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第7話 家族
「ここが、俺の家・・」
要がそう言って自身の家の前で足を止めた。
後ろからついて歩いてきたトキは目を丸くしながら、目の前の大きな家を見つめる。
「・・ここ」
そこまで言って、トキはそっと玄関にかけられている表札に触れた。
玄関には『相楽』と『三角』の二つの表札がある。トキが触れたのは『三角』の方だ。
「やっぱり・・栄二やたっくんの家があったところだ。家は変わってしまってるけど」
「・・俺が、中学生にあがる頃に建て替えたんだよ。昔の家は平屋の建物だった。部屋数が多くてさ。隠れんぼするのにむいてたな」
「・・黒の瓦屋根に、幾つもの部屋を囲むように回り廊下があって、それから居間には掘り炬燵・・」
「・・っ!・・そう。そうだった、確か・・」
「・・・」
要とトキはお互いに見つめ合う。要はゴクリと喉を鳴らした。
「トキ、昔の家に・・来たことあったんだ・・」
「・・うん。何回も、きたよ・・」
トキはそう言ってへへっと笑った。
「・・本当に、要君はたっくんのお孫さんなんだね。たっくん、立派に成長したんだなぁ・・」
「・・・」
トキの・・歳を重ねることが出来ない心の叫びが聞こえた気がして、要は何と言っていいかわからず口をつぐんだ。
トキは笑顔でそんな要の方へ目をやった。
「要君、連れてきてくれてありがとう・・ここに来れただけでも嬉しいよ」
「・・・家、上がっていきなよ。じいちゃんの遺品はこの間整理しちゃったけど、大切にしていたものはまだ残っているから」
「・・でも・・・」
「俺の母さんや父さんはトキのこと知らないだろう?大丈夫だよ」
「・・でも、まだ俺の実家の様子も見に行けてないし・・」
「あ・・・」
そうか、トキがこの町の出身ならトキの家もあったはずだ。失念していた。
トキの家族が今どうなっているのか、気になるのは当たり前だ。
・・一人で行くのは不安かもしれない。
一緒に行こうかと、要が声をだそうとした瞬間だった。
「お兄ちゃん?」
後ろから妹の律がひょっこりと顔を覗かせてきた。
「律っ?」
「えっ!なにその髪色!!どうしたの!?」
「・・別になんだっていいだろう・・」
「え〜!似合ってない〜!」
「うるさい!」
要は律の頭に軽くチョップを入れた。
「いたっ!!もう〜・・それより家の前でなにやってんの?早く入りなよ?」
律はよく見ると制服姿でリュックを背負っている。
「学校の帰りか?律も春休みだろ?」
「春季講習だよ〜。春から受験生なんだからね。もう大変!」
「あぁ、そっか・・」
要と話していた律がチラリとトキの方に目を向けた。
「お兄ちゃんのお友達ですか?」
「えっ・・」
トキは急に話しかけられ、ビクッと肩を揺らす。そして慌てて被っていたキャップを脱いだ。
「あ、うん、そうです!トキって言います。あ・・えっと、その・・・」
「春休みでこっちの方に旅行に行くって言うから、ついでに一緒に来たんだよ」
トキが言葉に詰まってしまったので、要が助け舟を出す。トキはそれにホッとした様子で改めて笑顔で続けた。
「あ、そうなんです。少しだけ要君の町にも寄らせていただきました」
「え〜!他の観光地は色々見るものあるけど、この辺は何もないですよ〜!本当田舎なので!」
そう言って律はケラケラと笑った。
「でも、せっかく来たんだしどうぞお茶でも飲んでいってください!お兄ちゃん!なんかお土産買ってきてくれたよね?!」
「お前は、いっつもそればっかりだな・・」
「あ、いや。その俺は・・」
トキが一歩後退りをしようとしたが、それよりも早く律がガラリと玄関を開けて叫んだ。
「ただいまー!お兄ちゃんとお兄ちゃんのお友達がきてるよー!!!」
ーー
「どうぞ、熱いので気をつけてね」
「あ、えっと・・ありがとうございます」
トキの目の前に温かい緑茶が出される。ドギマギとしながらトキはペコリと頭を下げた。
「要がお友達を連れてくるなんて驚きね〜」
要の母はそう言いながらお土産のお菓子を丸いお盆の上に並べると、要とトキの前にそれを置いた。
「本当本当!お兄ちゃん、無愛想だから家に連れてくるほどの友達なんていないと思った!」
律は笑って言いながら、誰よりも早くそのお菓子に手をのばす。
「おいっ・・」
要がキッと睨みつけるが気にする様子もなく律はパクリと頬張った。
「わっ!これ美味しい〜!」
「澪の分も残しておけよ?」
「澪はお友達の家で美味しいお菓子食べさせてもらってるって!それよりこれ焼きショコラ?前テレビで見たよ!お兄ちゃん急にセンスよくなったじゃん!」
「それは、トキが選んだんだよ。今人気があるって言って」
「わぁトキさんありがとう!お兄ちゃんだけだったらまたいつものお菓子になるとこだったわ」
「あ・・いえ・・・」
トキは律の勢いに圧倒されながらお茶を啜る。
ソワソワと落ち着かない様子でリビングを見回すと、テレビ台の上に置かれた写真立てが目に入った。
「・・これ、要君?」
「え・・?」
トキが指差した先には、家族五人が並んでいる写真が飾られていた。
「そうよ〜。要、成人式の日は戻れないって言うからお正月に玄関前でスーツだけ着せて撮ったのよね」
要の母がそう言いながら写真立てをトキの前に差し出した。
「もうこの写真飾ってるの?」
要は少しウンザリとした表情で聞く。
「要が二十歳になった記念ですから!」
要の母はフンと鼻を鳴らしながらも嬉しそうに言った。
トキはその様子を微笑ましく見ながら、再び写真に目をやった。
そこにはまだ髪を染める前の要が、紺色のスーツに身を包んで家族に囲まれて立っている。
「・・・」
トキはジッと無言のまま写真を見つめた。
「・・トキ?」
「えっ!?」
話しかけられ、トキはびくりと体を揺らした。
「そんなにじっと見られると、なんか恥ずかしいんだけど・・」
「あっ・・ごめん!要君の黒髪姿初めて見たからなんか新鮮で」
「えー!そうなの!?じゃあお兄ちゃんトキさんとお友達になったの最近なんだ?」
律が二つ目の焼きショコラをかじりながら聞いた。
「あぁ、まぁ。年明けてから、かな」
要は歯切れ悪く答える。
「あら!じゃあ写真見ていって!ちょうどアルバムの整理したのよ〜!」
要の母はそう言うと、隣の部屋に行き沢山のアルバムを抱えて戻ってきた。
「ちょっと・・母さん・・」
「いいじゃん、いいじゃん!トキさん見てよ〜!お兄ちゃん昔は美少女みたいって騒がれてたんだから!」
「あ、じゃあ・・」
勧められるように前に出されたアルバムをトキは遠慮がちに開いた。
そのアルバムは要が小学校四年生の頃のものだった。
夏休みの旅行の写真や地元のお祭りの写真が貼られている。
「はは!要君可愛いね!」
トキはニコニコとそれらを見ながら言った。
「あんまり見なくていいから・・」
要はぷいと違う方向を見る。
「お兄ちゃん、この頃綺麗って言われるのが嫌ですごい尖ってたよね〜!」
「容姿をいじられるのは誰だって嫌だろ!」
「褒め言葉でもあったとは思うけどねぇ・・」
律はそう言いながら、よいしょっと椅子から腰を上げた。
「じゃぁ、私自分の部屋にいくね!トキさんごゆっくり!」
律は手をヒラヒラと振るとトントンと二階への階段を上がっていった。
「私も明日の準備でちょっと出かけてくるわね」
要の母はそう言うと、エプロンを外して厚手の上着に袖を通す。トキはその様子を見て慌てて立ち上がった。
「あっ、忙しい時にお邪魔してすみません。すぐにお暇するので・・」
「いいのよ〜!要がお友達連れて来るなんて珍しくて嬉しいんだから!きっとおじいちゃんも喜んでるわ」
「え・・」
「要はおじいちゃんと特に仲がよかったのよね」
「・・・」
「じゃぁ、ゆっくりしていってね。要、お茶おかわり出してあげてよ」
「わかってる」
要がぶっきらぼうに返事をすると、要の母はバダンと扉を閉めて出て行った。
要とトキはダイニングテーブルに向き合うように座り直す。そしてまたトキはパラパラと別のアルバムを捲り始めた。
見たところ、要が中学生の頃のアルバムだ。
「この頃になると、もう今とあんまり変わらないね」
と、トキは笑いながら言った。
しかし数ページ見たところでピタリと手が止まる。
要がそのページに目をやると、中学生の要が祖父と写っている写真だった。お墓の前で撮っている。
「この人が、おじいちゃん?」
トキはその写真にそっと触れるようにようにして聞いた。
「・・うん。2年前に亡くなった拓海じいちゃん」
「・・・そっか」
「・・・」
トキはそのまま無言でジッと写真を見つめる。
要が中学生なので、その頃の祖父はもう七十歳をすぎていたはずだ。
トキがもし、最後に見た祖父が中学生の頃なら六十年ほどの時を経た姿になっているということだ。
弟のような存在だったであろう少年が先に年を取り、この世を去ってしまっている。
それがどんな気持ちなのか、要にはまったく想像もできなかった。
無言のまま二人でアルバムを見ていると、トントンと軽快な音で律が階段から降りてきた。
すでに私服に着替えている。
「飲み物取りに来ただけだから気にしないで〜!」
そう言いながらガチャリと居間に隣接する台所の冷蔵庫を開いた。
「あっ!そうそうお兄ちゃん!すごいの見つかったんだよ!」
律はペットボトルのジュースをコップに注ぎながら要の方を向いた。
「すごいの?」
「あれからおじいちゃんの押し入れとかも整理してたらね、色々出てきてさ!ちょっと待ってて!」
律はそう言うと、ジュースがなみなみ注がれたコップを要達が座っているダイニングテーブルの上に置き、奥の方へと消えていく。
それから何冊かのノートや本のようなものを持って戻ってきた。
「これ!おじいちゃの日記とか昔のアルバム!」
「・・え」
要は一瞬ひゅっと息を飲む。それからちらりとトキを見つめた。
トキは口を閉じたまま律が持ってきたものをジッと見ている。
「それでさ!ほら!見てこのアルバム!お兄ちゃんにそっくりの人が映ってる写真があるの!お母さんに聞いたらおじいちゃんのお兄さんって言ってた!」
律がそう言ってパラリと茶色の表紙のアルバムを開く。かなり年季の入ったものだ。写真を貼り付けている紙も日に焼かれて茶色くすすけている。
要の心臓がドクドクと音をたてはじめた。
見てはいけないーー見たくないーーなぜだか心がそう叫んでいる気がして要は咄嗟にアルバムから目を逸らした。
しかしすぐに律に腕を揺すられ、強引に目の前にアルバムが置かれる。
「ほら!この写真なんか特にそっくり!ね!見てよお兄ちゃん!」
要の目に飛び込んできたのは、中学生くらいの少年と高校生くらいの青年が学校の門の前で立っている写真だった。横には看板がある。どうやら入学式のようだ。
中学生くらいの少年はつり目できりりとした顔つきだ。おそらくこっちが祖父だろう。
だとしたら隣にいるのは・・・
要がふとそう思った瞬間、「わっ!大丈夫?トキさん?」という律の声が聞こえた。
要がパッと顔を上げると、トキがポロポロと大粒の涙を流している。
「あっ・・ごめんなさい・・!」
トキは慌てて片手で涙を拭った。
「あの、なんかいい写真だなって思ったら、その・・涙が」
トキは誤魔化すように笑いながら言う。
「えぇ〜!トキさん涙脆すぎ〜!」
律はケラケラっと笑うと他のアルバムにトンと手をつけて言った。
「他にも古い写真いっぱいあるから、こっちもよければ見ていってね!じゃあ私自分の部屋戻るね〜」
律は再びジュースの入ったコップを手に持つと階段を上がって行った。
律がいなくなるとトキはまた先程の写真に目をやった。じっと無言で見つめている。
「・・・その人が、栄二?」
要が小さな声で話かける。
トキは要の方に視線を向けるとコクンと頷いた。
「うん・・たっくんの入学式の写真かな。懐かしい・・」
トキは本当に懐かしそうに目元を緩めて微笑む。
要は写真に写る栄二の姿を見つめた。
学生帽子をかぶっているが、以前見た写真よりも顔立ちがよくわかる。
何より、以前のものより今の自分と年齢が近いのもあって要はあらためて思った。
本当に・・似ている。
相変わらず表情は穏やかそうで性格の違いは感じられるが、顔の雰囲気はそっくりだ。
自分を見ているようにさえ思える。
ーそうだ。この写真を撮った日は拓海の入学式だった。
前日は自分の高校の入学式で、もう高校生活が始まっていた。
けれどどうしても入学式に来てほしいという拓海のお願いに負けて、学校が終わってから急いで駆け付けたんだっけ。
あの時たしか、時臣に「早く行ってきな!」と肩を叩かれた・・
そこまで考えて要はハッと我に帰る。
そしてトキに目をやった。
「トキ、おみ・・」
「え・・?」
トキが少し驚いたように目を開く。
「あ・・いや。なんでもない・・」
要は慌てて首を振ると下を向いた。
一瞬、昔の記憶が蘇った。
やっぱり、俺の中には『栄二』がいるようだ。
でも、もし・・栄二の記憶が全部蘇ったら俺は・・
俺は一体・・何者になるのだろう・・
黙ったまま要が下を向き続けるのを見てトキは明るく声をかけた。
「要君、要君のお家はみなさん明るくていい家族だね!」
「え?」
要はパッと顔を上げる。
「俺の家族が?そうかな・・自分じゃよくわからないけど・・」
「近くにいる時は全体が見えないものだからね」
トキはそう言いながらパラリとアルバムをめくっていく。
「俺は子どもの頃のたっくんしか知らないけど、きっとちゃんとした大人になって、愛情深く君のお母さんを育ててきたんだろうなって思うよ。それが今の要君達につながってるんだもん」
「・・・」
トキの見ているページの写真にはハッピを着た中学生の祖父が笑っている。
「えらいな、たっくん」
トキはフフと笑った。
「・・・えいじ・・は・・」
要は恐る恐るその名前を口にした。
「え?」
「栄二は・・どうなったんだ?」
「・・・」
トキの目が大きく開いて揺れた。
「俺は・・祖父に兄弟がいることも知らなかった。兄がいたっていうのを知ったのはついこの間のことで・・だから、『栄二』のことは何も知らない・・」
「・・・」
「なんで・・祖父はその話をしてくれなかったのだろう・・」
要はそう言いながら、自分の目の前にあったアルバムを開く。
そこに写っているのは先ほどより成長した祖父の姿だ。特徴的なつり目は変わっていない。高校生かそれよりももう少し上の年齢だろうか。
友人達と楽しそうに笑っている。
パラパラとめくると友人との写真ばかりが貼られている。
『栄二』の姿はどこにもない。
「・・・栄二、は・・」
それまで黙っていたトキが小さく口を開いた。
しかし、それと同時にガラリと玄関の扉が開く音がして、トキはそちらに目をやった。
「ただいま〜」という明るい声が聞こえた。要の母の声だ。
それからすぐに要達がいるダイニングの扉が開かれた。
「あっ、要。よかった、まだいたわね」
要の母がそう言うと、後ろからひょっこりと白髪の老人が顔を覗かせた。
「おぉ〜、要君久しぶりだねぇ」
「武久さん・・?」
要は驚いた様子で老人を見つめた。
「・・お久しぶりです。なんでここに?」
「そりゃぁ、師匠の法要だからね。お手伝いさせてもらおうと思って」
武久とよばれた老人はそう言うと、よいしょと腰に手を当てながら一歩前に出る。
すると要の母は慌てるように要の隣の空いている椅子を引いた。
「ありがとうございます、武久さん。とりあえずお茶でも飲んで一息ついて下さい。要、テーブルの上少し片付けてくれる?」
「あっ、あぁ・・」
要は広げていたアルバムを閉じると何冊かまとめて重ねた。
「そのままでも大丈夫だよ要君。・・そちらはお友達かな?」
武久はゆっくり椅子に腰をかけると、向かいに座るトキに目をやった。
トキは黙ったまま武久を見つめている。
「・・おや、どこかで見たことある子だね」
武久はトキの顔をまじまじと見ながら首を傾げた。
「えっ・・・」
要の心臓がドクンと跳ねる。
「要君の昔からのお友達かな?」
武久がそう言うと、要の母が暖かいお茶をテーブルに置きながら首を横に振った。
「違うんですよ、要の東京でのお友達ですって。この子、昔から友達を家に連れてくることなんて滅多にないから驚いちゃって。ついさっき二人でやって来たのよね」
「あぁ・・うん、そうなんです」
要は歯切れの悪い返事をしながらトキをチラリと見つめた。
先程までは武久をジッと見ていたのに、今は下を向いている。そしてよく見ると微かにだが膝の上にある手が震えていた。
要は勢いよく立ち上がると、グイッとトキの腕を掴んだ。
「あの、じゃあ俺達、邪魔になるから外出てくるよ」
「・・・!?」
腕を強く掴まれたトキは驚いて要の方を向く。
「あぁ、大丈夫だよ要君。明日の相談を軽くするだけだから」
武久はニコリと笑って言った。
「いえ、ちょうどこの辺りを案内しに行こうと思っていたので」
要はそう言うと、トキの腕を引っ張りながらダイニングの扉へと向かった。
「武久さん、お元気そうでよかったです。また明日、よろしくお願いします」
要が小さく会釈をすると、武久もそれに応えるように片手を上げた。
「行こう、トキ」
「あっ、うん・・」
トキもペコリと頭を下げると、要に続くようにしてダイニングを出て行った。
外に出ると薄い雲が広がっている。
ここに着いた時よりも肌寒さが増している気がして、要は後ろを歩くトキに目をやった。トキは再び目深にキャップをかぶっている。
「トキ、寒くないか?」
「うん、大丈夫・・」
トキは鼻の頭を赤くしながら笑って答えた。
それから家から数歩離れたところで、要はゆっくり振り返りトキを見つめて聞いた。
「・・武久さん、知ってるのか・・?」
トキは大きな瞳を見開いた後、視線を下げて言った。
「・・・武久さんの・・苗字は敷島さんかな?」
「えっ・・・どう、だったかな・・ずっと武久さんて名前で呼んでいたから・・」
「もし、あの人が敷島武久さんだったら・・俺の従姉妹の子どものたけちゃんかなって・・」
「・・・」
「年の離れた従姉妹がいてね。俺が6歳ぐらいの時に結婚したんだ。戦争に行った婚約者が戻って来て・・すごく幸せそうだった。それからすぐに子どもができてね、たけちゃんは三兄弟の末っ子。怖いもの知らずの元気な子だった」
「・・・武久さんの家は、ここからすぐ近くだけど・・」
「うん・・そこの、角を曲がったところかな?」
そう言ってトキは目の前に続く道の先の二股に分かれているところを指差した。
「そう・・あそこを曲がると武久さんの家・・」
「やっぱり・・絹枝ちゃんの家だ」
「・・・」
トキは懐かしそうな顔で道の先を見つめる。要はそんなトキになんと声をかけていいか分からずただその場でじっとトキの様子をうかがった。
きっと・・自分のことを知っている人物に出会うのは嫌だったはずだ。何年も、何十年も避けてきたことだったのに・・
要は自分がしでかした事の重大さに気づき唇を噛んだ。
「・・たけちゃんは、たっくんと一緒に働いていたの?」
「え・・・」
要は急に話しかけられ一瞬言葉に詰まった。
「たっくんのこと、お師匠さまだって・・」
「あ、あぁ・・俺が小さい頃から武久さんはうちに通っていて、祖父と一緒に仕事場に行ってた。祖父が仕事を引退してからは、武久さんや武久さんの弟子の人が継いでくれて・・」
「そうなんだ・・たっくん、仲良くしてくれていたんだね・・」
トキの目頭がみるみる赤くなっていく。
「・・トキ?」
「あっ、ごめん・・その・・少し安心したっていうか・・」
「・・?安心ってどういうことだ?」
「・・・それは・・」
そこまで言ってトキはふっと視線を遠くに見える海岸沿いの方へ向けた。
建ち並ぶ家の隙間から先程までいた海岸の水平線が少し覗いて見える。
「・・・俺は、たっくんやたっくんのご家族に・・酷いことをしたから」
「・・・え?」
要はトキが一瞬なんと言ったのか分からずトキを見つめる。
トキはそんな要の視線は気にせず少し覗いて見える水平線をスッと指差すと言葉を続けた。
「あそこの海で・・俺は栄二を道連れにして死のうとしたんだ・・」
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