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第11話

「……藤岡さん」  彰吾が悠希さんではなく、藤岡さんと名前を呼んだ。 「せっかくここまでご足労頂いたのですが、やはり、このあとは我々親族だけで父を送ります」  彰吾の物言いは悠希に帰れと言っている。 「タクシーを手配します。申し訳ありませんが、ここでお引き取りください」  元々、いたくてここにいるわけではない。悠希は異を唱えることなく、彰吾の言葉に小さく頷いた。 「代わりといっては何ですが」  すっと音もなく彰吾が悠希に近づいた。急に身近に感じられる彰吾の体温に、悠希の胸が大きく鼓動した。彰吾はそんな悠希を見下ろすと、もう一度上着の胸ポケットに手を入れてあるものを取り出した。そして、いきなり悠希の右手を掴んだ。  そのしっとりとした冷たい感触に悠希は小さく息を詰める。悠希の手のひらを上に向けて、彰吾は今しがたポケットに入れた手を重ねてきた。手のひらには彰吾の皮膚の感触ではなく、何か硬い無機質な物が感じられた。 「これをあなたに差し上げます」  離れていく彰吾の手から現れたのは、小さな電子機器だった。 「……携帯電話?」  呟いた悠希の前髪に、ふっと彰吾の吐息が掛かる。 「ええ。父がいつも肌身離さず持っていたものです。ですが、自分の最期を悟った際に父から俺が預かりました。その時、父は一言、……これを藤岡に渡してくれ、と」  悠希は弾かれたように上を向いた。そこには彰吾の精悍な顔がある。そのあまりの近さと冷たく自分を見つめる瞳に思わず体が震えた。 「実は、父が亡くなってからこの携帯の中を見ようとしたのですが……」  彰吾は悠希に視線を合わせたまま言葉を紡ぐ。その視線を悠希は外すことが出来ない。 「残念ながらロックが掛かったままで見れなかったんです。ですが、あの父の事だ。俺に渡した時点でパスワードを伝えなかったと言うことは、あなたがそれをご存知なのだと判断しました」  手のひらに収まる程の深紅の携帯電話。  その小さな箱がやけにずしりと重く感じる。また手のひらへと視線を向けた悠希に彰吾はさらに間を詰めてきた。避ける間もなく、悠希は肩を強く掴まれると頬を摺り寄せるように彰吾に耳元へと顔を近づけられて、 「……それには父からあなたへの最期の言葉が入っています」  ぞくり――。  あの人と同じ声色で彰吾に低く囁かれた。はっ、と息をついた悠希に、 「どうか父の懺悔を嗤ってやって下さい」  耳元で彰吾の含み笑いが響いた。ぞわりと鼓膜を揺らしたそれから反射的に頭を離そうとしたとき、  ――ちゅ。  微かに湿った音と共に、悠希の左の耳に熱い吐息が吹きかけられた。 (な、にを……?)  耳朶を食まれたのだと気づいた時には、既に彰吾は悠希から離れて静かに顔を見下ろされていた。驚きのままに動けずにいる悠希に柔らかな笑みを溢す彰吾は、あの男と瓜二つだ。  手の中の携帯電話を握り締めて彰吾を見上げる悠希の頬に、ぽつりと空から雨の雫が落ちてきた。 「ああ、また降りはじめましたね」  彰吾が手を上げて、何の迷いもなく悠希の頬に落ちた水滴を指先で軽く拭う。 「まるで涙のようだ。……今日は父を送るのに相応しい日になりました」  優しく微笑みかけられているのに、悠希には彰吾のその褪めた眼差しが、再び降り始めた雨よりも冷たく感じられた。

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