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#44 ほっとした顔、してる
下履きを履かずに出て来てしまったことについては、柚弥の念頭にあまり引っ掛からなかったらしい。
昇降口、泥除けマットのど真ん中に二人して陣取って、
「ユッキー、何で上履きなん」「避難訓練じゃね」帰宅の生徒が傍 を線を引くように避けていくので、二人でさり気なく端に寄る。
それでも、戻ろうとか、靴を履くなどという選択肢は出ず、柚弥は溜め息をつきながら、これまでの流れの続きのように口を開いた。
「……ごめん。裕都君ち泊まるとか、俺、訳解らないこと言ってるよね……」
「いや、それはいいんだけど……」
「つうかほんとごめんね、梗介があんな……。てか何? 物凄くボタン外れてるんだけど! 何なの、梗介が外したの? もう何だよいかがわしいなあっ!」
見れば第三ボタンまで外されていて、外から目立たないようにと開きが深めのインナーも手伝い、僕にしては随分前がはだけた状態になっていた。
外された時の情況を思い出しそうになったが、目の前でぷりぷり怒りながら柚弥がせっせと釦を留め始めていて、それを見ていたら可笑しくて何だか消えてしまった。
「てか大丈夫? ……何も、されてないよね? 一応あの状態、まだ? だったよね……。多分何も、大丈夫だよね……?」
「…………」
「えっ?」
「あ、うん……。…………何も、されてない……」
「……嘘だ! それ、何かされたやつでしょおっ!?」
瞳を見開いてぐらぐら僕の腕を揺るがす力が案外強くて、上を向いてつい笑ってしまう。
こういう時、取り繕いが出来ないのは本当に不便だ。
それでも彼と梗介の関係性を考えて、やはり白状しなければいけないかという気持ちになる。
「あの……。ごめんね、あの…………、 キス、は、したかも知れない……」
「えっ? ……誰と誰が?」
「だから……。その、…………夏条 先輩と、僕……?」
「えええ!? 何でえっ!?」
「何でなんだろうなあ……」
ついさっき、あんなことがあった筈なのに、ますます瞳を向いて必死になっている目の前の柚弥を見ていると、確実に意識をぐらつかされる状態だったのに、その濃厚さが随分薄まっていくようで、どうにも笑いが滲み出てしまう。
「えっ、どういうことっ? キっ……!? まさか、舌とか入れたやつじゃないだろうねえ!?」
「し……っ、あっ、ごめん……、 舌は、入ってたかも知れな……」
「何で謝るんだよ、何で舌入れるんだよ! 幾ら日頃つい入れちゃうからって……、もう訳が解らない! あの人、ほんと何考えてるんだろうっ!」
「柚弥君が解らなかったら、誰にも解らないと思うよ……」
「庇う訳じゃないんだよ、俺は別にして、あの人、男とか全然普通にないんだよ! それを……、ええ……!?」
「うん、解ってるよ……。 多分、僕のことが、物凄く気に喰わなかったんだと思うよ……」
「それにしたってさあ……!? てか裕都君、さっきから落ち着き過ぎじゃない? 何でそんな落ち着いてられるの!?」
「いや違……、というか昨日から、色々あり過ぎて、正直もう訳が解らないんだよ……、」
「あ、そうだよね、ごめんねごめんね……」
昨日の映像 から、そして直近の、間近にあった梗介の妖うい残影などが想い浮かぶと、やはり脳裏からぐらぐら来て、僕は片掌で頭を抱えて俯いた。口は笑う余裕は、全然あったけれど。
それを心配して、柚弥がわたわた僕の頭に手を伸ばそうとする。結構硬めの癖毛で、触り心地は良くないだろうに。
「ユッキーが転校生慰めてるよ」「もう苛めてるんか」
脇を通り過ぎながら、誰かの言葉がぽろっと零れてきて、
「苛めてないっ!」柚弥は声を上げたが、直ぐに、
「…………苛めてるのかな」気落ちした調子が漏れて来て、僕は目の横にあった彼の手頸をそっと取った。
「大丈夫だよ」
見上げた瞳のなかが、どこか稚く想える表情で、心もとなく揺れている。
「苛めてなんかない。 正直、助かった。来てくれて。
結構精神 、持ってかれそう……、いや、殆ど持ってかれてたんだけど。
柚弥君が来てくれて、今も、僕が勝手に受けに行った打撃 だけど、かなり減ってる。 ——有難う」
瞳尻が吊りがちで、一見きつめの貌立ちだ。
それが横を向いて、照れたような、呆れたような、不快じゃない困惑の表情を滲ませて、笑みを呑みこんでいる。
昨日から見てきて、また彼の、色々な表情 の一つだと想える、柔らかな鮮やかさだ。
「何でお礼なんか、言うの……」
正直に、安堵 した顔してる、と思った。
それは思ったより打撃を受けていない、僕の持ち直しに、というのもあるけれど、
きっと、梗介がしたことに対して、深くあきらかな痕や咎めを持っていない、ということへの安堵もあるのだろう、と。
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