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#20 粟立つ肌を通るもの

「——…………基本的に、うちの教室って、使わないんだよねえ」  迫る既視感に立ち尽くす僕の前で、柚弥はそのひずんだ瞳と微笑をそのままに、口調はあくまであどけなく言葉を繰り始めた。 「だって、いきなり二学期初日から来るとは思わなかったから。 休み明けの溜まった何か? そんなに……? だからもう、放課後多分人少ないし、場所探すのも面倒臭いから、ついあそこにしちゃったんだけど……」 「……」 「いつもはあそこ選ばないのに。…………抜かったな」  よりによって、運と間の悪く見つかってしまった、小さなしくじり。  それが大人に露見したみたいにして、柚弥は小さく笑いながら前髪を梳き、嘆息した。 「何でかって、同じクラスからは基本、『お客さん』は取らないようにしてるんだよ」 「……」 「だって、グループで勉強や活動する時とかに、気まずくなったりしたら、()じゃん?」 「……」 「俺は出来るよ。別に。普通に。でも何か、向こうはあんまり駄目みたいで」 「……」 「俺も一応、『普通に健全な高校生活』、送りたいからさ」 「……そういうことは、聞いてない」 「ああそう、ごめんね」  柚弥は真顔になったが、さして気を損ねていない、ほんの少しの程度でまた元に戻り、気軽な姿態で話し続ける。   「だって、の関係でしょ……? 多少体裁保って貰わないと。困るのは自分(そっち)じゃん。俺、その辺空気読んでくれないの、実はあんまり、好きじゃない」  既視感がどんどん強まる。  柔らかく透けるような髪、白金(プラチナブランド)。その下の歪に滲んだ瞳と唇。喋るたびにささやかに揺れる、鎖のピアス。夏の制服の、君。  ここは夏休みの廊下じゃない。なのに彼が艶を伴って微笑う度に、まるで今、あの時のあの場所に、急速に腕を引っ張られているような感覚に捕らわれて、僕はその意識下の流れに逆らえず、ただ瞳の中の彼から視線を逸らさないようにするのが出来うる限りだった。 「大体、めっちゃ調子に乗ってぐいぐい来るか、変に意識し過ぎて、目も合わせられない感じになるんだよね」 「……」 「その癖、 しっかり欲しがるところは、一緒なんだよ」 「……」 「前は、誰彼構わず、頼まれたらもう受け入れ(相手し)ちゃってたんだけど……」 「……」 「したら何か、なっちゃった子とかいて……」  柚弥は振り返り、僕の(おく)に答えを置くようにして、あでやかに笑った。 「隣の席の子」 「……、」 「ま、いいや。そんな昔の話は……」  遠い昔、子供の頃の(おさな)い想い出話でもするようにして、もうつまらなさそうに、それも放棄している。  妖花、この上ない。なのに小さな子供が、蟻の巣を何の悪意もなく無邪気につついて踏みにじる残酷さも、ほんの違和も感じさせずに同じ地平で併せ持っている。  総毛立つ。皮膚が(あわ)立ってくるというのか。先程から感じていた戦慄の意味を、僕はまもなく知ることになる。 「——裕都君は、なさそうだって、思ってたのに……」  伏せた睫毛とともに、物憂げに落とされた言葉は、次に見せた、今日一番くらいにきれいな笑顔に、開いて変わる。 「残念」  (くら)く捩れた妖艶さと、いじらしいくらいに、可憐な愛らしさ。  それらをどうして、こんなに綺麗に、甘くひとつに溶かせて浮かべることが出来るのだろう。  初めから、彼と出会った時から、こうなることは決まっていたのか。  彼の瞳を見て、彼の笑う唇のかたちを覚えてしまった時から、彼が僕の手を引いたのか、僕が彼の腕を取ったのか。  きっと僕なんだ。手を引きたくて、近づいたのは。だから彼は、振り向いてくれた。  彼と友達になりたい。彼に近づいて、彼のそのこころの深淵を知りたいと、本当にそう思うのならば、 こちらも、同じくらいに、血を流すのを厭わない程に、誰も届かない場所(ところ)に沈む彼のもとへ、その蓋を、返り血を浴びてもこじ開けて行かなければいけないのだと。 『君は、 "俺のところ"まで、来てくれるの?』  僕は、そのことを、自分の肌をもって、痛いくらいに感じた。

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