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第81話
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拾ったタクシーに行き先を告げて、悠希は流れる車窓を眺める。夕方からの予報の雨がやっと降り始めたのか、ぽつぽつと水滴が窓ガラスに付着した。
地図に示された場所は会社の最寄りの駅から二駅離れたところだ。雨足が強くなる中、タクシーはホテルの入り口近くの歩道に横付けされた。タクシーからホテルのロビーへと移動する間にも、雨は遠慮なく悠希の肩を叩きつけてスーツを濡らしていった。
悠希がロビーに入ったのを見計らったように、また胸ポケットの携帯電話が小さな音を奏でた。開いたメールには四桁の数字だけが並んでいる。
(――、これは部屋の番号か)
悠希は赤い携帯電話を握りしめて、呼び出したエレベーターに乗り込んだ。長い上昇が終わり、早る気持ちを抑えてエレベーターから降り立つと、足音を殺して目的の部屋へと向かう。
目の前の部屋の扉の前で、少し躊躇しながら悠希は立ち止まった。扉に掲げられた金色の部屋番号を再度確認して、ふっと息をつく。
左右を見渡すと長い廊下に自分以外の人影が見えないことを確認した。期待なのか不安なのか分からないまま、扉の横の呼び鈴を鳴らす。
ここまでの行動に悠希は不思議な既視感を抱いた。そう、まるで各務との逢瀬を重ねたときのような……。
落ち着かない胸の動悸を携帯電話を握った拳で抑える。
ややあってガチャリと扉が開いた。中から姿を現したのは背の高い、ネクタイを外して襟元を弛めたシャツを着た男。彼は悠希の顔を見ると薄く笑みを浮かべて、
「お待ちしていました、藤岡さん」
その笑顔は昔愛した男と瓜二つで、悠希はその場から動くことが出来なかった。
入ってください、と短く言われて、悠希は足の震えを悟られないようにゆっくりと室内へ歩んでいった。扉を開けた彼の横をすり抜けたとき、彼の体から仄かに懐かしい香りが悠希の鼻先を掠めた。
恐る恐る短い廊下を歩く悠希の背中越しに、扉の鍵が閉められる音が飛び込んでくる。普段なら聴き漏らすほどの微かな音を、今の悠希は全身の神経を鋭利にさせて拾っていた。
短い廊下の先に現れたのは壁に掛けられた大きな姿見、ライティングデスクに椅子と、そしてクイーンサイズのベッド。ベッドの向こう側の窓はカーテンが開かれていて、雨に滲んだ街の夜景が見えた。その窓の下には小さなテーブルを挟んで一人掛けのソファが二つ置いてあった。思わず立ち止まって部屋の光景を見つめていた悠希は、急に肩に手を置かれて小さく飛び跳ねた。
「濡れていますね。傘は持っていなかったんですか?」
丁寧な台詞を耳の後ろで囁かれて、悠希の背筋に電流が走った。肩に置かれた手を振り払うように後ろを向くと、そこには目の前で自分を見下ろす彰吾の顔があった。
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