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第78話

 各務の携帯電話を手に入れてから一年が過ぎた。  手に入れた当初は、あの頃の想い出が重すぎて何度も処分しようと考えた。だが、いざ捨てようと手に取る度に、自然と中のメールを目で追ってしまう。  新人の頃の自分の悩みに、各務は的確なアドバイスを返してくれている。仕事に対する質問も年を重ねるごとに専門的なことになり、各務の返事の内容も高度なものになっていた。  それらを読むにつれ、いつの間にか悠希は今の仕事に不安になると、この携帯電話を覗くようになった。そして不思議なことに、この携帯電話のメールを読んだ夜は安心できるのか、薬に頼らなくても眠れた。  それに気がついてから、悠希はこの赤くて古い携帯電話を普段でも持ち歩いて、時間があれば各務と自分のあの頃のやり取りを冷静に読み返すようになっていった。 「課長の用事ってなに?」  二人きりのエレベーターの中で悠希に声をかけられて、伊東は嬉しそうな顔をした。 「明日から出向してくる親会社の人がたまたまこの近くに来たから、うちにまた顔を見せにくるそうですよ。藤岡主任、前の面談のときは出張してましたもんね」 (別に明日になれば、嫌でも顔を会わせるだろうに)  悠希は伊東に気づかれないように面倒な顔つきをした。 「今度の人はちゃんと仕事をしてくれるのかなあ」  小さく文句を言って伊東がまたプッと頬を膨らませた。確かに以前の出向者は定年間近のエクセルもまともに使えない態度ばかりが横柄な奴だった。  悠希の会社には親会社からの出向者が数人いる。大抵がその男と同じか研修を終えたばかりの新人だ。対した戦力にもならないのに教える手間と高いプライドに振り回されて、伊東達社員の彼らに対する評判は決して良いとは言い難かった。 「ま、でも、うちのチームに来た人は、いつも主任がギャフンと言わせるから大丈夫ですね」  別に虐めたりしているわけでは無い。 「やるべきことをやってくれればそれでいい。それすらも出来ないなら要らないから」 「もう。またそんなことを言って。でも主任のそんなクールなところが良いんですけれどね」  耳を赤くしながら言う伊東の台詞を悠希はスルーして、開いたエレベーターの扉から廊下へと出ていく。待ってください、と背中をついてきた伊東が、悠希の後ろから廊下の先を見て、あっと声をあげた。 「もう、いらしてたみたいですね」  伊東の視線を追っていくと、オフィスから出てきた課長が悠希達に気がついて「藤岡主任」と呼び寄せた。 「ちょうど良かった。もう帰られるらしくて。ああ、相原さん」  オフィスのドアの向こうにいる人物に課長は声をかけると、その人物が姿を現した。

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