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大樹自身だって父親が母親が、あの家の空気すらも窮屈なのは本当だった。だけど兄のように一時の情の迷いで非行には走らなかったし、自分の意志は伝えてきたつもりだ……。 ただ、それを強く断る勇気が持てなかっただけで……。 「兄さんは俺の事、羨ましがって妬んでいるみたいだけど。俺だってやりたい事を全無視であの家に操られるように生きてきた人間なんだよ。楽しくもないヴァイオリンの練習を毎日毎日させられて、貴方と母親との重圧に何度も押し潰されそうになった。アイドルだって今続けているヴァイオリンだって好きなことをするための全部交換条件だ。結局自分はあの家に逆う勇気がないんだよ。だけどそれを上手くいかなかったからってあんたみたいに人に八つ当たりしたり、圧力をかけたりなんかしたりしない」 大樹はその隙を突いて胸倉の手を掴み払っては、怒りを含んだ瞳で睨んでくる宏明を睨み返す。 宏明は大樹のその瞳と目を合わせると「お前のその目ほんと父さんにそっくりだな」と皮肉交じりに呟いたかと思えば肩口の洋服を引っ掴まれ、何度も肩を拳で叩いてきた。 「それでも……父さんに認められていたお前が俺には妬ましかった……。俺は母さんより父さんに認められたかった。好きなことで褒められたかった。音楽家としてじゃなくて、結果だけじゃなくて僕自身のことも見て欲しかったんだよ……」 回数を重ねる度に弱々しくなる拳の力から宏明の悲痛な叫びを感じていると次第に深く項垂れ、拳は肩口を叩いて動かなくなった。 「俺が小学生のとき初めて市民のピアノコンテストで準優勝をとれたとき何て言ったと思う?『準優勝ごときでいちいち報告してくるな』だよ。ただ褒めて欲しかった俺の幼い心には酷く傷ついた。その後結果を残せない俺に『無能だ、長山の長男として恥ずかしい』って言われ続けた」 俺たち家族に深い愛情や優しさなんてものはない。あるのは長山として音楽家としての地位や名誉、評価だけで、ごく一般家庭の幸せな暮らしとはかけ離れていた。 「母親だって俺を無能だと分かってるからこそ一番の理解者のフリして腫れ物でも扱うように何でも与え続けられて、本当は屈辱だった。自分が出来ない息子だと思いたくないからできた子だなんてホラ吹いてさ……今だって毎月のように送ってくる金なんか要らない」 父から向けられることのなかった愛情と母の哀れみの愛情から今の兄を構築させてしまったのだと思うと痛ましく思う。 「そんな時、俺のこと褒めてくれたのが光昭さんだけだった。お金じゃない本当の愛情をくれたのが光昭さんだったんだよ。そんな優しい光昭さんが欲しかった。好きになって何が悪い?」 決して開き直ったような声音ではなく、俺に問いかけるかのように訴えてくる宏明に大樹は困惑した。こんなに弱々しい兄を初めて見る。

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