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第66話
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「おはよう、藤岡。すごいな、おまえ」
家庭を持ってから腹回りに貫禄がついてきた太田が、出社して自分の席に着いた悠希に声をかけてきた。
「おはよう、太田。でもなに? すごいって」
太田が、早くパソコンを立ちあげろと悠希に催促する。ようやく立ち上がったパソコンのマウスを奪い取って、太田は社内連絡用のウェブページを画面に出した。
「ほら、ここ見ろよ」
それは社員の異動や退職予定が載っているページだ。悠希はそのページに自分の名前があることに驚いた。
「いよいよ、おまえも海外出向か。このプロジェクト、結構な規模らしいな」
太田はなぜか自分のことのように喜んでいる。ぽかんと画面を見つめる悠希に太田は、
「同期の中で今まで異動が無かったのは藤岡だけだもんな。各務部長の秘蔵っ子が満を持して旅立つわけだ」
悠希の会社は海外にも拠点を持っている。国内にも主だった都市に支店や営業所がある。
大抵、入社して三年も経つと転勤の辞令が出る。現に太田も四年目の春から関西へと転勤になり、今年になって家族と一緒に帰ってきていた。
「どうしたんだ。狐に化かされたような顔をして」
「……いや。信じられないと言うか」
多分、今でも何度か悠希の異動の話は出ていたはずだ。しかし、今までそれを免れていたのは、各務が水面下で手を回しているからだと思っていた。各務が課長の頃は悠希を異動対象者に推薦しなかったし、部長になってからは悠希の名前が挙がっても了承しなかった。
だから悠希は自然と周囲から、各務部長の秘蔵っ子とか懐刀などと思われていたのだ。
「でもこれから忙がしくなるな。残り三週間で出向先の住まいの手配と、こちらの引き揚げの準備に業務の引き継ぎか」
「三週間?」
「そうだよ。ほら、向こうへの着任は来月一日からだ。あそこなら行ってしまうと四、五年は戻って来られないだろうから、おまえの激励会も盛大にしないとな」
――四、五年……。
ほとんど地球の裏側とも言える場所だ。
(時間も距離も遥か遠く、あの人から離される……)
悠希の時期外れの異動の話は、あっという間にオフィスに拡がった。同期や他の社員が口々に悠希に話しかけてくる。中には少し涙ぐんだような女性社員もちらほらいた。
(違う。俺はこんなこと、望んではいない)
とにかく事の真相を部長に聴こう。もしかしたら異動が撤回されるかもしれない。きっと何かの間違いだ。俺以外にも適任者は大勢いるのだから。
今日は朝から各務は日帰りの出張に出掛けている。ここのところ、各務は同伴者を悠希ではなく、入社三年目の後輩社員を指名していた。
――ツキン。
小さく痛む胸を抱えて、悠希は不安な気持ちを押し込めた。
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