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12-11
一驚していたが、すぐ様向ける視線がいつも兄が俺に向けている侮蔑した冷徹な眼差しに変わる。 大樹は兄の姿を目にするなり、即座に立ち上がると「お邪魔しています」と深く礼をした。頭を下げている間にも近づいてくる靴の音に心臓が駆け足に鳴る。
最後に兄に会ったのはパーティの日以来だ。
藤咲を助けて、兄を突き飛ばしたあの日。
さぞご立腹であることは覚悟のうえで引っ掴まれて詰め寄られるのかと恐怖心から瞼を強く瞑る。
すると、後頭部に兄の手の感触を感じたかと思えばふわっと肩を優しく叩かれた。
「大樹、よく来たね。遠くて大変だっただろ」
柔らかみのある声音に愕然としたが、今、この場面には古林もいる。兄は決して慕っているものの前では、いい兄として取り繕う傾向にあったことを忘れていた。しかし、疑いたくなる目の前の兄の雰囲気からは、この間家に来た時よりナイフのような鋭さは感じずにどこか温かみがあった。
「変わったことはなかったか?」
そんな違和感に腑に落ちずにいると、業務から帰ってきた宏明に古林の方から話しかけてくる。
「特に.......弦の張力が緩んでいたので締めたのとハンマーが劣化していたので交換しました」
「そうか、君の弟。君に用があるみたいだったから、今日はいいぞ」
「ありがとうございます。書類、ディスクに置いときますね」
宏明は古林の問いかけに、終始にこやかに応えている。淡々と交わされる仕事の言伝を聞いている間も大樹の緊張は収まることはなく、自ら会いに行き、兄の違う一面を話で訊いたとは言えども、幼き頃から植え付けられたものは心の底で根を張って直ぐに除去出来るものでもなかった。
古林にお暇を貰った宏明は丁寧に挨拶すると「大樹、ついてこい」とボソリと呟き、勝手口の方へと向かう。大樹は拭えぬ恐怖と緊張を募らせながらも未だ作業をする古林さんに一礼しては兄の後に続いた。
事務所の木製のディスク上に、ビジネスバックから取り出した、黒い革製の書類ケースを半ば乱暴に投げるようにして置くと、一切振り返ることなく二階へと続く階段を登って行ってしまった。
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