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#51 ひとりじゃない

「ごめんね。さっきから、自分のことばかり……。 でも、普通に家族が欲しい、家族が羨ましいていうのは勿論あるんだけど、 そうでもないかもな、て事を、最近思うようになったんだよ。……単なる身寄りが少ない者の、強がりかも知れないけど」  闇を取り払った柚弥の顔は、変わらず澱みはなかったけど、それを語り出した横顔は、また違う静かな気流のようなものが流れている気がして、僕は顔を上げた。 「親って、と思うよね、普通。言ってる意味、解る? 生まれた時から、親って、無条件に親って思うでしょ。 基本的に殆どは、裕都君ちとか、まあ俺のところもゆるゆるだったけど、普通に愛情のある親とか家族だと思うよ。 ……でもさあ、親も一人のじゃん。例え血が繋がっていたとしても、それに実は固執出来ない部分があるというかさ。 どんなに近い肉親であっても、どうにも場合も、あるんだって」 「……」  彼は、何を指してそれを言っているのだろう。  そう思いながら、静かに、元の(かたち)からなのか、小さな微笑すら浮かべているような柚弥の口許を含めた輪郭を、僕を見つめた。 「それを思ったら、俺は別に、血なんか繋がってなくても、人や、支えてくれている人達がいるから、そんなに悪くないのかな、て思って……」 「……」 「だから俺は、ひとりじゃない」  自分のなかに、落とし込んだようにそう告げて、安堵したように瞳を伏せ、穏やかな柔らかさを伴い、彼は微笑った。  彼の首許に、銀のプラチナのような品を放つネックレスが纏わっている。  目を凝らさないと判らないくらい繊細な華奢さで、鎖のみで、装飾は何もない。  照明の灯を受けると、彼の白く光る鎖骨の流線に添いながら、まるで星の砂でつくられたかのように、ふとした瞬間に小さな恒星のような煌めきを散らせた。  その下の彼のTシャツは、濃紺地が青みを帯びた白肌に映えるが、多色のタイダイ染めのなかにブランドロゴとパンクロッカーのいでたちをしたポップなクマが賑やかに走っていて、彼の好みをよく表している。  ネックレスとは、真逆のテイストだ。  今、首に光るそれは、彼という素材、彼が他の装飾を一切着けない、生身の状態で一等を映えさせるものと見越して、選ばれた品ではないか、と思われた。    似たような印象を、どこかで覚えた気がする。  だけど僕はあえて記憶の箱からそれを探り出すのをやめた。  今、そのネックレスを身に委ねさせ穏やかな微笑を浮かべる柚弥は、僕を見て、初めて見せるようにその微笑を明るいものへと変えた。 「ごめんね。要は、家族とかいなくても、寂しいとか案外思ってないから、気にしないで! てこと」 「……うん」 「ああ、凄い自分のことばっか喋っちゃった。初めてかも知れない、こんなの。友達の部屋に来ると、こんなに自分のこと話したくなるんだね。初めて知った」  あっ、と小さく声を上げて、彼のその言葉を唇の中でくぐもらせた。 「…………『友達』、ではないか」  思い出された。今日の、昼休みの裏山での別れ際。 『やっぱり、俺達友達には、なれないかもしれないね』  あの言葉から、それに関しての進展は、そういえばなかった。  他方を向きながら、柚弥は顎を乗せるように指を添え、どこか独り言のように呟いた。 「どうも俺は、他人との距離感が、掴めないな……」  その曲げられた小指が唇に触れ、その中のものが、見せそうで見えない陰影のなかで朧いでいる。 「(ひと)って、どこまで近づいたら良いのか、解らない…………」  透明な爪と白い小指が、決して強い力じゃなく、紅い唇を押し潰して、その紅が、熟れた蛇苺みたいにぞくりとする極みまで染められた気がして、僕のこころは騒めいた。 「…………柚弥君、」  その騒めきを怖れて、僕は彼に声を掛けた。  こちらに向き直った柚弥の瞳は、もういつもの馴染んだ明るさを取り戻していた。 「ねえ、このご飯、やっぱり凄く美味しいよ! 絶対無理だと思うけどさ、華乃さんにレシピ聞いてみようかな」 「ああ、うん……。褒めるのは、程々にしてあげて……。また、平常心失うから……」 「あはは、そう? でも褒められた方が、嬉しいでしょ」  朗らかに笑って、柚弥は残りの夕食をスプーンへ運び、最後まで丁寧にその味を楽しんでいた。  僕もそれに倣って皿に残ったソースの残りを掬う。  スープは、すっかり冷めていた。  そして僕も好きなトマトのソースは、いつもの甘さで美味しい筈なのに、どこか疼く酸味を胸に沁み込ませていた。  でも、この味を大事にしないといけない。  家族を亡くした柚弥からは、喪失や、それに付随した底の知れない闇が、確かにその表層を翳りのように覗かせていた。  だけど、それを語る今の柚弥からは、悲愴は決して感じられなかった。  充分に彼の空虚を埋めて、余りある揺るぎない存在が彼には在る。  それは、——外ならぬ梗介であることを、確信に似た思いで僕はきっと気付いていたが、口にすることはなかった。

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