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第122話

***** 「これはどういうことだ」  フロントで部屋の鍵を渡されなかった時からおかしいと思っていた。エレベーターの中で問い詰めても彰吾は涼しい顔で耳に蓋をしている。  バッグはすでに部屋へ運ばれているという。嫌な予感がしながらも悠希は彰吾の背中をついていき、一番奥の部屋の扉を開けて彰吾が悠希を室内へと誘うと、予感が的中したことに憮然となった。 「こんな部屋、うちの出張経費じゃ確実に落としてもらえないぞ。それに……」  悠希はちらりと部屋の中央に、でんと鎮座しているダブルのベッドに視線を向ける。ここまであからさまに下心を晒されると怒る気にもなれない。  大きなため息と共に悠希はツカツカとテーブルに近づいて、おもむろに電話の受話器に手を伸ばした。しかし、受話器を掴んだ手は、その上から彰吾の大きな手のひらにやんわりと包まれた。 「どこに連絡をするつもり?」 「決まっている。フロントに言って今からシングルに代えてもらう」 「それは無理だよ。急だったし、ここしか部屋はないって。本当はツインにしようと思ったけれど、空いていなくてダブルになったんだ」  言い訳が本当なのか嘘なのか、悠希は目を細くして彰吾を仰ぎ見た。彰吾は「本当だって」と苦笑いをしている。 「……大体、こんな良いホテル自体を選ぶのもどうかと思う」 「確かに一泊の宿泊費の上限は越えてるね。でも、うちではギリギリセーフだ」  うち、というのは彰吾が籍を置く親会社のことだろう。でも悠希は子会社の人間だ。彰吾はいいかもしれないが悠希はこんな出張精算書を提出したら、確実に経理に呼び出されるに決まっている。  形の良い眉根に皺を寄せる悠希に彰吾は、さらに不機嫌になることを言った。 「それに、この出張の間に『どんな手を使っても良いから、藤岡主任から良い返事をもらってこい』ってうちの林部長に急かされているんだ」  親会社の統括部長の林のことだ。何故か彼は悠希に対して過大評価が甚だしいのか、子会社から親会社への異例の転籍を以前から打診しているのだ。  最初こそは気の迷いだろうと思っていたのに、彰吾が出向で悠希の元に来てからは、こうやってどんどん外堀を埋められている気がする。おかげで春の彰吾の親会社への引き上げと一緒に悠希も異動するのだろうと、部下達どころか一部の上司もそう思っているから、たちが悪かった。  悠希はひとつ息をつくと「取り敢えず手を離して」と彰吾に言った。彰吾は笑いながら素直に悠希の手を離す。  右手を引き、左手で熱を帯びてきた甲を庇うように包み込む。今夜の彰吾は何故かいつもと香りが違う。彼の醸し出す雰囲気は、ちりちりと悠希の剥き出しの肌に触れて、薄く粟立った。

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