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弾き終わってから暫くの沈黙の後「上出来よ。大樹さんの腕が落ちていないようで安心したわ」と母親からの声を貰い、胸をなで下ろした。言葉では褒めていても、出来るのは当然のことかのような、嬉々とする訳でもないすました表情の母親。 大樹は今日何度目かも分からない頭を下げては御礼の言葉を母親に向けた。 「ありがとうございます。麗子さんにお褒めの言葉を頂けて光栄です」 微塵も思っていない、建前だけの言葉を羅列する。音楽の世界を遮断したくて父親に懇願して13歳の時にヴァイオリンを辞めた。そして、自分が辞めると言ったことで頭を冷やせと始めさせられたアイドルも15歳の時に引退しては、父親に説得をして自由に大学に行かせて貰った。 しかし、母親は納得いかなかったのか、定期的に演奏を聴かせなければならなくなり、それだけではなく、母親の知り合いがいるBarでヴァイオリンを弾かせて貰ってるアルバイトもしている。 父親を説得はできても母親を説得しきれなかった自分。同じ奏者である彼女の目と期待も含まれた圧力に強く反発する勇気がなかった。 「そうね。大学院終わったら此方に戻ってくるのよね?」 下げた頭にそう話しかけられて、大樹は上体をゆっくり上げた。 「その話は入学のとき既に父さんに了承得たはずです。僕は音楽を続ける気はないと」 会う度に聞かれることに、何度も同じように答える。自分の未来予想図に両親と同じように音楽に携わって生きるなど選択肢にはなかった。親が音楽家だからという変なプレッシャーや圧力のかかった場所にいたくない。一般的に就職して、平穏な家庭を築くのが大樹の希望だった。 「そんなこと許しません。大樹さんは私の意志を受継ぎなさい」 鬼のような形相をして訴えてくる母親に、一瞬だけ怯んだ後、深く溜息を吐きそうなのを堪えて、強く拳を握る。堂々巡りのこの状況。 「そうよ、有名音楽家の伊川先生主催のパーティがあるの、そこに大樹さんも行ってきて頂戴。卓朗(たくろう)さん今、ツアー中じゃない?長山家の代表として今後担っていくんだから行ってきなさい」 もう時期年の瀬だからだろうか、この手の集まりが増えるとはいえ、自分には関係のない話。藤咲の父親ともあの一件までは仲が良かった卓朗改め父親もこういう席にも積極的に参加して顔も広かった。

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