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第55話
「……ほんとはね、父さんと旅行になんか来たくなかったんだ」
ぽつりと呟いた彰吾を悠希は優しく見下ろす。
「風邪も引いてたから前の日まで、行かないって言ったんだけれど、母さんがどうしても行けって」
「お母さんが? お父さんはなんて?」
「父さんは好きにしろって。元々、俺がいてもいなくても、父さんにはどうでもいいから」
悠希は少年の打ち明けたことに驚いた。
「父さんと二人だけなんて、どうしていいか分からないから嫌だったけれど……。でもね、悠希さんと会えて親切にしてもらって、皆にも優しくしてもらって凄く楽しかった」
そう、と悠希は自然と腕を伸ばして少年の頭を撫でた。艶のある、黒くて短めの髪から伝わる熱はまだ下がりきっていない。それでも彰吾は気持ち良さそうに息を吐き出した。
「今回は行けなかったけれど、彰吾くんが一人でも旅行に行けるようになったら、また一緒にここに来てテレビ塔から大通公園を見ようね」
悠希の言葉に、うん、と彰吾は返事をした。
「さあ、ゆっくり休んで。今夜は俺もここにいるから」
小さく頷いた彰吾は、熱で赤くした顔に照れたような表情を浮かべると、
「……悠希さん、手、握って」
毛布の下からそっと出された手を柔らかく握る。知らない土地で体調を崩して心細いのだろう。大人の悠希でさえ一人で寝込む孤独感は堪えがたい。
「俺、悠希さんに会えて本当に良かった……」
そう呟くと彰吾はまた瞼を閉じた。しばらく彰吾の手を握ったままで少年の寝顔を眺めていると、風呂に行っていた各務が帰ってきた。
「彰吾くん、さっき少し起きましたけど、また眠ってしまいました」
各務は、彰吾の状態を説明した悠希の姿を見て苦笑いをした。
「すっかりおまえに甘えているな。手なんか繋いでもらって小さな子供じゃあるまいし」
「不安だったんですよ、きっと」
悠希は繋いでいた手をそっと離すと、彰吾の手を毛布の下に仕舞った。各務が部屋備え付けの冷蔵庫を開けながら、
「一杯やるか?」
「いえ、今日はもう休みます。昨夜、太田達の鼾がうるさくて眠れなかったんです」
悠希は笑いながら立ち上がると隣の和室に布団を敷き始めた。
「今夜は彰吾くんの隣のベッドを使って下さい。くれぐれも寝煙草はしないで下さいよ」
寝る支度をしながら、てきぱきと各務に指示を出す悠希の姿を、各務は缶ビールを口にしながら眺めていた。
「それでは何かあったら遠慮無く起こして下さいね」
「ああ、分かったよ。おやすみ」
和室の障子を閉めようとした悠希に各務が言った。何度も熱い夜を一緒に過ごしたのに、おやすみ、なんて言われたことが無い。悠希はその言葉をくすぐったく思いながら部屋の灯りを小さく落とした。
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