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第3話 同胞殺し

「散華会……?」  梅雨の湿気を少しでも追い出そうとしてか、扇風機の緩く回る室内で、永青は上官の桂木から、そんな話を聞いた。 「表向きは高級将校や貴族らが集い、昨今の政治経済外交について意見を交わす「会」とされている。……が、資金洗浄の噂が聞こえてきてな。うちで調べることになった。酒と音楽が供される宴だと参加者は皆、口を揃えるが、どうも裏の顔があるようだ」  桂木が机に放り出した資料を、永青は手に取った。 「現在の主催者は南郷剛士。大佐だ。私の士官学校の同期で、首席卒業の秀才だよ。出世頭と言っていい。脚はどうだ?」 「問題ありません。いつでも動けます」  戦時中に負傷した左脚とともに「同胞殺し」の汚名を着た永青は、軍での信用を完全に失っていた。処断されず、戦後、無事に除隊扱いになり、少額ながら恩給まで出たのは奇跡だった。  天涯孤独の身の上を中佐の桂木に拾われ、諜報員として再教育を受けながら、身辺がきれいになるのを待ち、妓楼で暇を潰す日々は独房生活のようだった。 「魯西亜とぶつかる前までは、清廉潔白で優秀な将校だったが」 「あれを経験して変わらない方が難しいですよ」 「きみを含めて、か」  永青の呟きを皮肉と受け取ったのか、桂木は苦笑した。 「俺など、変わったうちに入りません」  永青が旅順、あるいは奉天で何をしてきたかを知り得る、数少ないひとりが桂木だった。情報収集とその分析、世論工作、破壊活動、裏切り者の炙り出し、現地工作員の勧誘。そして尋問や拷問を容認し、時にはそれ以上のこともおこなってきた。汚泥に両脚を浸し、溺れゆく己を俯瞰しながら、心の柔らかな部分が変質してゆくのを自覚していた。  戦時中の早い時期に諜報員として頭角を表した永青は、頑なに命令を遵守し続けた。おかげで上官から疎まれ、同僚からは妬まれ、やがて様々な「行為」への責任を取らされる形で、口封じにと終いには前線へ送られ、背中を狙ってきた同胞ら四人を殺害した罪で軍法会議にかけられ、桂木の一声がなければ、きっと不名誉な死を免れえなかっただろう。 「南郷には不自然な支出がある。しかし、銀行に潜った者が調べても、不審な金の流れは確認できなかった」 「株式や債権は?」 「白だ。ところが、近く多目的会館の落成式があるらしい。幾ら実家が太かろうが、所詮は軍人の給金だ。贅を尽くした建物を維持できるほどの資金力がどこにあるのか……」  永青が資料をめくると、隠し撮りされた、南郷邸の敷地内に建てられつつある多目的会館の工事現場の写真があった。 「散華会で何がしかの金品授受があると?」 「あの会は、元々選挙時の弾丸を拵えるために結成されたものだ。だが、もし噂が本当なら、逸脱が過ぎる。現場を押さえられれば良し、南郷の裏金の証拠が出ればなお良し」 「ご友人なのですよね?」  よくもまあ、ここまで詳細に調べ上げたものだと、永青が半ば呆れながら視線を向けると、桂木は苦い顔をした。 「私は万年次席でね。彼とは誕生日が一日違いで、よく揶揄われた」  つまりは腐れ縁ということか。永青が頷くと、桂木は椅子の背に軍服の背中を預けた。 「妓楼で膿んだ頭にはちょうどよかろう。やれるか?」 「はっ」  七年もの間、眠ってきたのは、借りを返し、雪辱を果たすためだ。  永青は一も二もなく頷いた。

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