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階段を下りて、檜の香りがするリビングを抜け、奥の部屋へと足を進める。
大樹は黒い扉のドアノブをゆっくりと倒すと、部屋の中を少しだけ扉を開けて覗いた。
隙間から宏明の背中が見えて服を着ていた筈の兄が上裸で突っ立っていることに疑問を抱きながらも、雰囲気からとても話し掛けてはいけない状況なのは子供ながらに理解出来た。
『尚弥の講師、引き受けてくれてありがとな』
『いいえ、|光昭《てるあき》さんの頼みなら喜んで。それに会える口実にもなる』
宏明はベッドに乗り上げると、誰かに向かって話しかけていた。背中で見えないが、声からして男の人。部屋が部屋なだけに尚弥の父親のような気がした。だけど明らかに様子がおかしい……。
普通に談笑しているような風でもなく、見てはいけないものを見てしまっている感覚だった。変に心臓がドッと早くなる。
『やめないか……』
『光昭さんも満更でもないでしょ?』
『ん…』
男の言葉を遮るように生々しい、水のようなチャプチャプとした音が響き渡る。
宏明と男がキスをした。
先程から異様な雰囲気を醸し出していたことは気がついていたが、小学生の自分でもキスがどういう意味を示しているのは知っていた。
好きな人同士がする行為……兄と藤咲の父親が何故……。
藤咲の父親は結婚しているし、兄とキスをするということは……つまり好きだと言うこと、それはおかしなことだった。
芸能ニュースやドラマなんかでぼんやりと耳にしたことがあった不倫という言葉がチラつく。具体的なことはよく知らなかったが、何となくいけないことだと認識はしていた。
大樹はそうだと分かると慌てて扉を閉める。
思いの外、大きな音を扉を閉める時に鳴らしてしまい、扉越しから『誰だ』と聞こえたので、大樹はその場から走り去っては駆け上がるように急いで階段を上がった。
2階へ辿り着くと、尚弥が部屋から飛び出して階段を降りようとしていたので、大樹は肩を抱いて部屋へと戻るように促す。
「大樹くん……先生いた?」
事情を知らない尚弥の純粋な瞳が自分を見つめてくる。
「あ……うん、多分もう少しで来るから待ってよう…」
大樹はそんな瞳を見ては、とても今見た出来事を正直に話す気にはなれなかった。
尚弥の問いに半ば生返事で答えたのが、相手に伝わったのか尚弥は度々後ろを気にしている様子だった。しかし大樹はそれを気付かないふりして、半ば強引に部屋に戻られたとこでホッと一息ついた。
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