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暫くして部屋の扉がノックされ、此方の返事を聞かずとも宏明が入ってきた。顔を俯いて身体を震わせている尚弥を少しだけ隠すようにして反射的に身体をずらした。しかし、宏明は早く出て行けと言わんばかりに俺に冷ややかな視線を送ってくる。
そんな視線を向けられようものなら、いつもなら何も言わずともこの部屋から退出していたが今日は違う。
先程尚弥と約束した以上、自分がここでレッスンが終わるまで居座ることを告げなければならない。自然と握る拳に力が入った。
「に、兄さん……今日はっ……俺もいていいですか?」
「急にどうした?」
宏明はゆっくりと近づいては、少し屈み込んでくると肩をガッシリと掴まれた。尚弥の前では優しい先生を演じていた筈なのに、そんなのはもう関係ないと言ったように容赦なく言葉と行動で圧をかけてくる。
目も口も笑ってない顔に寒々とした視線を向けられ、身体がおぞましさに震えてくる。
大樹はそんな恐怖を振り切るように拳を強く握りしめた。
「俺もっ……尚弥くんのピアノ聞きたいなって……思ったんで……」
「たいきー分かってるだろ?お前は俺の邪魔をしない、いい子のはずだよなー?兄ちゃんの言うこと聞けるよな?」
「で、でも……」
兄の鋭い眼差しと尚弥の期待を向けられた瞳が俺に集中する。この子を守らなきゃと決めたのだから、宏明に臆してはいけない。
「だったら大人しく高崎と帰れ」
何か言い返さなければならないのに言葉がでない。それでも尚弥が宏明に対して怖がっている以上、二人きりにさせてはいけない。
なのに身体が、恐怖を覚えて逆らうことを許してくれない。
「……はい。分かりました」
そう頷いた途端、尚弥の顔なんて一切見れなかった。強く掴まれた手が頭から離れたと同時に大樹は尚弥に背を向けて部屋から出ていった。背後から「大樹くん……待って……」と微かに聞こえてくる弱々しい声音に酷く胸が痛んだ。部屋を出た途端に扉を伝うようにしゃがみ込む。
兄の「尚弥くん、先生との約束破ったよね?」という明らかに責め立てている言葉から「ごめんなさい……ごめんなさい」と尚弥がひたすらに謝っている声が扉越しに聞こえてくる。その声と尚弥が泣きながら兄に抵抗できず、我慢している光景が目に浮かんできては、大樹は両手でこの世の全ての音を遮断するかのように耳を塞いだ。
助けなきゃいけないのに助けられなかった。
今ドアを蹴落としてまで兄を止める勇気はもうない。所詮自分には兄に逆らう度胸と、大切なものを守る強さなんてものはないのだと痛感した。
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