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先程のことは絶対に尚弥に知られてはいけないような気がした。こんな穢れのない澄んだ瞳、純真な楽しそうな笑顔にあんな大人の汚れた世界を教えたくなかった。 この純粋な心は俺が守らなければと使命感に駆られる。尚弥の気を逸らす為にピアノの続きで遊んでいると、しばらくしてから、部屋の扉が開かれ宏明が入ってきた。 大樹はそっとピアノから離れては途端に緊張が走る。宏明の背中とあの部屋で見たキスを思い出しては兄のことを見る事ができなかった。宏明は「尚弥、待たせてごめんね。始めようか?」と声を掛け、尚弥は「はい、お願いします」と礼儀正しく椅子から下りて頭を下げては座り直す。 これからレッスンが始まるのであれば自分は邪魔な気がして大樹が所在に困って立ち尽くしていると自分の存在を気にした宏明が尚弥に少し待っているように声をかけては、宏明に呼ばれて顔を上げた。 ゆっくりと近づいてくる宏明が俺を見る目が何時にも増して冷たく感じ、更に身体が膠着する。もしかして見られていたことをバレてしまったのだろうか……。 「ちょっと来い」と言われて尚弥の視線を感じながらも手を引かれては部屋の外へと出された。嫌な予感がする。 「部屋にいろって言ったよな」 部屋に出た第一声がそれだった。 確かに言っていたが、その時は連弾の楽しさの余韻もあってか、宏明の言葉などすっかり頭から抜け落ちていた。 どうやら宏明は自分が尚弥の父親との事を見ていたことに気づかれていたらしい……。 二重で宏明の機嫌を損ねる様なことをして、怒ってこない訳がなかった。 「……ごめんなさい」 兄の前で下手に嘘をつくことも出来ずに素直に謝ると宏明は舌打ちをした。 かと思えば開き直ったのか「まあ、お前ならいいや」と呟いては頭を強く掴まれる。 「親父にも母さんにも絶対バラすんじゃねーよ。あと尚弥にもだ」 また言葉と身体の痛みで恐怖を植え付けられる。兄を前にして正義感なんてものは無くなり、大人しく言う事を訊くことしか出来なくなる。 「はい……」 「分かったら玄関に高崎呼んでるからさっさと行け」 掴まれた頭部を乱暴に離されて、顎を「行け」と言わんばかりに癪られる。大樹は逃げるようにして玄関先へと向かった。

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