢の側まで滑らした。 「…え?」 入り口から入ってきた男は心に驚いた声を上げた。 スーツ姿で、がっちりとした身体に少しウェーブのかかった髪。甘みのかかった顔でホストみたいな奴だなと思いながら、心は、見覚えのない男の顔を見てニヤリと笑った。 「お疲れ様です」 心が言うと男はきょとんとした顔をした。 「え、あ、え?組長…?」 「え?俺が?違います」 ジーンズにシャツ。どこまでもラフな恰好の心を上から下まで見ると、”あれー?”と一人呟く。 「何か似てる気がするけど」 男はおかしいななんて言いながら、頭を掻いた。 「まあ、組長見たの写真だけだしな。ってか、誰?来たばっかり?」 「はい。…佐野です」 考えてから、一番長く使っていた旧姓を使った。 やはり鬼塚と名乗るよりもしっくりくるなと思う。 「来たばっかり?俺もなんだよね。野垣っての、よろしく。お前、若いよね?もう上がり?」 「はい」 「本部ってさ、そんなラフな恰好でいいの?」 「いや、忘れ物を取りに来ただけです」 「そうなの?俺、今日、泊まりなんだよね。じゃ、お疲れ」 「はい。じゃあ、お先です」 心は鉢の側に滑らした鞄を手に持ち、野垣に一礼して通用口から出ていく。野垣は呑気に”じゃーな”なんて言いながら、エレベーターに乗り込んでいった。 アイツ、沈められるな。まぁ、フォローは気が向いたら入れてやるか。 適当な事を思いながら、心は走ってきたタクシーに手を挙げた。 そして、今に至る。 振り返り、同じ様な構えの建物の中の一つを見据えた。指定された建物のシャッターには“4”と、でかでかとスプレー塗料で書かれている。 心は迷うことなくそこに近付きニヤリと笑うと、シャッターに思い切り蹴りを入れた。 静かな埠頭にシャッターの鳴き声が響く。ほどなくしてシャッターがゆっくり開いた。 ギギッと鳴きながら開くシャッター。宴の始まりだと心は舌舐めずりした。 そして自分の身の丈ほど開くと、臆することなくそこを潜った。 埃と黴と潮の香りが混ざった匂いが鼻を翳める。中は真っ暗だった。 心の背後でシャッターが閉まる音がしたが、心は振り返ることはしなかった。 『ようこそ』 どこからか聞こえた声は、スピーカーを通したものだ。 何だか三流映画のワンシーンみたいだなと思いつつ、心は煙草を取り出し銜えた。 「禁煙か?」 聞こえているかどうかは知らないが、一応聞いてみる。 万が一、爆発物なんて仕掛けられていて、宴の前にドカンといけば面白みも何も無いからだ。 『いいや』 どうやら心の声は聞こえているようだった。なら、この暗黒の中、自分の姿もどこかで監視しているのだろうか? ポケットからジッポを取り出し、火を点ける。辺りがふんわり明るくなったが、廃材が転がるだけで何もないところだった。 「で、俺は来たで?」 さぁ、これからどうする? ドクドクと気分が上昇する。 早くかかってこい。早く楽しませろ。 まさに、そんな気分だった。 『一人で来るなんて、ええ度胸やなぁ』 関西弁?心は煙草を燻らしながら、また関西かよと心奥で悪態づいた。 楽しみたいが、関西はもういいやと思う。ついこのあいだ面倒になったばかりだ。 なのに、また関西。 「で?何すんねん。どっかから狙ってんのか」 ガチャンッと大きな音がしたと思ったら、パッと室内が明るくなった。光に慣れない目が眩しさで痛み、顔を背けた。 段々と目が慣れてきた頃、上を見上げればライトが無数に見えた。 辺りは大きな木箱や板が壁に立て掛けられていて、それ以外何もなかった。 『戦ってんか』 「あん?」 誰と?と言いかけたところで、物陰から出てきた男を見てニヤリと笑った。 手に日本刀を持ち、般若の面で顔を覆った男。時代錯誤も良いところだ。 だが身体付きは合格だなと思う。 『負けたら死んでや』 倉庫に響くルール。ガチンコ勝負は極道ならではだ。特段、問題はないが…。 「人に見せられへんくらい、見られへん顔なんか?うぜ…。顔分からん奴とするんは、初めてやわ」 心は煙草を足下に落とすと、爪先で踏み潰した。そして、手に持っていた鞄を床に落とした。 「まぁ、しっかり俺を楽しませろや」 心の言葉が合図の様に響き、男は心に向かってきた。 フットワークの軽い男だと感じた。長身でドカドカ音を鳴らしながら来るかと思いきや、スッと流れるように向かってきた。 向かい合い、筋肉のフォルムを見て、楽しましてくれそうだとほくそ笑む。 案の定、男には隙がなかった。ジリジリと間合いを詰めて睨み合う。 今まで色んな人間と拳を交わしてきたが、仮面を被った人間は初めてだ。 視界も悪そうだし、趣味も悪すぎる。チラリ目を向けると、男の手に握られた日本刀は鞘に納められたまま。 抜く気はないのか? フッと視界から男が消えた。余所見をしていた一瞬の隙をつかれたのだ。 そして直ぐ様、下から男の拳が入り込んできた。紙一重で顔を反らす。 風を切る音が聞こえた。見事なアッパーだな。頬から流れた血を拭い、心は笑う。 あれをまともに喰らっていたら、間違いなく顎が砕けていた。 どくどくと血が沸騰する。久々の高揚感。 「合格や」 心は言いながら、男に向かっていった。

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