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第65話
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「なかなか風邪が治らないですね」
あれほど寝煙草は駄目だと言ったのに、各務は悠希を抱いた後は必ず旨そうにベッドの中で煙草を燻らせた。だが、今夜の各務はいつものように煙草を咥えると、不味そうに顔を歪ませて小さく咳き込んだ。
「全くだ。ちゃんと薬は飲んだんだがな。今年の風邪は厄介だぞ。煙草が不味くて仕方がないよ」
「これを機会に禁煙されたらどうですか?」
各務は笑いながら、吸い始めたばかりの煙草を揉み消した。
「何度目だ? 俺が風邪の引く度に禁煙しろと言うな、おまえは」
各務がシーツに包まる悠希に優しくキスをしてくれる。
「部長の体が心配なんですよ。そうでなくてもいつも残業ばかりで、休みも満足に取れていないじゃないですか」
「それはおまえも同じだろう? ま、おまえくらいの頃は少々の徹夜でも若さで乗りきれるか」
各務が寝ころんだままで両手を天井に突き出すと、うーん、と伸びをした。
「まあ、確かに不摂生が祟っているな。近頃、体が弛んでいるような気がする」
悠希は空間に拡げられた各務の両手を見た。相変わらず節のしっかりとした大きな手。悠希の肌を這い、軽やかに触れて熱く掴まれるその手が悠希は好きだった。
そして左の薬指。いつの頃からか、各務は普段から嵌めていた結婚指輪をしなくなっていた。
太って入らなくなった、と言うのが各務の弁だが、理由はどうあれ各務の妻の存在を思い出させるそれが無いことに、悠希は少しの安堵を覚えていた。
「弛んでなんかいませんよ」
悠希は各務の厚い胸板に頬をすり寄せる。各務が降ろした腕を悠希の頭の下へと滑り込ませて腕枕をしてくれた。
「本当におまえは可愛いことを言う奴だ」
ぐっ、と肩を引き寄せられて唇を重ねようとしたとき、また各務は小さく咳をした。
「部長、風邪だけは伝染さないで下さい。二人して倒れると業務に支障が出ます」
笑いながら言った悠希を抱き締めて、各務はごめんごめんと苦笑する。そして悠希の耳元で、
「もう一回、いいだろう?」
悠希は、もちろん、と申し出を受けると、再び熱いキスを二人で交わした。
あの後も各務は長い間、咳が止まることが無かった。それに気づく度に悠希は近所のかかりつけ医ではなく、大きな病院で診てもらったほうがいいと各務に言った。
さすがに長引く咳に各務も辟易したのか、このメールの文章を悠希に寄越してきたのだ。
ふと、悠希はあの火葬場の庭園で、彰吾が話したことを思い出した。
「父は肺癌を患っていました」
あの言葉に悠希は違和感を感じた。さらにあのとき、彰吾はこうも言った。
「三年前から」
(――もしかしたら、あの頃から?)
あのメールの後、各務は病院に行ったと自分に告げただろうか? そんな記憶は無い。それよりも……。
病院に行くと伝えたメールの後には幾つかの仕事の会話が並んで、そして……。
悠希は件名の無いその日の発信メールを開いた。
『おまえに話したいことがある』
その一文を各務はどんな気持ちで打ち込んだのだろう。
――こんな一言で呼び出されたあの頃の俺は……。
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