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渉太がテントから持ってきた毛布を寝ている律仁に掛け、ひと段落したところで、渉太と片付けを進めることにした。 渉太には律仁のことを見張りつつ、テント周りの片付けを頼むと大樹は木造屋根の流し台へ向かい、洗い物をすることにした。渉太と一緒の方がいいと思って敢えて藤咲をテントに残してきたが、後ろから洗い物カゴを奪うようにして追いかけてきた。驚いて立ち尽くしている間にも藤咲は真っ先に流し台へ向かい、ゴム手袋を装着して洗い物を始める。 「藤咲、大丈夫なのか」 大樹は慌てて近寄り、電気のない流し台に手持ちのランタンを洗い場の手前に置いてやると水道の蛇口を締めた。すると、藤咲は俺から半身を引かせると、身体を僅かに震わせ、鋭く睨んでくる。藤咲の許容範囲外の領域に踏み込みすぎてしまったのだと反省した。 道中のお菓子の手渡しですらも嫌がっていた藤咲が一瞬でも籠を奪い取れるほどの距離で近づいてきていたことには違いない。大樹はそれが、不快ではなかったのかが気掛かりであった。 「今のはごめん。でもさっき、カゴを手渡ししただろ·····あれ、嫌じゃなかったのかと思って·····」 「別に·····自分からならまだ·····」 自分の視線から逸らすように深く俯く藤咲の表情が分からないが、俺に気を遣って追いかけてきたのだろうかー·····。 だけど、藤咲に水仕事をやらせる訳にはいかない。 「そうか·····でも指先怪我とか出来ないだろ·····洗い物は俺がやるからいいよ」 ピアニストにとって指先は必要不可欠だ。だから、家事代行に頼む人が多いと聞く。実際自分の母親も指先に神経を通わせる楽器奏者だった故に現役の時はもちろん、お嬢様育ちもあってか、今もその名残で家事代行任せであった。 親切心から言ったつもりだったが、頑なにスポンジを離さず握っている藤咲から奪い取ることは彼を少しでも怖がらせて仕舞うような気がしてでできない。横に佇むのが精一杯だった。 「手袋履いてるし、アンタの方がまだ痛いんじゃないの?そこに座っとけば」 そんな大樹を横目に見てはそう吐き捨てると、流し台の近にあった少し形が歪だったが、腰をかけるには丁度よさげな木の幹を目で差してくる。呆然としている大樹など気にも留めずに、再び水道の蛇口を捻ると黙々と作業を再開し始めてしまった。 大樹は手持ち無沙汰になり、仕方なく素直に促された木を椅子代わりにして、流し台の隣に座る。ふと思い立って目線を見上げると、青黒い冬の空に散りばめられた光に自然と顔がほころんでは、吐いた息が白く溶けだしていた。

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