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第80話

(やっぱりあれは彰吾くんだ……)  物思いにふける悠希にまた「主任」と伊東から話しかけられた。 「主任、携帯、鳴ってますよ」 「携帯?」  確かに自分の周囲から小さな高い音が鳴り響いている。でも、スマホはバイブにしていたはず……。  慌てて椅子の背もたれに掛けていた上着のポケットを探る。取り出したスマートフォンは静かなもので、それでも小さな音は鳴り止まなかった。 「ガラケーのほうじゃないですか?」 「……ガラケー?」  信じられないと言った悠希の表情を、伊東は不思議そうに見つめて、 「だってまだ上着のほうから音がしますもん」 (嘘だ、そんなこと――)  悠希は震える手で赤い携帯電話を上着から取り出す。小さなコール音は途中で途切れて、手にした携帯電話は静かになっていた。悠希は携帯電話を持ったまま、動揺を皆に悟られないようにオフィスから廊下に出た。そして照明が消されている給湯室に入ると、灯りも点けずに携帯電話を開いて画面を確認した。  確かに着信履歴がある。残念ながら非通知でかけられたのか相手の番号が分からない。この一年あまり、各務の携帯電話を手元に置いていたが、こんなことは初めてだった。いや、そもそもこの小さな赤い箱の通信回線が、まだ残っていたことに悠希は大きく動揺した。 (いったい、誰からの電話だったんだ……)  薄気味の悪い思いに駈られた時だった。  ピリリッ、ピリリッ、ピリリッ。  急に鳴り始めた携帯電話の音に、びくりと体が震えて思わず携帯電話を手の中から放り出しそうになった。  白く光る液晶画面を確認すると、そこには手紙が飛び込んでくるさまが写し出されている。しばらくすると受信完了と表示されて、悠希は受信したばかりのメールを選択した。見慣れないアドレスからのメールには件名が無かった。  メールを開いて瞳に飛び込んで来た文字に、悠希の心臓は鷲掴みにされた。 『悠希。今夜八時にこの場所で待っている』 (なんだ、これは……)  自分の粗い吐息がやけに耳についた。文字の背景の白い画面に網膜が焼かれそうだ。悠希は画面から目を離して強く瞬きをすると、もう一度、送信者が不明のメールに視線を向けた。 (なにか添付されている?)  添付されていたファイルを開くと画面に地図が現れた。地図の上には目的地のピンが立っている。 (ここに八時までに来いということなのか?)  悠希は携帯電話の時刻を見た。もう七時半を廻っていた。このメールは明確に悠希を呼び出している。きっと、直前の着信は、悠希にこのメールの存在を気づかせるためのものだろう。 (誰がこんなことを……。いや、こんなことをするのは彼しかいない)  急いでオフィスに戻ると、パソコンの電源を落として帰り仕度を始める。その悠希の慌てたさまに伊東が、 「帰るんですか?」 「……急用が出来たんだ。皆もあまり遅くならないように」  お疲れさまでした、とかけられる挨拶の返事も疎かに、悠希はオフィスを飛び出した。

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