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第5話 時臣②

この秘密の隠れ家ごっこは年月が過ぎても続いていった。 嫌なことがあった日や悔しい思いをした日は必ずと言っていいほどここに来た。困ったことがあった日や失敗した日も・・ ここでうずくまっていると必ず栄二が来てくれる。「どうしたの?」と聞いてくれる。 それだけで心がホッとして気持ちが落ち着くからだった。 だから『あの日』もやっぱりここに来ていた。 「時臣、どうしたのその怪我?」 学生鞄を抱えた栄二が小屋を覗くと、時臣が濡れたハンカチで腕を抑えている。 半袖の制服の上から見える腕には線のような傷跡があった。 「学校からここに来る途中に崖になってるところがあるだろ?そこに猫がいたんだ。海岸沿いにはよくいるけどさ、あのあたりにいるのは変だろ?だから捨て猫か迷い猫だと思ってとりあえず連れていこうとしたら・・」 「引っ掻かれたのか」 栄二はそう言ってフゥと小さくため息をつく。 「だってあの辺危ないだろ。この間の大雨でも少し崖が崩れたって父ちゃん言ってた」 「・・それで、その猫はどうしたの?」 「逃げていっちゃったよ。だからまた探しに行かなきゃ」 「・・もしかしたら家に帰ったかもしれないし、もうあそこにはいないんじゃない?」 「でも・・もしいたら?また雨が降ったりしたら危ないじゃん!」 そう言って時臣がキッと顔を上げると、栄二が小屋の中に入ってきた。 もう二人で入るにはこの小屋はかなり狭い。 肩と肩をピタリとくっつけて栄二は隣に座る。 そして時臣の腕にそっと触れながら言った。 「俺は、時臣が危ない目にあう方が嫌だよ」 時臣の心臓がドキリと音を立てる。 恐る恐る栄二の方を見つめようとすると、それよりも先にフワリと唇が重なった。 「っう!・・ちょ・・」 時臣は突然の口づけに戸惑いをみせるが、栄二はさらに被せるように深く口づける。 するりと入ってくる栄二の舌が口内を愛でるように動きはじめた。 「・・ぅん、ふっ・・・」 時臣も一生懸命それに応えるように瞳を閉じて舌を動かす。 波音を聞きながらの長い口づけが終わると、栄二はそっと離れて微笑む。 時臣は恥ずかしそうに拳で自身の唇を押さえた。 栄二に告白されたのはちょうど今から一年前の夏。 突然のことで、それは時臣にとって思ってもみない出来事だった。 栄二が隣にいるのは当たり前のことで、栄二に向ける親愛の気持ちが「恋愛」か「友情」かなんて考えたこともなかった。 しかし・・突然時臣に突きつけられた選択は、その感情が「友情」ならば栄二と一緒にいられないというものだった。 何を取るのかなんて・・ それはとても簡単なことで、時臣は栄二と一緒にいることを選んだ。 好きという気持ちに種類なんてない。 そう思ってはいたけれど、「友人」と「恋人」ではやることが変わってくるのだという事に後々気づいて時臣は戸惑いもした。 しかし栄二からされる甘い口づけに、時臣の心と体は少しずつ溶かされていくように馴染んでいく。 普段は優しく穏やかな栄二が、余裕のない表情でキスしてくる様が可愛く思えるようにもなった。 それでもやはり栄二は紳士的で、時臣が恥ずかしさから本気の拒絶をした時は必ず手を止める。 その先に進んでみたい。でも怖い。恥ずかしい・・ 付き合って一年になるが、まだ全てを許すには心と身体がついてきていなかった。 「とにかく・・時臣は受験生でもあるんだから怪我には気をつけなくちゃ」 栄二はそう言いながら自身のハンカチをポケットから出して時臣の腕の怪我にそっと当てた。 時臣はその言葉にピクリと体を動かす。 「・・それなんだけどさ・・・」 そしてそこまで言いかけて口をつぐんだ。 「・・?何?」 栄二は少しだけ眉を顰める。 「あの・・俺、もしかしたら受験、やめるかも」 「え・・」 「いや、ほら!俺もともと栄二と違って勉強も得意じゃないし!母さんが大学行けって言うからなんとなく受験するもんだと思ってたけどさ。大学行ってまでやりたい勉強もないし、だったら地元残って就職した方がいいんじゃないかなって・・」 「・・・」 「それに、栄二も親父さんの植木屋さん継ぐためにこの町に残るだろ?だったら俺もここで就職した方が離れないでいいじゃん」 そう言って時臣は照れ臭そうにへへっと笑う。 「・・時臣」 栄二は笑いこそしないが頬を綻ばせて時臣を見つめた。 「俺は・・時臣がこの町を出たって時臣を離すつもりはないけど?」 「・・なっ!」 栄二の言葉に思わず時臣は赤面する。 「そういう恥ずかしいこと言うなよ!!!」 「本当だよ?もし、時臣が俺とのことを心配して受験をやめるって言ってるんだったら嫌だなと思って・・時臣にはまだこれからいろんな可能性があるんだから・・」 「いろんな可能性ってなんだよ!俺は俺のやりたいことをやる未来がいい!俺の夢はこの町で!栄二の近くで!お金稼いでのんびり平和に暮らしたいんだ!」 「・・本当にそれでいいの?」 「それが!いいの!!」 時臣はそう強く言うとフンと鼻を鳴らした。 それからチラリと横目で栄二を見て言った。 「栄二は、俺がここに残ったら嫌なのか?」 時臣は少し不貞腐れたように口を突き出す。 そんな時臣を栄二はガバリと両手で包み込むように抱きしめた。 「ぅわ!!ちょっ・・?!」 突然抱きつかれ時臣はバランスを崩しそうになる。しかし栄二にしっかりと抱きしめられていたので、転ぶことなくそのまま栄二の腕の中にキツく抑え込まれた。 「ぅん・・くるしぃ、えいじぃ・・」 時臣は栄二の腕の間から息を吐きながら名前を呼ぶ。 「・・時臣、好きだよ」 「っ!!?」 栄二の囁きが耳元を掠め、ビクリと時臣の肩が震えた。 「時臣・・」 「・・・」 すっぽりと栄二の腕の中に収まりながら時臣は両腕をギュと栄二の背中に回す。 そして栄二の暖かい身体を抱きしめた。 栄二は、本当に自分を想ってくれている。 そして・・気づけば自分もこんなにも栄二を大切だと思っている。 きっともう・・この感情は、この「好き」は愛なのだろう。 そう思ったら眼頭が熱くなる。 今なら身体を許せるかもしれない。 時臣はそっと顔を上げて栄二の唇に自身の唇を押し当てた。 「・・っ?!」 栄二の肩がびくりと揺れる。 しかしそんなものはお構いなしに、時臣は自らぐいぐいと口を開いて栄二の口内に侵入した。 「・・っふ・・えい、じ」 「・・っぅん」 時臣からの積極的な口づけに栄二も負けないように応える。 「・・ぅん、っは・・」 「・・あっ・・とき、おみ」 小さな小屋の中で二人の荒い息遣いだけが響いた。 そしてその熱に促されるようにツゥっと栄二の指が時臣の制服の中に入っていく。 ビクッと背中に快感が走った。 ーー今日こそは・・ 時臣が覚悟を決めてさらに栄二に深く口づけをしようとした時だった。 ガタン!!と大きな音がした。 二人はハッとして顔を上げる。 古く建て付けの悪い扉が少しだけ開いている。 そしてそこから小さなつり目の瞳が見えた。 「兄貴?」 その声とともにさらに扉が開かれた。 青ざめた顔をした少年が立っている。 「拓海・・」 栄二がボソリと呟く。 そこに立っていたのは栄二の弟の拓海だった。 「え・・なに、やってんの?」 拓海は眉を顰めながら聞いた。 「あ・・」 栄二が何か言おうとした瞬間、 「ごめん!!」と時臣の大きな声が響いた。 「ごめんな、たっくん!!調子にのって俺栄二にキスしちゃった!」 「・・は?」 拓海は怪訝な表情で時臣を見つめる。 「栄二が傷の手当てしてくれてたんだけど、それが嬉しくってさ!つい思わず!」 そう言って時臣は腕をグイッとあげて傷の部分を見せた。拓海はそれをチラリと見てから再び時臣に訝しげな視線を向ける。 「時臣君、それ・・本気で言ってるの?」 「本気も本気!たっくんの兄貴は本当かっこいいからさ」 「時臣・・俺達は・・」 栄二が二人の間に入ろうとしたが、それを時臣は手で止める。 「だから・・ごめんねたっくん?」 そう言って時臣はニコリと笑う。 そんな風に笑顔で言われてしまうと拓海はもう何も聞けなくなっしまう。 「・・・あんまり、こういう所で変なことするなよな・・」 拓海は時臣と栄二から視線を逸らすとボソリと言った。 「だいたい2人ともいつまでここ使ってんの?もうボロボロじゃん!今度台風でもあったら壊れちゃうんじゃない?」 拓海はそう言って小屋の壁をコンコンと叩く。 「たっくんと作った隠れ家もよかったんだけどね〜。たっくん俺達よりも先に隠れ家に飽きちゃうんだもん!」 「俺は狭い所に籠るより海で泳いだりする方が楽しいって気づいただけ!」 拓海はプイッと不貞腐れたような表情をしたが、すぐに栄二に視線を戻した。 「そうそう、俺兄貴を呼びにきたんだよ。今日の夜、公民館で集まりがあるから兄貴も親父と参加しろってさ」 それまで時臣の後ろで黙って聞いていた栄二が顔を上げる。 「今日の夜?」 「うん。来年から本格的にうちの仕事やるんだったら一度みんなに挨拶しておけってさ」 「そう、わかった・・」 「じゃあな、早く帰って来いよ!」 拓海はそう言うと再び建て付けの悪い扉をガタガタと閉めて去って行った。 「・・・」 「・・・栄二?」 栄二が気まずそうに黙っているのを見て時臣は静かに声をかける。 「・・時臣、ごめん。嘘つかせて・・」 栄二は下を見つめたまま言った。 「ええ!?何言ってんの?嘘なんか言ってないよ?本当に栄二がかっこいいなって思ったから俺からキスしたんじゃん!」 「それは、あの瞬間の話でしょ?その前のことは・・」 「たっくんが聞いてたのはあの瞬間のことでしょ。だから嘘は言ってない!栄二は気にしすぎだよ」 時臣はフーッと長い溜息をつく。 「俺は栄二ともたっくんとも変わらず仲良くやっていきたいよ?だったらわざわざ俺達恋人同士ですなんて宣言する必要はないでしょ?」 「俺は・・言ってもいいと思ってる。いや、いつかは言うべきだって思ってる」 「そのいつかは・・もう少し大人になってからでもいいじゃない?たっくんだってまだ中学生だし」 「そうだけど・・」 時臣はもう一度ため息をつくと、両手で栄二の頬を包みグイッと顔を上へ向かせた。 「栄二はたっくんのことになるとすぐいいお兄ちゃんでいようとして悩むんだよな!栄二は栄二のままで大丈夫なのにさ!」 「・・ごめん」 「だからぁー、謝るなよ!大丈夫だって!ほら!それよりお前早く家帰らなくちゃだろ!」 時臣はそう言うとグイグイと栄二の肩を押す。 「うん・・ありがとう・・時臣は?もう帰る?」 栄二は立ち上がるとお尻の砂埃を払いながら聞いた。 「俺はもうちょっとここでのんびりしてから帰るよ」 「そう、わかった。傷、お大事にね。もう無茶するなよ」 「わかってるって!」 時臣が笑って応えると、栄二は「じゃぁ」と言ってガタガタと扉の音をたてながら出て行った。 時臣はその音を聞いて、確かにそろそろこの小屋も限界かなと思った。 時臣は一人っ子で兄弟はいない。しかし近所に年の離れた従兄弟がたくさんいたので寂しくはなかった。 それでもやはり、兄弟というものには憧れる。 拓海は思春期になってから時臣に対して少しの敵対心を見せるようになった。 兄を取られているように感じたのかもしれない。 栄二は拓海にとって自慢の兄だ。拓海も将来は栄二と共に家業を継ぐつもりでいるらしい。 兄弟二人で切り盛りしてくれるのを、二人の父も楽しみにしているようだ。 それの邪魔はできないかな・・ だからもう少し、自分が拓海にも認めてもらえるまでは恋人だということは秘密にしておきたい。 時臣はそう思っていた。

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