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第74話

 病気のせいで以前のように働けなくなった苛立ち、病院へ経過検査に行く不安、再発していなかった安堵、時間に余裕が出来て、初めて四季を感じとれた小さな感動。  それらを短い文章で折に触れて各務は綴っていた。そして何よりも――。 『明日も検査がある。いつものことなのにやはり不安が溢れてくる。最初に余命を告げられた時のあの絶望感が甦る。こんなとき、独りでいることが堪らなく寂しい。おまえに傍にいて欲しい』  各務の文章から見えてくるのは後悔と孤独だ。明確なのは悠希を手離した後悔。だが、この孤独は?  各務には妻も子供もいた。一緒に病と戦ってくれる家族が傍にいるのになぜ、各務はこんなに孤独を吐き出すのだろう。  悠希は混乱してきた。あのとき、酷い侮蔑を自分に与えて各務の方から別れを告げたのだ。それを後になってどうして自分を気にするのか。 (手離した玩具が惜しくなったのか?) 『五年間、何事も無く寛解状態を保てれば完治したと判断されるそうだ。まだ先は長いが踏ん張るしかない。出来ればおまえにもその間、我慢して欲しかった』  列車が横浜を離れる。もうすぐ終点だ。各務の未送信のメールも終わりに近づいていた。悠希は次のメールを開いた。そして目に入ったその一文は、きつく胸を締め付けた。 『再発。転移した』  短い文字の間に各務の無念と怖れが滲み出ていた。次の未送信メールを開くたびに指が震えてくる。眼に映る文字から、まるで各務の絶望が噴き出してくるようだった。 『吐き気が止まらない』 『息が出来ない』 『背中が痛い。寝返りも出来ない』  つらい、痛い、苦しい、くるしい……。  指先から熱が奪われていく。自分のことでは無いのに、悠希の体も各務と同じような痛みや息苦しさを感じた。ネクタイの無い襟元に手を突っ込んで、思わず首回りの締め付けを緩めようとした。 『今日、彰吾からホスピスへの転院を勧められた。いよいよ俺は駄目らしい』  各務の言葉から前向きな希望が無くなっている。もう一度そのメールの作成日を確認すると、それは今からふた月ほど前だった。 『痛み止めが効いたのか、ここのところ眠れるようになった』 『ここの景色は美しい。目の前に海が広がっていてセーリングの帆も見えるぞ。おまえにも見せてやりたい』 (ホスピスに移ったんだ……)  各務の文章から穏やかで透明な、だが確実に死に近づいている雰囲気が流れていく。

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