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第119話
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「旨かったですね」
食事を終え、イタリアンレストランのあるビルの一階へと降りると、途端に夜の冷たい空気が針のように頬を刺した。防寒用に厚めのダウンコートを着込んではいるが、それでも足下から上がる冷気は防ぎようが無い。早くホテルに戻って熱い風呂に漬かりたいと思ったところで彰吾が悠希にあることを言った。
「実は今から行きたいところがあるんです」
「行きたいところ?」
何か用事があるのだろうか。それならばと悠希は、
「じゃあ、俺は先にホテルに戻っているよ」
その悠希の言葉に彰吾は少し眉間に皺を寄せる。
「なにを言ってるんですか。主任も一緒に行くんです」
「俺も?」
彰吾は腕時計を確認すると「閉館まで一時間か。大丈夫だな」と呟く。そして軽く周囲を見渡したあと、にっこりと悠希に笑いかけた。
「悠希さん。昔の俺との約束、覚えていない?」
急に彰吾に名前を呼ばれて悠希は戸惑った。
「……約束?」
「もしかして本当に忘れてる? それは結構、ショックなんだけど……」
苦笑いでこちらを見つめる彰吾に悠希は小首を傾げる。彰吾との約束。下の名前を呼ばれたということは仕事の話では無いはず……。
彰吾の背後に大通公園の様子が見えた。すでに開催期間の終わった雪まつりの雪像達が今は崩されて小高い雪の山になっている。
以前、二人で来たときには彰吾は当時お気に入りだったアニメキャラクターの雪像の前で満面の笑顔ではしゃいでいたっけ――。
「…………、あっ」
小さく漏らした呟きに彰吾が少し眼を見開く。
「やっと思い出した? 俺が一人でも旅行に行けるようになったら、札幌のテレビ塔にリベンジしよう、って約束」
そうだ。随分昔の社員旅行。あの頃はまだ、あの人にも病の片鱗など無くて、当時中学生だったあの人の息子の彰吾に初めて会った思い出の旅行だ。
雪まつり会場の散策の途中で彰吾が体調を崩し、テレビ塔の展望台から大通公園のイルミネーションを眺めることが出来なかった。そして旅行が終わり、別れるときに悠希は彰吾と約束をした。また、いつの日か二人でテレビ塔に行こうと。
(そんな小さな約束を覚えていたのか……)
「もう雪像は無いけれど、きっと夜の景色は綺麗だと思うよ。今からテレビ塔に行こう」
「今から?」
「大丈夫。閉館は夜の十時半だから、まだ間に合う」
彰吾はいきなり悠希の手を掴んだ。
「っ、相原っ」
「誰も居ないから。他人が来たら直ぐに離すよ」
行こう、と暖かな手に包まれて、悠希は凍った道に足を取られないように彰吾の広い背中についていった。
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