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第75話
『今日も彰吾が来てくれた。あいつも自分のことで忙しいのだろうに、ここのところ良く来てくれる。あいつには迷惑を掛けっぱなしだ。だが、おかげでおまえのことが少しずつ分かってきて嬉しいよ』
(――、俺のことが分かる?)
この頃は良く各務の息子が見舞いに行ったのだろう。彰吾とのやり取りの内容が多くなってきた。しかしなぜだろう。各務の妻やあの泣き崩れていた娘の話題は一つも書かれてはいなかった。
『薬で痛みをコントロール出来るようになってから、頻繁におまえの夢をみるよ』
各務の低くて優しい声が携帯電話から流れてきそうだ。
『夢の中のおまえはいつまでも変わらないな。反対に俺はすっかり変わってしまった。きっと今、俺と会ってもおまえは俺が分からないだろう』
悠希の身近に癌で命を落とした者はいない。しかし容易にこの頃の各務の姿が想像できた。
『今夜は風が強い。こんな夜は気分が重くなる。後悔ばかりが浮かんでくる』
『自分の愚かなプライドが情けない。なぜ、あのとき他の選択肢を考えなかったのか』
『酷い言葉でおまえを傷つけた。謝りたい。おまえの顔が見たい』
『彰吾が来ると、おまえを連れてきたのじゃないかと期待してしまう。当然、居ないのは分かっているのに、それでもおまえの姿が無いと落胆する』
『すまない』
『俺を許して欲しい』
『もう一度だけ、おまえに会いたい』
あいたい、あいたい、あいたい……。
列車が品川を出る。次は終点、東京駅だ。でも、悠希は降りる支度をすることが出来ない。
胸の動悸は激しくなり、喉の奥に閊えたものが飲み込めない。そわそわと落ち着きがなくなって、ともすれば叫び出しそうな体を何とか座席に押しつけた。
各務の未送信メールはあと二つ。
もう見たくない。
あんな男の最期の戯れ言に、なぜこんなに心を掻き乱されなければならない?
いや、これを読まなければならない。
あの頃の各務の命の灯火を。それが消えるさまを見届けられるのは俺だけだ――。
大きく左右に揺れる心を落ち着かせようと深呼吸をすると、悠希は残り二つの一つ目のメールを開けた。
『もっと素直に生きていれば良かった。おまえが俺に言ってくれた言葉と同じように、もう決して届かないのに、それでも最期におまえに言いたい……』
急に目の前が揺らめいてくる。悠希は霞む視界で液晶画面を睨み付けた。画面をスクロールしていくと何行かの間があってその言葉は表示された。
『おまえを愛していた』
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