あの店は前の彼と一緒に何度か行ったことがあった。とはいえ、今回のように一人で一晩だけの相手を探しに行ったのは初めてだ。内心びくびくしながら店に入り、ドリンクを注文すると直ぐに壁と同化した。息を潜めてフロアに行き交う男達に視線を泳がせた。 　すっかり気配は消していたのに、何人かの男が悠希に声をかけてきた。それを何とか躱しつつ自分の希望に叶う男を探す。 　そして見つけたのだ。少し前から気になっている人物にそっくりな雰囲気を持つ男を。 　彼は店に入ってくると、スーツ姿でカウンターのスツールに座った。高いスツールなのに余裕で足を床につけている。常連客なのかバーテンダーに軽く挨拶をすると、直ぐにカウンターの向こうから水割りが彼の前に置かれた。 　彼が一息つく間もなく、どこからか若い男が彼に話しかけた。大きな背中の向こうから、彼が燻らせたであろう煙草の煙が細く立ち上る。 　数分ほど、彼は若い男と話をしていたが、どうも今夜の相手にはならなかったようだ。若い男が残念そうに離れていくと、すかさず別の男が彼の隣へと近寄っていった。 （人気のある人なんだな） 　男の背中から醸し出されている雰囲気は、悠希がここ最近気になっている職場の上司によく似ている。優しくて頼りがいのある年上の上司。初めて一夜限りの相手とベッドを共にしようというのだから、出来れば気に入っている人と似た感じの男がいい。 　彼に話しかけていた男がまた離れていく。彼の趣味に合わなかったのだろうか、それともただ今夜は飲みたいだけなのだろうか。 （二人ともかなりの良い男だったのに） 　悠希は少し怖じ気づいてしまう。断られたらどうしよう。でも、そんなことは折り込み済みでここに来たのだ。それに早くしないと他の男が彼に寄ってくるかもしれない。 　くっ、と残った酒を呷ると、空のグラスを持ったまま悠希はカウンターへと近寄った。さりげなく彼の横に立ってバーテンダーにグラスを返すと、こくりと彼に聞こえないように喉を鳴らしてから、 「あの、もしかして一人ですか？」 （もっと気の効いた台詞があっただろうに……） 　後悔しつつもにこやかな微笑みを表情に張りつけた。悠希のかけた声に、煙草を燻らせていた男は小さく肩を揺らした。 　そして、節のあるしっかりした指で煙草を灰皿に押しつけながら、悠希のほうへ顔を向けた。 　その男の顔を見た途端――。 　悠希の表情は微笑みから驚愕へと変わった。男も驚きに目を見開いて、沈黙が二人の間を支配する。これは出逢って直ぐに恋に落ちたからではない。互いに意外な人物が目の前にいたからだ。 　沈黙を破ったのは彼だった。 「……藤岡？」 　彼の口から小さく発せられた自分の名前に、悠希は弾かれたようにその場を逃げ出した。