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#62 醒めたくない夢
左方から光を感じた。
屋内だから空調は効いていて、外気の熱を遮断しているはずなのに、人の気配もない、見知りを持たない校内は、僕だけが閉鎖された空間を想わせ、体感より温く、重苦しい温度にぬかるんでいるようで、階段を抜け、早く脱したかった。
だから光を感じた時、不思議に思ったんだ。
窓からの光か、殆ど白の流線みたいな髪か、ピアスか、判らなかった。
振り返る、醒めるような貌。
じっと僕の奥 を覗き込みような、深く深く、吸い込まれそうな瞳の瞬き。
でも直ぐにころころと零れるような歯を見せて笑う。
陽炎のなかに、髪を掻き上げた横顔が消えて行く。
また会えた。今度は教室の机。
窓際だから光を受けている訳じゃなく、だのにいつも色白の肌がよく映えていた。
肘から手頸にかけての白い線 。頬杖をしばしばついているから、よくそこが瞳に入る。
周りで皆んながさざめいても、掌に乗せたこづくりな貌に小さな笑みを忍ばせて、どこか遠くを見ているようだった。
気まぐれな仔の猫のように、微睡んでしまう。
明るく笑っているばかりだと思っていた。
だけど夕暮れが近づいて、その笑顔が橙と濃灰の闇のなかへと自ら沈み込もうとする。
昼間とは違う、口角の研がれた唇。
伸ばした手が広い肩口に触れ、黒髪が掛かる首筋へ躊躇いもなく鼻先を埋 める。
唇がふれ合う。それは僕じゃないのに、そのやわらかさに包まれたように鼓動と呼吸 が竦んでしまう。
わらう。
悦びの溜め息がほとばしるように。
穿たれてるのに。奪われているのに。
だけど本当は、初めて瞳にしただけでも、もう解っていた。
それは彼が、最もうつくしい瞬間なのだと。
傷ついた瞳。僕を見つめる瞳の奥と唇がふるえているようで、見ていられなかった。
突き放したのに、また嬉しそうに笑ってくれる。
こんなにあざやかな緑は見たことがない。
掌を伸ばすと、その白い甲と静脈まで光と緑のまだら模様に染め上げられ、
本当に、また一緒に、来年その桜を観に行くことが出来るのだろうか。
嗤わないで欲しい。凍りついた表情 をしないで欲しい。
頼むから、自分をそんな貶めないでほしい。
君はそんなに、本当は、けがれてなんかいない。
むしろその逆だ。みんなそれを知っている。
知っているから、みんな欲しがるんだ。
黒く澄んだ刃のような眦に、最奥の芯を射抜かれる。
へつらいのない、硬質な潔に満ちた艶と色気が存在することを初めて識った。
彼のことが知りたい。叶えられるのだろうか。
本当は、甘くて苦しい、酩酊したその毒の蜜の底に放り出されて、溺れそうになっていた。
掬い上げに来たような、燃える瞳。拳。
その手に掴まれた手首が熱く痺れるようだった。
また、嬉しそうに笑って、僕のこえに応えてくれる。
スプーンの先を見つめる伏せた瞳に、いつもの光は感じられなかった。
だけど君は、ひとりじゃない。
白い鎖骨に銀の鎖が、光の涙のように添っている。
もう近づかないで。そう言われたのに、繰り返されたのに、駄目だった。
僕の方が、よっぽど破綻しているかも知れない。
信じなくていい。心配しなくていい。
君の瞳の奥に在るその『姿』を、勝手に探しに行ってるだけだから。
有難う。わらった 顔を見せてくれて。
『裕都君て、へんな子』
呆れたような、困ったような、くすぐったそうな全部の顔は、
この世の輝かしいもの全てを受けた、
祝福って、こんなささやかもの、
満ちた光が、滲み出るようだった。
光。
夏の陽炎の遠景を背に、君が振り返る。
耳の繊細な十字架の先も弧 を描いたけど、僕をとらえた光は、君の少しだけ翳った睫毛の奥から燻 らせる、まさに燐光のような揺らぎだった。
『じゃあ、また新学期に』
精巧な花びらみたいな唇が、そのなかに隠された悦楽 をちらつかせるように、ほんの少しだけ、弛んだ。
あんなにたくさん、色々な顔がきざみつけられてきた気がするのに、
君のほんとうって、 一体"どこ"に、あるんだろう…………。
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