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第72話(5)
もうすぐ横浜に着くと車内アナウンスが流れる。やっとここまで帰ってきたかと悠希は息をついて、送信フォルダの最後のメールを閉じた。各務からのメールはこれが終わりだ。
各務の元から逃げ去ったあと、冷静になってその夜のうちに何度か各務に謝罪の連絡をした。しかし各務は電話に出ることもメールに返信することもなく、翌日、普段通りにオフィスへと現れた。
周囲にはいつもと変わらない様子に映っただろうが、悠希には各務が自分と一線を引いているのが分かった。
それはまるで肌をピリピリと斬られるような緊張感――。
最初から悠希の存在など無かったかのような各務の態度に、悠希はどんどんと追い詰められていった。
(なぜ、あのとき、あの街を逃げ出したのだろう……)
今になって考えると、とても滑稽だ。ただ、とにかく各務の傍に居たくはなかった。存在を否定されてもなお、心のどこかで各務が自分を必要としてくれている、愛してくれていると想いたかった。
しかし、各務がまた体目的で悠希を呼び出して、それに断りきれずに応じてしまうであろう自分の心の弱さが耐えられなかった。
適当な理由をでっち上げて悠希は会社を辞めた。当時の上司だった課長は大層驚いたが、各務の元へ退職願いが届くとあっさりと受理された。
(完全に俺は捨てられた)
自分の痕跡を残したく無くて何もかもを捨て去ると、悠希は知る人のいない大都会へと姿を消した。
それが今から三年前のことだ。
あれから悠希は、過去の自分を否定するように生きてきた。運良く入った大手企業のシステム関連の子会社で、悠希は死にもの狂いで働いた。性格も随分変わったと思う。
三年前までは大人しくて優しい、少し場に流され易かった自分が、今では部下を叱責し、必要最低限の人付き合いしかせず、どんな手段を使っても仕事の成果だけは落とさない、つまらない人間になっていた。
(あの頃の俺は死んだんだ)
悠希は携帯電話の画面を何の熱もなく見つめた。各務と過ごした七年の歳月がこの小さな箱の中にある。あの青年がこれを悠希に渡したのは、中を読んだらこの携帯電話の処分は好きにしてもいいとの思いもあったのだろう。
ピッ、と送信フォルダから移動して、携帯電話の電源を落とそうとしたその時、何気なく眼に入ったもうひとつのフォルダの存在に悠希は気がついた。
未送信メールのフォルダ。
悠希のスマートフォンにももちろんそれはあるが、普段は滅多に使うことのない代物だ。多分、空だろうと悠希はその未送信フォルダを開いてみた。
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