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第25話 南郷郷士

 麹町にある陸軍衛戍病院へ入れられた永青は、取り調べもろくにされないまま、三日後に嫌疑不十分で釈放された。  追い出されてすぐに桂木を訪ねると、あっさり面会許可が下り、傷のせいでろくに眠れないままだったクマだらけの顔で、本部の廊下を、南郷から譲られたボロ切れのような一張羅姿で歩く永青を見た者は、ぎょっとするか、哀れみの視線を投げるか、無視するかだった。桂木の執務室に入ると、発砲したことを棚に上げ、「そんな脚で歩き回って、麻痺が残っても知らんぞ」と呆れられた。  桂木は永青に執務机の前にある面会用の長椅子を勧めると、自分もその向かい側に腰掛けた。低い卓子の上に、見覚えのある木製の額を投げ置いた桂木は、煙草に火を点けた。 「……宮ヶ瀬小鳩の行方か?」  永青がかっとなるのを待っていたかのように煙を吐き出した桂木から、南郷と同じ匂いがすることに気づいた。同じ銘柄の煙草を吸っているのだ。 「あの青年なら横槍が入った。もう我々には手が出せん。忘れることだ」 「横槍? どこのですか?」  煙を浴び、我に返った永青に桂木は答えず、話を微妙に逸らした。 「南郷の取り調べにも邪魔が入ってな。結局のところ、疑獄事件に落ち着きそうだ」  思わせぶりな台詞を聞くためにわざわざ痛む脚を引きずってきたのではない。永青が詰め寄ろうとすると、桂木が右手を上げ、制した。 「宮ヶ瀬小鳩のことは忘れろ」 「どういうことですか」 「探すだけ、骨折り損だ。そんな戸籍の者は存在しない」 「え……?」  小鳩が陸軍の関連施設にいると思い込んでいた永青は、狼狽えた。よく見ると、桂木も少し参っているような顔つきだった。ため息とともに敷島煙草の煙をぷかりとやると、桂木は灰皿に向かって押し潰した。 「これは選別だ。持っていけ」  額装された小鳩と永青の鉛筆画を指先でちょいと突つくと、桂木は二本目の煙草を取り出した。 「これ以上は秘匿事項だ。今を持って貴様は部外者だ。拳銃と階級章を置いてゆけ」  こんなものまで押収されたとすれば、南郷は罪を免れないだろう。永青にしたところで、加担したと思われてもおかしくない。それを見逃す発言とも取れる判断を桂木がした、ということは、これ以上、探りを入れても何も出ないだろうと考えた。  拳銃と階級章を置いた永青が、額を懐に入れ、立ち上がると同時に、桂木は立ち上がった。 「ああ、そうだ。これはまだ伏せてあるが……」  踵を返しかけた永青の肩に、桂木の声が飛ぶ。 「南郷が昨夜、自害した」 「——……っ」  その声に振り返った永青に背を向け、桂木はいつの間にか席を立ち、窓際へ移動していた。 「貴様には報せておくべきだと思ってな」  黄色い日差しの覗く窓辺で桂木が呟いた。  永青は最後にひとつ敬礼すると、その場をあとにした。

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