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第41話
「あー、面倒やわ。ほんま、オマエ、最悪」
「言われ慣れとる」
どこから調達してきたのか、黒のセドリック。その車内での道中、延々と続く互いの罵詈雑言。
旋毛曲がりの似た者同士、終わる事のない攻防戦は正直、内容がチープ。言わせてもらえば、小学生レベル。
黙々とハンドルを握る雨宮だって、内心そう思っているに違いない。
そんな事を思いながら、何だか何もかもが嘘みたいな現実だなと静は一人思った。
心に必要ないと言われ、いきなり出来た自由に戸惑う自分が居て、彪鷹が現れて。
しかも、ただのバイト仲間だと思っていた”松岡”が松岡ではなく”雨宮”で、更に鬼塚組の関係者だというおまけつき。
正直、これは一番の衝撃だったかもしれない。一人、物思いに耽っていると、トンッと肩に重みがかかる。見てみれば、心が静の肩に頭を載せていた。
いつの間にかあのチープな攻防戦は終わっていて、車内は静寂に包まれていた。
「どないした?疲れたか?どっか痛むんか?」
頭を乗せながら、徐に聞いてくる心に静はただ首を振った。
「いや…何もない」
「ふーん」
静の答えに納得していない様な顔を見せながら、心は目を閉じた。
ふわり、心の香りが漂う。特段、香水などを付けている訳でもないのに、心は何だか不思議な匂いがする。
甘い様な、不思議な香り。静はそれをスンッと吸い込むと、心と同じ様に目を閉じた。
それから暫くして着いたビル。そこはまさに騒然としていた。
何十人もの組員らしき人間がビルの入り口で右往左往していて、何十台もの車が停まっていた。
そこが何のビルで、一体、誰が所有しているのか。いつもならば謎だらけのビル。
それくらいに静かで人の居ないビルが、見た事もないくらいに騒々しい状態。
実際にそうならざるを得ないほどに、そこは事態が急迫しているということだ。それを見た心は、車を運転する雨宮にこのまま通り過ぎろと言ったが、静がそれを許さなかった。
この状況を見て逃げたくなる気持ちは分からなくはない。静だって内心は逃げたいと思った。
だがその騒然とした状況が、それを許す訳がなかった。とはいえ、この異常事態とも言える状況に、お前、何をしてきたの?という疑問も沸いてくる。
ふと、その状況に心と同じ表情を見せる助手席の彪鷹を盗み見る。
本当は一緒に来たくなかったんだから、心以上に逃げたいんだろう。
あの後、龍大も威乃もこれを予測したのか、ちゃっちゃと車を呼んで関西に帰った。彪鷹もちゃっかりそれに同乗しようとして、勿論、心に捕まったので、今、一緒に居る訳だが。
道中の車内でもそうであったように、一緒に行くまでも大変だった。
行く行かないで大モメにモメて、雨宮と静はそれをただ眺めていた。
結局、心の言い出したら聞かない性格に、”親”である彪鷹が折れた形になり車に同乗したのだが…。
「ほらー、めっちゃ大変やんー」
彪鷹が身体を座席に深く沈めて、唸る様に言う。それを心は静の肩に頭を載せたまま、何も言わずに聞いた。
「どうします?」
雨宮がルームミラーで心を見て尋ねるが、心は一向に何も言わない。
「お前…どう逃げようか、考えてるだろ」
静が心の頭の載っている肩を揺さぶる。心はそれをさも鬱陶しいそうにして、顔を上げた。
「だって、アイツ、ひつこいやん」
だってってなんだ、だってって!!何、そこだけガキみたいになってんの?と言いたい口をグッと抑える。
「だからって、ここにずっと居る訳にはいかないだろ?」
ビルの方へ視線を移すと、先ほどよりも車の数が増え人の数も倍になったように見える。
もう、あの一帯だけ別世界だ。これ以上に収集が付かなくなる前にとっとと姿を見せてどうにかしないと、本当にどうにもならなくなる。
とはいえ、これからどうするのか決める張本人。所謂、リーダー的存在の心はのんべんだらりんと構えている状態。
どうなの、これ?と思って助手席の彪鷹を見てみるが、我関せずと言わんばかりの顔で動く気配はない。
もう本当にどうにもならないなと、静は嘆息した。
「どうしますか?あんまりここでぼんやりしてると、カチコミかと思われて襲撃されますよ。俺とか組に顔知られてねぇし。アンタもでしょ?」
雨宮はそう言って、彪鷹をチラッと見た。
どうやら静が昏倒している間にあった一悶着を、かなり根に持っているようだ。
それは言い方の刺々しさに加え、敵対心丸出しの顔が物語っていた。
「カチコミ、おおいに結構やあらへんの。ここで大暴れしたらサツが来て、オマエ捕まるんやろ?世知辛い世の中やねぇ。極道も肩身の狭い」
彪鷹はそう言って笑いながら煙草を銜えた、と、雨宮が”あっ”と声を出した。
すると次の瞬間、ドンッ!と車に衝撃が加わり車体がグラグラ揺れた。
何事かと前を見れば、フロントガラスの向こう側。ボンネットに乗る長い脚が見えた。
「あ…」
静が声を出した。それは相馬だった。
その状況に不自然なほど悠然と微笑を浮かべる相馬。その相馬の顔を見て、青息吐息の心と彪鷹は諦めた様に目を閉じた。
「では彪鷹さんのダミーの呼び出しに、あなたは意気揚々と出掛けたと?」
静かな部屋に響く、相馬の柔らかな声。表情はとても優しく、微笑みまで浮かべている。
だがこの笑顔が曲者とはよく言ったもので、一見すれば、頗るご機嫌だねなんて言ってしまいそうなほどの満面の笑み。
しかし、その表情とは裏腹に、相馬の言葉には刺々しさが見て取れるほどありありと出ているのも事実。
綺麗な顔ほどその迫力は凄まじく、静は思わず息を飲んだ。
ボンネットの上に屈み、中を覗き込んだ相馬。相馬の異様な行動に気が付いた組員が、一斉に心達の乗った車を取り囲む。
それに観念したのか、心がゆっくり車から降りると、”あああ!組長!!!”と驚愕した声が次々上がった。
かくれんぼうの”みーつけた”のような状態。
言えば可愛いが、鬼、多過ぎ。そして、鬼、怖過ぎ。
言うなれば、その鬼の大将の相馬は、ボンネットの上にいつものように姿勢良く立つと”おかえり、クソガキ”と、やはり満面の笑みを浮かべ静が聞いたこともないような口調で出迎えた。
「彪鷹が悪い」
心はベッドに寝転がり、煙草を燻らしながら悪びれもせず言い放った。
心が何故ベッド居るかというと、心の定位置を彪鷹に取られたからだ。
心がいつもするようにソファに寝転がり煙草を燻らす様は心そのもので、血縁関係がないだなんて絶対嘘だと静はやはり思った。
「でも出掛けたのは自らの意思なんですよね?護衛も付けず行き先も告げず、セキュリティルームを中から開かないようにして、こちらに来たばかりの組員に新人ですと宣い、足がつかないようにタクシーで?いやに楽しそうじゃないですか」
何が可笑しいのか、いや、怒りも頂点までいくと思わず笑ってしまうのか、相馬は言いながらクスクス笑う。
そして相馬の説明を聞いて、オマエ、そんな事したのかと彪鷹と静と二人して、心を冷めた目で見た。
そんな視線におかまいなしに、心は煙草の煙で輪っかを作って遊んだりしている。
反省の色、皆無。
「彪鷹が一人で来い言うた」
「いやいや、俺はそこまでせぇなんて言うてへんし」
急に責任転換しだした心に、彪鷹が慌てて起き上がった。
「元はと言えば、彪鷹が静を拉致るからやろ」
「お前が訳分からんことせんかったら、俺が駆り出されることなかってん!!」
「はあ?そんなん彪鷹が…」
「黙れ!!」
相馬の怒声に、静が身体を震わす。
もう、誰が見ても誰が聞いても悪いのはこの二人だ。
恣意的判断の心と、奸知にたけた彪鷹。だが、その渦中に自分は居る。
心の所業のために静を攫った彪鷹。その静を助けようと無軌道に走った心。
結局、今、この状況を作り上げているのは100%とまではいかなくとも、静が原因でもある。
そう考えた静は、迷う事なくバッと頭を下げた。
「相馬さん、ごめんなさい!!」
「は?いや、静さんは…」
静に頭を下げられ、相馬が反対に驚く。
あまりに唐突なことで、怒り心頭だった気分までもがポキリと折られた感じがした。
「何で静が謝んねん。静やのうて、彪鷹が謝ったらええねん」
人が頭を下げているのに、ベッドの上で暢気な声を上げる男。それを聞いた静の中でプツリ、何かが切れる音がした。
気が付けばベッドに寝転がる心の胸ぐらを掴み、馬乗りになっていた。
「てめーの根性は変わらずか、どあほうめ!!素直にごめんなさいって言えば済むんだろ!?なんだ、お前の辞書には謝罪するって言葉はねぇのか!!悪いことしたら何て言うのかも知らねーのか!!」
「……ごめんなさい」
「俺に謝ってどうすんだよ!!相馬さんに謝って……あ」
自分の状況にハッとなり顔をあげる。後ろを振り返れば唖然とする相馬と彪鷹。
心に馬乗りになり胸ぐらを掴みあげ、説教垂れるって何様!?静は慌てて心から飛び退いた。
「心とおって、ごめんなさいなんか言われたことあらへん。血反吐吐きながらも、死ねって悪態ついとったで」
「私もですよ」
「グタグタやかましいわ」
彪鷹と相馬、二人してのヒソヒソ話のが気に障ったのか、心は乱暴に灰皿に煙草を押し付けた。
相馬はそれで少し満足したのか、フフッと笑ってみせた。
「とりあえず、今日はこのくらいにしましょう。静さんもお疲れでしょうから」
相馬にそう言われて、静は部屋に唯一ある時計に目をやる。
小振りなくせに、地震が起こりでもして頭に落ちてきたら即死しそうな立派な時計は、思ったよりも進んだ時を示していて驚く。
そして人間の性なのか、それを見た途端に眠気が襲ってくるのも変なものだと、静はほくそ笑んだ。
「では…」
「あの、松岡…雨宮さんは?」
”また明日”と続きそうな言葉に、静は慌てて声を上げた。
雨宮は心達を降ろすと、車を片付けてくると言った。そして、それから姿が見えないのだ。
「ああ、雨宮は崎山のとこですよ」
「やっぱり崎山が雨宮を動かしとったんか」
相馬の言葉を聞いて、心が不貞腐れたような言い方をした。
崎山さんが動かしていたのか?静は何だか不思議な感じがして、首を傾げた。
「さあ?静さんの事を一任して欲しいと言ったのは崎山なんで、私は知りません」
そう言って、ふふっ…と相馬が笑った。
「このタヌキが。彪鷹はどないすんねん」
「ああ?もう帰るわ。俺の役目は終いやからな」
彪鷹はやれやれとばかりに、ソファから立ち上がる。
うーんと伸びをしながら見せるどこか晴れやかな顔は、ようやく開放される!という喜びからか。
「終いではありませんよ?長らく休養を差し上げていたんですから、いい加減、組に戻っていただかないと」
「はあ!?俺は足洗ってんで」
その晴れやかな顔が一瞬にして青く変わり、伸ばしていた腰がゴキッと折れた。
何を言ってるの?聞いてないよ?ちょっと待ってよ。まさに大混乱のそれ。
「それは、この男を引き取るため一時期のこと。終われば、お戻りいただかないと」
大混乱の彪鷹と違い、まさに何を言ってるのアンタと呆れ顔の相馬。
それはもう、これが正論!こっちが正解!間違っているのはあなた!と言わんばかりで、その顔を見た彪鷹が癇癪を起こした子供のように地団駄を踏んだ。
「オヤジにもええ言われたし、山瀬の兄貴にも好きにせえ言われた!」
「私は聞いておりません」
「北斗!」
「それとも、きちんとした証書がおありですか?彪鷹さん」
「…っ!」
ぐうの音も出ないとはまさにそれで、彪鷹は一般人ならショック死しそうなほどに鋭い眼光で相馬を睨み付けた。
だが誰もが恐れるであろうその猛禽類を想像させるような双眸も、相馬には何ら効果はない。それどころか、勝ち誇ったような顔で彪鷹を見返す余裕さえ見せた。
「彪鷹、諦めろ。相馬は昔よりパワーアップしてんで」
「諦めれるか!」
「ま、飲みながら話しましょうか?良いモルトを置いてある店を知ってるんですよ」
「…ほんま?」
”モルト”と聞いて、彪鷹の表情が一変する。それは静も良く知る表情で、静でさえもこれは彪鷹の負けだなと確信したほどだ。
相馬は誰が見ても”悪い奴”と言いたくなるほどに、胡散臭い顔を見せて微笑んだ。
「ハイランドパーク 40年、置いてあるんですって。何なら、ボトルキープしても構いませんよ?」
「ハイランドパーク 40年…」
彪鷹の目がキラキラと輝いた。ハイランドパーク 40年って、cachetteになかったモルトだ。
やっぱり、あらへんか。なんて言いながらも21年ものはあったので、それを飲んでいたのだが。
その40年を餌に振られれば、罠だろうが何だろうが飛びつく。本能の赴くままっていうところもそっくりだなと、静は笑った。
「では、行きましょうか?」
「え?相馬さん」
二人して部屋を出ようとするものだから、今度は静が慌てて後を追った。
「吉良、お前らも話し合え」
そんな静に彪鷹がピシャリと言い放った。
「アヤさん…」
「極道のことなら、お前もよお知ってるやろ。関わったら終いや。うちのバカ息子がアホしよって、吉良に関わってもうたけどな、大多喜に関わってるよりは天国や。それは事実やろ?でも、こないにデカイ組背負っとるアイツに関わってもうた吉良は、アイツに付いていくしかあらへんねん。どうしても嫌、生理的に受付へん言うなら、俺が吉良を引き取ったる。どっちにしても、平穏やないけどな。心とおっても、俺とおっても地獄。まぁ、実を言うと、吉良を嗅ぎ付けた野郎がろくでもないからなぁ。ま、そないに俺の息子、嫌うたらんといて」
彪鷹はそう言って静の頭を撫でた。
「では、また明日」
相馬と彪鷹はそう言うと、部屋を出ていった。
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