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第88話

「親父はね、薬と放射線の影響で勃たなくなりましたよ。あなたを満足させることが出来なくなったんです。きっと親父は病を治して、あなたに逢いにいくつもりだった。都合良く、あなたと寄りを戻そうと目論んでいたんです。でなければ金を使ってあなたを捜すことなんてしない」  彰吾が発する怒りの空気が悠希の体を締め付ける。 「でもそれも無駄になった。それから親父がしたのは過去を語ることでした。俺が見舞いに行くとあなたとの思い出を語りだすんです。あなたと過ごした熱い夜のことを。ああ、とうとう親父は病に怯えて頭がおかしくなったかと哀れになりました。でも違ったんだ。親父は……、自分によく似た俺を見ながら俺を自分に置き換えてたんだ。俺があなたを抱いて、あなたを喘がせているさまを想像していたんだよ。なんて自分勝手で利己的なマスターベーションなんだ」  ぐっ、と下顎に掛かった彰吾の右手に力が込められる。ごつ、と後頭部を後ろの窓に押し付けられると、逸らそうとした視線を無理矢理合わされた。 「親父は自分がこの世からいなくなってからなら、俺にあんたをやると言った。あんたを愛せ? あんたを抱けだと?」  嫌悪感が噴き出しそうな彰吾の瞳に、悠希のこめかみから冷たい汗が伝った。そして窓の外の景色と同じように彰吾の姿が霞んでいく。今にも溢れ落ちそうな涙を拭いたいのに、悠希の両手は背中の窓に吸い付いたままピクリとも動かせない。  彰吾の怒りは最もだ。いくら父親の遺言でも父の愛人を抱けなどふざけた話だ。それも男の愛人を。  それでも各務と同じ顔で怒りを顕にされると、あの別れを告げられた夜を思い出して、悠希の心はずきずきと痛んだ。  つかの間、吐息が掛かる程の距離で互いの顔を見つめ合う。そのすっとした鼻梁や薄めの唇、意思の強そうな眉は紛れもない各務のものだ。だが、紅く燃える力強い瞳からは、各務の影は窺えなかった。  真一文字に閉じられていた彰吾の唇が開いた。 「俺は親父の遺言なんか実行する気はない」  そう、それがいい。  きみは普通に恋愛をし、女性を愛して温かな家庭を築けばいいんだ――。  それが一番いいのに……。どうしてこんなに哀しくなるんだ……。 「あんたを抱けなんて馬鹿げた戯れ言はくそくらえだ。だから……」  ふう、と自分を落ち着けるように息を吐いた彰吾の瞳が一瞬揺らいだ。すぐにその揺らぎは消えると、悠希は信じられない言葉を耳に捉えた。 「……だから、俺は俺の意思で、あなたを抱く」 「――っ! しょう……!」  悠希の発した言葉は、強く押し付けられた彰吾の唇に塞がれてしまった。

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