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本当に好きで続けている訳じゃないから、演奏をしてお金を貰っているなんて言い出しにくかったが、藤咲に嘘をつくことはしたくなかった。
少しずつでも信用の貯金を増やしていきたい……。
「まあ……一応。……アルバイトとしてバーで弾いてる程度だけど……でも、最近は怪我もあって休んでるんだ」
辞めた人間がアルバイト感覚で音楽を続けていると知って藤咲はどう思うのだろうか。
音楽の道一本で海外にまで飛んで好きを突き詰めている藤咲に対して自分は母親に言いなりで続けているだけ。本人からしたら中途半端な自分を失望しても仕方がない。
藤咲は腕を組んで「ふーん」と右眉をピクリと上げると二、三歩だけ前に踏み出してきた。値踏みされているようにじっと見つめられ、藤咲からの視線の圧に手に汗が滲む。
「……あんたのヴァイオリンが聞きたい」
差程大きくはないが、周りが静かだからか、充分に聞き取れる声量。自分のことなど興味がないと思っていただけに藤咲から願い出てくるとは思わなかった。
吃驚したと共に絶好調ではない右腕でしかも、藤咲の前で音楽家の彼が納得してくれるようなものを弾ける自信はない。
「怪我治りかけだし、練習もできてないから今は上手く弾けないと思うから……すまん」
申し訳なくて大樹は伏し目がちにそう答える。折角、藤咲が所望してくれたのに応えてやれないのが悔しかった。
昔、藤咲と一緒に演奏をして遊んでいた時のことを思い出す。もしかして、藤咲もあの時のように戻りたいのではと微かに期待して、俺が弾けば藤咲が笑いかけてくれたあの愛らしい笑顔も戻ってくるのではないかと切望したから尚更だった。
ヴァイオリンを演奏するに積極的じゃないにしても、藤咲に聞かせるのであれば苦ではないような気がして腕さえ治っていればと後悔する。
「じゃあ、あんたが演奏してる店教えてよ……あんたが……弾くってなったら行く……」
今が無ければ、もう機会はないと思っていただけに、「あぁ……そうか」なんて思いがけない藤咲の提案に歯切れの悪い返事をしていると眉を顰めて「なに、嫌なの」と藤咲の前で演奏を拒否しているように捉えられてしまい、慌てて否定する。
「いや、違うんだ。少し驚いて…….......弾くことになったら連絡するよ」
藤咲との約束を取り付けたことで、自分が
高校生の時に初めて貰ったアルバイト代で望遠鏡を買いに行った時の心境を想起させた。買うと決め店に入るまで緊張するけど、好奇心は止まらない。それは藤咲の前で弾いたヴァイオリンが今までで一番楽しかったと心と身体に記憶されているからだった。
「忘れたら許さないから.......」
不貞腐れたように吐き捨てられた藤咲の言葉に不思議といつもの棘のようなものは感じない。
「忘れないよ.......藤咲との約束は絶対に」
唯の自惚れに過ぎなくても、藤咲が自分の演奏を期待しているように感じた大樹は惰性でやっていたに過ぎない音楽に意欲的なものが湧いてくる。それに、少しだけ彼との距離を縮められたような気がして、嬉しかった。
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