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藤咲が病室で訴えてきたときの表情を想起する。顔を歪ませ、涙ながらに悲痛な思いをぶつけてきた。 俺の信用などないと責めておきながらも、俺に助けを求めてくるのは、藤咲自身が頼りに出来る人がいないからだった。 父親の行いに失望し、宏明に強い恐怖を抱いている。極めつけには唯一の肉親の母親にも裏切られたのだ。彼自身傷つかない訳が無い。 「じゃあどうして……」 恭子さん自身も藤咲を近くで見てきているなら分かっているはず、少なくとも自分も傷ついているのに何故宏明を受け入れるような真似をしたのか気になった。 恭子は鼻を啜り、涙をハンカチで拭って一呼吸おくと「宏明さんが.......あの子に執着しているのは何となく感じていたの.......尚弥はあの人に似てるから.......」と拭ったハンカチを皺が残りそうな程強く握りしめた。 あの人というのは藤咲の父親だろうと恭子の会話から感じとれた。確かに記憶のある藤咲の父親も気品があって美しい人だった印象があった。恭子さんも美人な方だが、成長した本人から醸し出す独特の気品さは母親よりも父親の遺伝の方が強かった。 「尚弥をあの人.......|光昭《てるあき》さんに重ねてるのよ.......でも.......あの人は死んでしまったから.......」 あの件があってから藤咲の家は離婚したと聞いてはいたが、そこまでの事情は知らない。 大樹が愕然として、真面な返答ができずにいると「宏明さんと不倫をしたこと酷く後悔しててあの人最後まで別れること反対していたの」と話を続けた。 「でも私はどうしても許せなくて、離婚届に判を押して尚弥と家を出ていった後.......義姉さんから連絡がきたの.......鬱にかかって.......ね.......」 恭子は途中で言葉を濁していたが、その言葉が何を示しているのか、後へと続く言葉の意味が大樹には理解が出来た。

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