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第3話 再会
時計を見るとちょうど夜八時になっていた。
今夜もこの街は多くの人達でごった返している。
要は駅前の柱に寄りかかりながらスマホの画面をみつめた。
トキから連絡は入っていない。
昨日こちらから時間を指定してしまったが、ああいう仕事の場合早く退勤できるのだろうか。
要がそんなことをボーっと考えていると後ろからトントンと肩を叩かれた。
「あの、お待たせしました!」
振り向くと、トキがゼイゼイと息をしながら笑っている。額に汗が滲んでいて、タートルネックの上に大きめのダウンを羽織っているせいか少し暑そうだ。
その様子を見て要は少し眉をひそめながら言った。
「・・走ってきたんですか?」
「あ、そうなんです。最後のお客様が予定より延びてしまって・・本当はもう少し早くあがれるはずだったんだけど」
「別に、ちょっと待つくらい大丈夫だったのに」
「あ、いや、だってこっちから誘ったことだから!気にしないでください!」
そう言うとトキはニコリと元気よく笑った。
「どこか行きたいお店とか食べたいものとかありますか?」
要はうーんと頭をひねりなにが食べたいか考える。
それから最近食べていないものを思いついてボソリと言った。
「魚、かな」
「えっ?」
「魚食べたいなぁって。一人暮らしだと魚焼いて食べることなんて全然しないし」
「・・いいですね!じゃぁおいしい魚料理出してくれる店にしよう!思いつくところあるんで案内しますね!」
トキはそう言うと「こっちです!」と指をさしながら要の前をドンドン進んで行く。
やはりこの街のことは詳しそうだ。
トキに連れられて入ったのは、駅から数分歩いたところにあるファッションビルの中の和食屋さんだった。
てっきりもっと雑多な方角へ連れて行かれるものだと思っていた要は拍子抜けした。
「遠慮せず好きな物注文してくださいね!」
そう言うとトキは要の方へメニューを差し出す。
綺麗な筆文字で書かれたメニューを見ると、どれも美味しそうな魚料理の写真が並べられている。
要はその中からブリの照り焼き定食を、トキはサバの塩焼き定食を頼んだ。
「この季節のブリはおいしいよね!」
トキは注文を終えるとニコリとしながら言った。それから改めてペコリと頭を下げる。
「昨日は巻き込んでしまって本当にすみませんでした」
「えっ・・」
「そもそも俺の不注意であなたにぶつかってしまって・・」
「いや、っていうかイラッとして余計なこと言ったのは俺だし・・」
要は視線を下にずらして言った。自分でも沸点が低いことは自覚している。
「でもそのおかげであの人に少し隙ができたと言うか・・大ごとになる前に佐賀さんが間に合ったので助かりました。俺じゃあの人を止められなかったから・・」
「・・佐賀さんって?」
「あ、うちの店の店長です」
「・・・お店・・」
「あっ、えーと・・」
そこまで言ってトキは苦笑いを浮かべる。正直に言うべきか迷っているのだろう。
「別に、言いたくなければ聞かないけど・・」
要は目の前に出された暖かいお茶を啜りながら言った。
「うーん・・引かないですか?」
「・・多分引かない。なんとなく予想はついているし」
要は飲食店が立ち並ぶ大通りから、一本奥に入った路地の夜の店を思い浮かべた。
「そっか、えっとうちはその・・男性向けの風俗店なんだけど」
「・・?男性向け?」
「うん。男が男を相手にサービスするお店ってこと」
「・・・・」
「この間揉めてた人はもともと常連だったお客さんなんだけど、うちの店のキャストにストーカーまがいの行為をしてることが発覚して出禁になったんだ。でも名前変えてまたその子を指名してきて・・けどそのお客さんだっていう確証も持てないから俺が確認を兼ねて行くことにしたんだ。うちは主に出張サービスだから」
「・・・」
「それで揉めちゃって昨日みたいな事態になっちゃったわけ。俺ももっと穏便にやるべきだった。佐賀さんにも確認だけ取れたらすぐ戻れって言われてたのに。つい買い言葉に売り言葉で言っちゃって・・」
「・・・」
予想していたものとは趣旨の違った店の回答に要は口を開けたまま聞いていた。
男が男にサービスする店??そんなものもあるのか?
都会に出てきてもうすぐ二年だが、まだまだ知らないことはたくさんあるんだな、などと冷静にも考えた。
「・・・それで、あんたもそれを?」
要は慎重な口ぶりで聞く。
「あっ、俺名前はトキって言うんです。トキって呼んで!」
「・・トキさん?」
「あはは!さん付けじゃなくっていいよ!呼び捨てで呼んで!」
「・・えっと、じゃあトキ・・も、そういう仕事をしてんの?」
「・・うん。この業界、ちゃんとやる気があって規則を守れれば、どんなバックグラウンドでも受け入れてくれるお店が多いからね。助かるよ」
「・・・」
「そんなに固まらないで?ただの仕事。生きていくための手段だから」
トキは首を傾げながら微笑んだ。
「・・いや別に。そういうのもあるのかってちょっと驚いただけだから・・」
そう言って要は首筋を掻く。
「へへ。そっちに興味なければ驚くよね!大丈夫!ところで・・名前、聞いていいですか?」
「・・え?」
「名前、まだ聞いてなかったから。なんて呼べばいい?」
「あぁ、相楽 要って言います。呼び方は特になんでも・・」
「じゃあ要君って呼ぶね!要君は学生さん?」
「そう。大学2年。・・トキは?」
要はチラリとトキを見る。
灯りの下で改めて見るトキは、笑顔が人懐っこいのもあってか昨夜思ったよりも幼いように見えた。
「俺は学校行ってないよ。お仕事一筋」
「・・トキは何歳なの?」
「う〜ん・・何歳に見える?」
トキは悪戯っぽく笑って言った。
「同じ歳くらいに見えるかなって思うけど・・」
「じゃあそれくらいかも!」
「!?なんだよそれっ?」
要がムッとしたタイミングで「お待たせしました!」と頼んでいた定食が二つ運ばれてきた。
温かそうな湯気のたつ白米や味噌汁、そしていい匂いの魚料理が要とトキの前に並んでいる。
「・・美味そう」
要は思わずポツリとつぶいた。
その様子を見てトキがいただきますのポーズをしながら聞く。
「要君は魚好きなの?」
「え・・いや、まぁ・・小さい頃から肉より魚の方が並ぶ家だったから・・」
「へぇ!お魚料理が得意なお母さんだったんだね!」
丁寧に箸で鯖を崩しながらニコニコとトキが言った。
「というか、漁港が近くにある町に住んでたから。近所から毎日のように魚もらってた」
「・・えっ」
箸を持つトキの手が止まる。
「・・要君はどこ出身なの?」
「S県。2年前に大学入るために東京出てきた」
「・・・」
「・・どうかした?」
トキが目を見開いた状態で黙っているので、要は食べる箸を止めて聞いた。
「あっ・・いや、その・・S県!俺行ったことあるよ!いいところだよね!」
トキは少し慌てたように笑うと再び箸を動かして食べ始める。
その様子を見て要もまた箸を皿へ運びながら話を続けた。
「そうかな?有名な観光地とかは賑わってるみたいだけど、俺がいた町は何にもないからよくわからない」
「要君は・・港町ってことは日本海に面した町に住んでいたの?」
「あぁ。子どもの頃は夏は毎日水着着て海に集合してた。みんな真っ黒に日焼けしててさ。でも高校くらいからは風が強い日は潮風でベタベタになるし自転車錆びるしで、あんまり海には近づかなくなったな」
「そう、なんだ・・」
トキは微笑みながらも視線を下に向ける。
それからチビチビと小さくほぐした魚を黙って食べ進めた。
「・・?」
何か気に触る話でもしたのだろうか。
要は自分の地元の話はやめて話題を変えることにした。
「トキはどこ出身なの?」
「へっ?!」
トキはビクッとしておかしな甲高い声をあげる。
「・・なに?聞かれたくなかった?」
「あ、いや。うん・・そうだね、あんまり聞かれたくない・・かも」
トキは苦笑いを浮かべる。
「もう長いこと帰ってないし、今そこがどうなってるかもわからないや・・」
「ふーん・・」
要は相槌を打ちながらも、おかしいな?と思った。
どう見たって年齢は自分とそんなに変わらない。なんなら十代でも通りそうだ。
それなのに、地元が今どうなっているかも分からないくらい昔に離れたのか?
そのことを聞こうか迷っていると、
「あっ・・」と上から小さな声が聞こえた。
要が視線を上げると、要達のテーブルの横を通ろうとしていた男性がトキを見つめている。
「・・・」
トキもその男性に気がつき一瞬その姿に目を向けたが、すぐに要の方へ向き直ると男性の存在など気にしない様子で話をふった。
「ところで要君のその髪の色は地毛?」
「えっ・・あ、いや染めてる・・」
この人のことはいいのだろうか?要は答えながらもチラリともう一度男性の方へ目を向ける。
すると彼は小さく舌打ちをし後ろから付いてきた連れの女性の手を引くと、さっさとお店を出て行ってしまった。
「・・・」
要はトキの様子を伺う。
「・・・さっきの人、お客さん」
トキはニコリと笑って言った。
「えっ?」
「何回か利用してくれてる人かな。でも連れの方もいたし、向こうもバレたくないだろうから無視したの」
「彼女がいるのに、そういう店にいく人もいるのか?」
「たくさんいるよ。自分の性的嗜好を隠してる人や、どちらかわからなくて迷ってる人って結構いるんじゃないかな」
「ふ〜ん・・」
そういうものなのかと、要は箸で魚をツンツンとつつきながら思った。
それから二人は要の大学の話や東京のおすすめの場所など、たわいのない会話をしながら過ごした。
お会計は「この間のお詫びだから気にしないで!」と言ってトキがしてくれた。
外に出ると、びゅぅっと冷たい風が吹いている。要は思わず首をすくめた。
「要君寒くない?大丈夫?」
要は紺色のチェスターコートを着てきたが、中のニットがVネックで首元が開いている。
「大丈夫、駅も近いし・・」
要がそう言いながらコートの襟を上げようとすると、フワリと何かが首元に触れた。
「これ、暖かいよ。駅までよければ巻いていって」
灰色のマフラーを要の首にくるりと巻きながらトキが言った。
「えっ、いや大丈夫・・」
要は咄嗟のことで思わず首に巻かれたマフラーに手をかける。
しかしトキがその手をそっと静止させて言った。
「俺はご覧の通り完全防寒出来てるから!マフラー普段使わないからそれも綺麗だよ!」
「・・・じゃぁ、少しだけ・・ありがとう・・」
要は少し照れくさい気持ちになって視線を下げながらお礼を言った。
「うん!」
トキがニコリと嬉しそうに笑う。
あぁ、やっぱり。
この笑顔を知っている。明るく屈託なく笑う彼を・・
なんでこんなところにいるんだ。
本当なら君がいるべき場所はここじゃない。
もっと明るい太陽の下。永遠と広がる水平線の、海辺のあの町・・・・
「トキっ!!!」
怒りのこもった声が聞こえて要はハッと我にかえる。
・・今また、何か変なことを考えていた気がする・・
要は動悸が早くなるのを感じて胸をギュッと掴んだ。
「・・こんばんわ」
トキの冷めたような声が聞こえて、要はトキの視線の先に顔を向けた。レストランでトキを見つめていた男性がこちらを睨みつけながら立っている。先程一緒に出て行った女性の姿はない。
「トキ、君は客とはプライベートでは会わないって言ってなかったか?」
男は握り拳を震わせながら言った。
「そうですよ。彼は友人です」
トキは要の肩をポンと叩く。
「なっ!?友達は一人もいないって言ってたじゃないか!頼れる親戚も友人も誰もいないからこの生活をしてるって・・」
「・・・」
「だから僕が君の友人になろうかって言ったら、そういうのはいらないって。一人で生きていきたいっていってただろ?話がちがうじゃないか?!」
男は眉尻を下げながら言う。怒りより悔しさが滲み出ているようだ。
トキはフゥと軽く息を吐くと笑って言った。
「仕事中に話したこと全部が本当とは限らないですから。俺だって考えが変わることもあるし」
「な、じゃあ僕とだって・・」
「すみません、終電なくなると困るので、失礼します」
トキは男の言葉を遮るように言うとペコリと頭を下げた。
それから要の腕を引いて言った。
「ごめん、行こう?」
「え・・あぁ・・」
要は状況が飲み込めないままトキに引っ張られるように歩き出す。
道ゆく人の視線を感じ、トキと要は人通りの少ない道へ入って行った。
少し歩いたところでトキは足を止めて要に向けてパンと手を合わせた。
「また巻き込んじゃってごめん!」
「いや・・別に平気だけど・・今の人いいのか?」
「うん、ただのお客さんだから」
「・・・でも、なんかあの人・・」
そこまで言いかけて要は口をつぐむ。
胸の奥でチリリと形を持たない感情が燻っている。
「・・要君?」
トキが要の腕に触れようとした瞬間ーー
「・・・待て!」
後方から叫び声が聞こえ二人は振り返る。
先程の男が手にワインの瓶のようなものを持って追いかけてきた。
「・・要君・・逃げて」
トキは小声で言うと要の腕を肘でこづいた。
「いや、この状況でおいていけないだろ?!」
要はトキの腕を掴む。
「俺は、大丈夫だから」
トキはニコッと笑った。
「大丈夫なわけないだろ!」
要がトキの腕を引っ張ろうとしたその時、男は手に持っていた瓶を力いっぱい振り上げると、二人の方へ放り投げた。
「っつ・・!」
要はそれを受けとめようと手を伸ばしたが、トキに体を突き飛ばされ下に勢いよく倒れ込む。
瓶はトキの額に当たり大きな音を立てて割れ、中から赤い液体が飛び散った。
「トキっ!」
要は立ち上がると急いでトキの前へ駆け寄る。
頭からぐっしょりと赤ワインを浴びているのでわかりづらいが、トキの額からは血が滲んでいた。
「・・っ!救急車を」
要がスマホをポケットから取り出そうとすると、トキが「待って」と言ってその手を掴んだ。
それからゆっくり男の方へ視線を向ける。
男は「くっ・・」と小さく声を上げると逃げるように走りだした。
「おいっ!」
要が追いかけようとすると「いいよ!」とトキが明るい声で止める。
「大丈夫、あの人の情報はお店にあるから。佐賀さんに相談してどうするか決めるよ」
「どうするか決めるって・・これはれっきとした傷害罪だろ!お前の額見てみろよ!血がどんどん・・」
そう言ってトキのおでこに手をあて髪をかきあげる。
しかし次の瞬間、要はドキリとして目を見張った。
トキの額に傷が一つもついていない。
髪は赤ワインで濡れいているが、額は綺麗なままだ。
「・・えっ・・だって、さっき血が・・」
要はペタペタと掌でトキの額を触る。
「はは!手冷たいよ、要君」
トキがくすぐったそうに笑った。
「あっ・・わ、悪い・・」
要はパッと手を離すと、ジッとトキを見つめる。
何が起こったのかわからない。たしかにさっき、瓶がおでこに当たりそこから血が流れていた。
しかし、その瓶が当たった痕すらない・・
要の鼓動が速くなる。
何か言わなくては・・そう思っても声が出ない・・
要が不安そうな顔で黙っていると、トキが眉尻を下げながら言った。
「大丈夫、俺は人間だよ」
「・・えっ」
「ただちょっと、体が丈夫なだけ」
「・・・」
「なんて、こういうのは人間って言わないのかな?」
トキは寂しそうに笑う。
「驚かせてごめん。もうこれ以上要君には関わらないから安心して。色々巻き込んじゃって本当にごめんなさい。でも、今日はありがとう、楽しかった」
そう言ってペコリと頭を下げると、トキは踵を返して歩き出した。
「・・っ!!」
要はハッとして咄嗟に手を伸ばす。
そしてトキの腕を力強く掴んで叫んだ。
「待って・・!時臣!!!」
「えっ・・・?」
トキは大きな瞳を見開いて要を見つめた。
「・・・」
「・・なん、で?俺の名前・・」
なんで?そんなの当たり前だ。
だって、俺は・・・
要はグイッとトキの身体を引き寄せる。
「わっ・・要く・・」
顔を上げようとしたトキの頬を両手で包むようにして、要はソッと唇を重ねた。
「・・・」
トキは何が起こったのか分からず、唇が離れた後もジッと要を見つめる。
要はそんなトキの両手を取ると優しく握りしめながら言った。
「・・会いたかった、時臣」
「えっ・・」
先程とは逆に、今度はトキが不安そうな表情を浮かべる。
「どうしたの、要君・・」
「俺は要じゃない・・」
「・・え?」
「俺は、君の恋人の三角 栄二だよ。時臣」
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