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唯の何気ない質問に過ぎないのに眩しいくらいの期待の眼差しに緊張するのは好きな曲と聞かれてこれと言って浮かばないからだった。 大樹が答えないうちに「弾いてみてよ。大樹くんの好きな曲、僕が当ててあげる」とこれまた嬉しそうに俺の手を引いてきては、尚弥の隣に座らせられた。 ピアノは習っていたのである程度弾けるにしても途中から母親にヴァイオリン一本に絞られて練習させられるようになったので簡単な物しか弾けない……。 だけどここまで誘われて何も弾かないわけにもいかず、大樹はメロディーラインの最初のラとドの音を出してみた。すると尚弥は何の曲か勘づいたのか、「分かったよ!続き弾いてみて?」と促してきたので続きを弾くと同時に尚弥は一緒に伴奏を弾き始めた。 大樹が唯一メロディが綺麗で思い浮かんだクラシック音楽のバッヘルベルのカノン。小学生で音だけで曲を当てて連弾をしてくるなんて、この子は天才なんじゃないんだろうか……自分より3つ下だと言う尚弥に弾きながら驚いていた。 隣で弾いている尚弥が楽しそうだから、大樹も弾いているうちに気持ちが伝染していく。 弾きながら時折笑いかける、穢れのない瞳が自然と自分の表情を綻ばせる。 長らく楽器を弾いて胸が躍るような気分になったことがなかったので新鮮だった。 その後も尚弥と何曲かを夢中で連弾をして遊んでいると、一時間ほど経過したところで、兄が帰ってこないことに気がついた。 尚弥の父親と話していると言っていたが……。 「先生遅いね…」 尚弥の目的は俺とピアノを弾いて遊ぶんじゃなくて、コンテストに向けたレッスンの筈。 兄に限ってそんなことはないと信じたいが、 尚弥の父親と話していて忘れられてるのだろうか……。 「そうだね、見てくるよ」 少々不安げな表情を見せた尚弥に父親の部屋の場所を聞き出すと一階の奥の部屋だと教えてくれたので、大樹は浮遊した気持ちを引きづったまま宏明に言われたことを忘れて部屋を出た。

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