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第12話 向こう側

 冬枯れの木立ちが北風にびゅうびゅうと鳴っていた。  白い息を吐き出した永青が、使用人から小鳩を見たと教えられた透垣の辺りへゆくと、竹箒で庭を掃き清めている細い姿が見えた。  声をかけようとしてためらったのは、垣根の向こう側に人がいるらしいことに気づいたせいだった。 「……何だか少し、気持ちが緩んでさ。いけないことだってわかってるから、どうにか堪えるんだけれど……」  一見、独り言に見えるが、向こう側の空と垣根の境目から、煙が細く立ちのぼるのが見える。着物姿の青年らしき影が相槌を打つと、小鳩はそっとはにかんだ。 「意地悪、言わないでよ」  小鳩に応える声は永青の耳にまでは届かなかったが、すぐに立ち話を終えると、煙草の青年は挨拶もせずに立ち去った。小鳩はしばし箒を持ったまま放心していたが、やがて我に返ると、ふと永青を振り返った。 「先生」  気配もさせなかったはずだ。小鳩は少し疲れた顔色だった。ここのところ南郷による責め苦が苛烈を極めており、加えて永青に愛撫を求めるようになり、爛れた夜を送っているせいだった。 「誰かいたのか?」  小鳩が屋敷の外の者と話しをするのは珍しいことだ。永青が糾すと、肩をすくめられる。 「ん。知り合い。この通りを二つ挟んだところに呉服屋の大店があるんだけど、そこで手代をしてる尾瀬さん。世間話さ。おれ、世間知らずなんだって。色々疎くて笑われる」 「そうか」  ちらりと影しか見えなかったが、小鳩より幾らか背が高く、年上のようだった。何にせよ、外の世界に興味を持つのはいいことだと考えた永青は、短く頷いた。いつまでもこんな生活を続けさせるわけにはいかない。南郷の行状の証拠が揃ったら、すぐにでも桂木に動いてもらい、小鳩を保護させるつもりだった。 「先生こそ、用事?」  小鳩が目ざとく水を向ける。聞かなくともわかる、という表情だ。 「大佐がお呼びだ。……すまないな」 「先生が謝ることじゃないよ」  小鳩は軽く頷くと、永青のきた道を戻ってゆこうとした。夏緑樹林はすっかり葉を落とし、針鼠のような外観になっている。その間をゆこうとした小鳩がふと足を止め、永青を振り返った。 「おれがさぼってたこと、旦那様に言う……?」  怯えた表情に、永青は先ほどの逢瀬を知られたくないのだと直感した。心がちりっと焦げた気がした。 「いや。きみの交友関係に口を出す気はない。友人をつくるのはいいことだ。むしろ、もっと積極的に外にでるべきだよ、きみは」  しごく常識人的なことを言う己を軽蔑しながら、それでも永青は「まっとう」なふりをしようとした。 「友人って……そんなんじゃないよ」  ころころと笑う小鳩に、なぜか安堵する。 「大事だろう。友だちは」 「そうだけど。あの人はただの知り合いさ。話してると少し楽しいだけ」  むきになる永青がよほど珍しいのか、小鳩はひとしきり笑うと、礼を言った。 「ありがと、先生。おれ、いくね」  落ち葉の舞い散る樹林の中を駆けてゆく小鳩を見送り、永青もまた邸へと引き返した。

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