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第8話 出奔
西日の差し込む南郷の書斎に初めて呼ばれた永青は、直立不動だった。
紫檀の執務机の向こうでは、南郷がパイプに刻み煙草を詰めていた。ヘビースモーカーの南郷は紙巻煙草を欠かさず、時々、パイプや煙管にも浮気をする。近づくとこちらまで燻されるが如く、紫煙の匂いがぷんぷんした。
南郷から簡単な用事を言いつかり、こなしたあとの報告を上げにきた永青は、やっと書斎へ招かれたことに浮かれるどころか、数日おきにほとんど休みなく小鳩に快楽を与え続ける南郷への、不信感が募っていた。無意識のうちに小鳩に己を投影した永青は、その日、とうとう南郷を詰問した。
「なぜあんな真似を……あんなことを続けていたら、彼が駄目になってしまいます」
わざわざ家庭教師を付けるほど大切にしているのではないのか。永青の声に南郷はパイプからじろりと視線を移し、三白眼になった。黒い眼球が鋭さを増す。
これ以上、小鳩を凌辱し、身を削がれる想いをしたくなかった。南郷も永青も、指で小鳩を満足させるだけで、中に己を入れることはしない。不能の南郷はそれで良いとしても、熱のある小鳩の身体を背負い、三階の部屋まで戻るまでの間、華奢な四肢を引き裂いてしまいそうな衝動を、永青は何度も心の中で殺していた。
いつか小鳩をめちゃくちゃにしてしまうのではないか……、そうなれば自分は化け物と化してしまうのではないか……、と永青は畏れていた。
「武士の嗜みよ」
「このご時世に、何が武士ですか」
糾弾された南郷は、こともなげにパイプからぷかりと旨そうに煙を吐き出す。
「あれは美しく、ゆえに手折りたくなる。そう思わんかね?」
「あなたは、狂ってる……っ」
そんなこと思うわけがない、と叫ぼうとしたところ、不意に南郷が立ち上がり、永青のいる方へ歩いてきた。紫煙が顔にかかり、咳き込む寸前で虚空を見る。上官に睨まれた下士官の性が出てしまい、永青が居住まいを正そうとすると、いきなり股座を掴まれた。
「話をするだけで、これだ」
手を離した南郷が、永青の背後へ回り込む。おそらく嘲りを浮かべた顔で、永青を揶揄する。
「……貴様も、嵌まっているではないか」
ぎり、と噛み締めた唇に血が滲むのもそのままに、永青は反射的に窓辺に視線を移した。
夕焼けに染まる窓のひとつに情欲に塗れた己の顔を見つけた途端、永青はとうとう耐えきれなくなった。
年の暮れ、永青は誰にも何も告げず、ひとり南郷邸を出奔した。
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