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#59 へんな子
漏れ出た感情を僅かに見せていた柚弥は、また泉のように、しんとそれを仕舞った。
僕が『本当』を隠した、だけどこれも、間違いなく"そのまま"の僕である気持ちは、彼に何をもたらしたのだろう。
判らない。判らないけど、今まで見せていたむき出しの躍動的な感情を落とした柚弥は、
それもまた素の彼の表情 であることを想わせる、澄んだ無色の結晶のような静けさを漂わせていた。
そして、やがて自身を被う澱みを取り払うように、その唇を開いた。
「——…………俺は。明日、家に帰ったら……、梗介と絶対寝るよ」
「うん……」
「それで、今はこんな事があったから、直ぐにはその気にならないけど……。
どうせそのうち、他の奴とも、寝るよ。
とても裕都君には言えないようなこと、平気で隠れてやってのけるよ。きっと」
「…………うん」
「それでもいいの…………!?」
仕舞っていた柚弥の感情が、手を突っ込んで、抑えきれない湯水のようにまた溢れ出す。
ここで答えを偽ることは許されない。こんなにも真剣みを帯びて真実を問う、また開かれたその瞳を前にして。
決まっている筈だ。いつから。判らないけど、随分前から、固まっていた気がする。
けれど思えば、本当に出会ってほんの一握りしか経っていないのに。
でも、判った気がする。目の前にある開かれた瞳を見れば、答えは解けて瞭然な気がした。
その『まっさら』な瞳を見れば、後悔や捉えようのない無意味な迷いなんか、もう忘れて僕は『答え』を口に出していた。
「うん。もういい。…………覚悟決めた」
何度目だろう。
瞳と口が、黙っていればこれほどかと溜息をつきたくなるような怜悧さなのに、
またこれでもかとむき出しの表情が開けっ放しになってしまっていて、そんな無防備な顔、見せない方がいいよと思わずそっと指で仕舞ってあげたくなる。
そしてこれが、今まで見たなかで一番全開な気がする。
本当に今さらだ。
何度も瞳を逸らせて、怖がって、拒んで、実際遠いけど、その遠いこころにひとが踏み入ってくることを、何度も遠ざけて自ら離れさせようと、防波線 張ったり感情を凍らせた貌をして塞いで仕向けていた。解っていた。
だけど、どうも何か、失敗してるんだよな。
ぽろぽろぽろぽろ、色々ないろの感情や、温度が、まじりけない波動 みたいにごまかしきれずにだだ漏れていて、
そんな子を、そのだだ漏れを、たとえ得体の知れない壁に周囲を囲まれたとしても、
零したまま放っておくことの方が、よっぽど難しいんじゃないのか…………。
だだ漏れの引き潮は、やがて何とか自分の中で処理したらしく、その余波のような堪えきれない笑いを、彼は唇から漏らした。
僕が口に出した時は一旦手放したけど、どうも気になるらしい某呪いとバトルアニメのパンダのぬいぐるみは、意識していないのかまた彼の掌の中に収まっていた。
そして、いつもは僕が身を預けているビーズクッションへ、またそっとその背を乗せて天井を仰いだ。
「まじか、」
「ほんっと、参ったなあー…………」
細い指で顔を隠したけど、それも束の間で、確かに苦虫は噛んだような顔なんだけど、そこへ滲み出るような笑みが覆い被さっていた。
紅い唇は、押しつぶされなかった。
「本当に、やばいよ」
何がやばいのか、きっと僕なんだけど、その真偽も、どうやばいのかの具体性も、もう気にならなかった。
その時の瞳許もそうなんだけど、続く刹那の後、僕に振り向いたその表情 で、僕の思考は無色に塗り替えられた。
「裕都 君て、へんな子」
大袈裟だ、とは自分でも判るんだけど、多分、ずっと忘れられないだろうな、と思った。
忘れないだろうな、忘れたくないな、と思った。
それくらいその時の彼の笑顔は、多分、僕だけに見せてくれたものだと、
僕に向けられた感情、僕の言葉に確かに返してくれた柚弥 の『応え』なのだと、受け止めることにためらいはなかった。
やわらかでまっさらなこころの泉みたいなものが溢れ出ていて、胸の奥にそのあたたかなものを仕舞うのもくすぐったいほどで、
その笑顔を、本当は噛み締めるのにも少しくるしかったんだけど、
そうだね、大げさにならないように笑って応えて、僕も何とか、自然に返すことが出来た。
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