55 / 292

8-6

「だけど彼は何度も尚弥に近づこうとした。 その度に私を自身を身代わりにして、彼の心を鎮めてたの。だけど段々情が湧いてきてしまって彼も光昭さんを本気で愛してしまっていたって申し訳なかったって謝られたら......尚弥のために強く突き放すべきだと思っても宏明さんに対して怒れなかった.......」 恭子さんの話を聞けば聞くほど怒りや哀れみの感情が行ったり来たりをして頭を抱えたくなるほど深い溜息がでた。 あの宏明が藤咲の父親を愛していたなど耳を塞いででも聴きたくない話だった。あの幼ながらに見た光景が本当の愛だったのだとしても藤咲に脅しをかけていい理由にはならないし、道理に外れている。 だからこれ以上暴走させてはいけなかった.......。 そして目の前の人のことも、最初は脅されたからと言われても、最終的には兄の肩を持ったことに違いなくてやっぱり恭子へ対しての疑念は拭えない。相手に同情を誘うように仕向ける宏明ももちろんだが、可哀想だからって息子を危険に晒す様な真似をする人がよく「尚弥のため」だなんて言えたともんだと失望した。 藤咲が拒絶をする気持ちが分かる。 ブレンド珈琲とホットサンドが運ばれてきても、とても喉が通りそうな話ではなかった。 その後も続けてくる恭子さんの話に気持ちが沈んでいく。コンサートの日、彼女は完全に取り乱していて聴くことの出来なかったことを話してくれた。 コンサート当日のリハーサルの途中で、使用するピアノ弦のが会場中に大きな音をあげて弾けた。恭子は即座に宏明を呼ぶことになったのだが、藤咲本人に会わせることにはならないように注意を払っていた。しかし、恭子がスタッフに呼び出されている間に、宏明は尚弥の楽屋に入っていては鉢合わせてしまったという。それから藤咲は逃げるように会場を出た後が大樹が見た2人の姿だった。 そしてコンサートの当日に弦が切れてしまったのは宏明の仕業だと聞き、あの日ステージから降りた途端に痙攣を起こしていた彼を目にして醒めたこと。私の軽率な行動で藤咲に深い傷を思い起こしてしまったことに酷く後悔していると再びの涙ながらに語られた。

ともだちにシェアしよう!