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#21 理由
塞がれていた柚弥の蓋が、ほんの少しだけ、その深淵の闇を覗かせたような気がした。蓋に手を掛けたのは、僕。
開いた蓋からは、まとわりつくような甘い闇がその指を這わせてきて、僕の肌を通過していき、確かにその感触は、僕を慄 きで立ち止まらせるのには充分だった。
だが、その闇が僕を通過した後、その一部分が僕の中に残り、それがどこか、『覚悟』のよう感覚として根付いた気もしたのだ。
自らの蓋を開けた柚弥は、封じられた裏を解き放ち、種々の感情がむき出しになったような、どこか清々とした様子で微笑している。
「——……で、どうする……? 席は、もう帰ったら替えるのでいいかな。はあ、誰か来てくれるかな、俺の隣……」
「…………替えなくていい」
流していた笑みを解き、柚弥は眉を上げてこちらを向いた。
「…………どういうこと?」
「替えなくていいよ……。始めから、そういうつもりで話した訳じゃないから」
上がっていた眉が、不可解そうに顰められる。
「……え? いや、ないでしょ。俺の隣とか」
「あるよ……」
「いやないよ。つーかむしろ、俺がないかも。……優しいなあ、裕都君は。いいよ、そんなところに優しさ使わなくても」
「優しくなんかない。別に皆と変わらないよ。席は替えなくていい、これからもずっと」
柚弥の体から、小さいけど、思わず立ち上がりそうな局地的な動揺がのぼり、肩がこちらに向きかけていた。
「え、どういうこと? てゆうか見たんでしょ、昨日」
「…………見た」
「何を? あ、てゆうか何を見た、とは言ってなかったね。見たって、何を見たんだよ」
「……っ」
「ほら言えないじゃん。それくらい、ひくほど恥ずかしいことだよ。何? それをその恥ずかしい方の俺から、はっきり説明しないといけない訳?
一応こんなでも、人並みの恥の概念も持ち併せてるつもりだよ。俺でももし裕都君だったらひくよ。はあ? きっつ、何それって。
…………だって見たんでしょ。——俺が男相手に、ノリノリでウリやってんの」
「そう…… 、だけど……っ!」
「そんな気味悪い奴と、これからも席隣とか、無理でしょ! やって行ける訳がないじゃん!」
「違……っ、そうだよ、見たよ……! 見たけど……っ。
……てゆうか僕もびっくりした、かなりびっくりしたけど、だからってそれで、君のことが気持ち悪いとか、もう嫌でやって行けないとか、そういう風に思った訳じゃないんだよ……っ!」
声を荒げていた。柄にもなく、一旦立ち止まることもなく。
こんなこと、いつぶりか思い出せないくらいだ。
思えば、まだ会ったばかりの彼に向かって。
柚弥は、茫然と僕のその様子に瞳を見張っていたが、やがて、心底それが理解出来ないといった検のある表情で、その疑問を口から落としていた。
「なんで?」
何で。 何で、なのか。
そう問われると、自分でもよく理解は出来ていなかった。
ただ、彼が本当に、昨日見たままの姿でしかなく、何の憂慮もなく人を堕としいれるだけの存在だったら、ここまで心を掻き乱されることはなく、早々に離れていったのだと思う。
だけど柚弥 からは、色々な感情が、その仮面みたいにして被っている歪な微笑みの背後から、時折隠しきれずに光の粒子みたいに溢れて、零れ落ちているのが僕には見えてしまっている気がするのだ。
時に光みたいに、時に温かな雨みたいに。まっさらな色々なものが。
僕はそれらが気になって、どうしても見逃せなくて、手を伸ばさずにはいられない気持ちになるのだ。
それを、彼に説明するのは難しい気がした。
だから、上手く伝えられるか判らないけれど、拙いながらも僕の胸の内を伝えて応えようとした。
「…………さっきも、言ったでしょ。僕も、夏休みに会って、また君と会えて、隣にまでなれて嬉しかった……。明るいし、楽しいし。何より、優しかった」
「……」
「昨日、この学校に転校して来て、僕が困ってる時、色々助けてくれたでしょ。沢山話してくれて……。嬉しかった。こんな特別な場所にまで連れて来てくれて、本当に嬉しかったんだよ。君とこれからも友達でいたいっていうのは、変わらないよ」
「……」
「だから、正直、昨日のことは驚いたよ……。ああいうことは、正直状況とか感心は出来ないけど、否定も出来ないよ。誰だって、本当は、一番気になってる部分でしょ。真面目ぶって意見するつもりない、そう見られがちだけど。
…………もし、男しか対象に出来ないっていうのならそこも否定しないし、僕にそんな権利はないよ」
「……」
「だけど……。だから、信じられなかったんだよ。昨日の君と、普段の君があまりにも違ってて……。あれも君の面だし、軽い気持ちなのかもしれないけど、それでもし君が誰かに軽んじられることがあれば、正直嫌だと思ったんだ。
だって、柚弥君は本当は、そんな子じゃないんじゃないかって思って、」
黙って聴いていた柚弥の顔が、すっと温度を下げた気がした。
僕は自分の言葉を繋げるのに必死で、多分そこに気が付いていなかった。
「だから、知りたかったんだよ。どうしてあんなことするのかって。もし、理由があるのなら……」
「理由…………」
問われた柚弥は、少し考えるように上を向いたが、さして取り立てる答えに行き当たらなかったのか、
ふっと笑みのような息をついて、あっさりと答えを返した。
「別に理由なんかないよ。 ただ単に、セックスが好きなだけ?」
あと、お金も。
事もなげに告げた彼の顔を、僕は唖然と見つめ返した。
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