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第69話

「そんな……。だってあのとき、部長はメールで……」 「あんなの普通の誘い文句だろう? 別におまえが乗ってこなくても良かったんだ。それを何を思ったのか、ほいほいとおまえが誘いに応じるから」  各務が悠希から視線を外して大きく息をついた。 「そうでなくても隠し事を共有する相手が職場にいて、未だに体の関係を続けているなんて、異常だとは思わないか?」 (……俺達の関係は異常なのか?) 「まあ、俺も迂闊だったよ。あのとき一度、おまえに釘を差して終わりにしておけば良かったんだ」  悠希はやっと今の状況を理解した。各務は悠希を遠ざけようとしている。いや、悠希との関係を精算するつもりなのだ。 「……なぜです」 (俺は何か過ちを犯したのか? 部長の不興を買うような過ちを) 「おかしいじゃないですか。だってあんなに俺に優しくしてくれたのに。俺は何かしましたか? 周囲には俺達のことは知られていません。それになぜ、俺に先に相談してくれないんです? 気に入らないことがあるのなら謝りますから……」  気持ちの整理がつかないままに思ったことを口にする悠希に、各務は呆れたようなため息をついた。その冷たい態度が余計に悠希を混乱させた。 「会社で喋りかけるなというのならそうします。あなたから呼び出されるまで俺からは連絡をしません。だから、辞令の件は」 「おまえのそういうところが気に入らないんだ!」  各務の怒声に悠希は鞄を落としてしまった。 「自惚れるなよ。俺はなにもおまえが好きだから傍に置いていた訳じゃないぞ。おまえにぺらぺらと俺の性癖を吹聴されるのが嫌だったから、監視の意味もあってだ」  各務の言葉に悠希の心臓が抉られていく。急に息苦しさを感じて口を開けると、自分が息を止めていたことに気がついた。各務は薄い笑みを顔の表面に貼り付けると、 「まさか俺が、おまえ恋しさで色々と便宜を図ってやったと思っていたのか?」  クククッと各務は嗤った。そして、そのまま黙ってしまった各務を悠希は茫然と眺めた。  あの夜からもう七年になろうとしている。幾夜も各務と素肌を重ねて、互いの想いは一緒だと想っていた。例え、日蔭の身でも、各務には帰るべき家庭があっても、それでも悠希は各務に愛されていると感じていた。  何とか声を出そうとしてみる。だが、奥でつっかえた言葉は次第に悠希の喉を詰まらせた。それでも唾を呑み込んで、自分でも聞き取れない程の微かな声を絞り出した。 「部長は俺と別れたいんですか……」 「別れたい? 別れるもなにも、俺達は始まってもいないよ」  付き合っているのでは無くて、始まってもいない。各務と自分との認識の違いに悠希は打ちのめされる。 (俺があなたを愛していると囁いた言葉は、届くどころか全て初めから遮断されていたんだ……)

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